手づくり アイスの店 マルコポーロ
日本文化の雑学2 姓・氏・名字の雑学
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 日本語・言葉の雑学ページから分離しました。


 姓 (かばね) とは 八色姓の種類など。

 氏 (うじ) とは

 日本人の名字のルーツ 名字の成り立ちは5つに分類。 正しい「サイトウ」「ワタナベ」の漢字。

 名字の発祥の地 関西2府4県各多い名字上位5つ。 「鈴木」「渡辺」「高橋」「安倍」「小野」「錦織」の発祥の地。

 珍しい名字の由来や成り立ち

   
 
 姓 かばね
  日本の神様 読み解き 辞典 柏書房㈱ 1999年10月30日初版 川口謙二 編著 / 広辞苑
  NHK Eテレ 高校講座 日本史 『大和王権と古墳文化』 14.05.09 放送
  テレビ大阪 おとな旅あるき旅 『神話の国「出雲大社~松江」縁結び旅』 14.07.19 放送

  【新撰姓氏録】しんせんしょうじろく  新撰姓氏録抄姓氏録
   古代氏族の系譜集成。京・畿内に本籍を持つ1182氏をその出自や家系によって 神別皇別諸蕃に分類。
   嵯峨天皇 (平安初期の第52代の天皇) の勅を奉じて万多親王らが編し、815年(弘仁6)完成。30巻・目録1巻。
   現存のものは抄本。

  ・【神別】しんべつ
    「新撰姓氏録」に見られる分類で、古代、神々の子孫と称した氏うじ
    例えば天児屋根命あまのこやねのみことを祖先とした 藤原氏の類。

  ・【皇別】こうべつ
    「新撰姓氏録」に見られる分類で、天皇家から分かれて臣籍に降下した氏。 橘氏源氏平氏 の類。

  ・【諸蕃】しょばん
    「新撰姓氏録」に見られる分類で、古代、渡来人の子孫と称した氏。はたあや百済くだら の類。
    蕃別は俗称。

  【姓】かばねせい   Wiki カバネ

   古代豪族が政治的・社会的地位を示すために世襲した称号
   ② 氏うじ。姓氏。
    おみむらじみやつこきみあたいふひと
    県主あがたぬし村主すぐり など数十種がある。
   はじめは私的な尊称であったが、大和政権の支配が強化されると共に
   政権が与奪するようになり、臣・連が最高の姓となった。

   ※ 人民と土地を支配する豪族に「姓を」与えることで、それらを認め
   大和政権に従属させる為のもの。邪馬台国における「鏡」のような役割。



  ≪ 臣 おみ  … 朝廷に仕える人、臣下
   古代の姓の一つ。各地の有力豪族に与えられ、姓の中で最も尊重されたが、天武天皇の時、臣の一部は朝臣あそみに昇格、
    もとの臣は第6等の姓となる。

  【大臣】おおおみ
   大和政権の執政者。「臣」の姓を持つ諸氏中の最も有力な者が任ぜられ、記紀伝承では武内宿祢に始まり、
   その子孫の諸氏が世襲したという。大化改新の際に滅ぼされた蘇我蝦夷そがのえみし (~645年) が最後。

  【武内宿祢】たけうち‐の‐すくね
   大和政権の初期に活躍したという記紀伝承上の人物。
   第8代の孝元天皇の曾孫(一説に孫)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳 (第12~16代の天皇) の5朝に仕え、
   景行天皇時代は蝦夷地の視察、神功じんぐう皇后時代の三韓征伐に参加、麛坂かごさか・忍熊おしくま皇子の反乱の討伐など
   偉功があったという。その子孫と称するものに 葛城巨勢平群蘇我 の諸氏がある。
   他に 波多八代はたのやしろ、石川宿祢なども子とされる。

  ※ 『日本書紀』によると「景行天皇25年から仁徳天皇の50年、5天皇に仕えて在官240余年。『世の遠人』」とあるので、
    年齢は300才超え。『古事記」には、「仁徳天皇の御製に『世の長人』」とあるそうです。 
    長生きすぎるので、何代か世襲したのでは? と考えられています。

 ・【葛城】かずらき
   武内宿祢の子で、葛城襲津彦そつびこ という武人が葛城氏の祖。大和の葛城地方を本居として繁栄した。
   仁徳天皇の皇后 磐之媛命いわのひめのみことの父とされ、神功皇后 (仲哀天皇の妃) の三韓征伐で新羅を討ったという。

 ・【巨勢 ・ 許勢】こせ
   許勢小柄おがら が祖。高市郡巨勢郷(今、奈良県御所市古瀬)を本拠とした。

 ・【紀】
   武内宿祢の子 紀角宿祢きのつののすくねが祖という。紀伊国を本居とする。姓は臣。八色姓で朝臣。のち詩人・歌人を輩出。

 ・【平群】へぐり
   平群木莬のずく が祖。大和国平群郡 (現在の奈良県生駒郡・生駒市南部を中心とした地域) を拠点した。

 ・【蘇我】そが
   古代の有力豪族。祖は武内宿祢といわれ、大和国高市郡曾我を本拠とする。7世紀末から嫡流は石川朝臣と称した。
   蘇我石川麻呂 (~649年) は蘇我馬子の孫で、大化の改新に参加し右大臣のち讒言ざんげんされて自殺。


  ≪ 連 ≫ むらじ  … 神々の子孫と称した氏
   大和政権時代に、主として神別の諸氏が称した。「臣」と並ぶ有力豪族が多く、大伴連・物部連からは大連が任ぜられて
   政務を担当。
   684年の八色姓では第7位。大伴おおとも ・ 石上いそのかみ(物部の支族)ら有力な連は第3位の宿祢に昇格した。

  【大連】おお‐むらじ
   大和政権の執政者。「連」の姓を持つ諸氏中の最有力者が任ぜられ、ふつう世襲する。
   記紀伝承では物部・大伴両氏から出て「大臣おおおみ」と共に執政したが、6世紀末に大連 物部守屋もののべ‐の‐もりや
   (~587年) が、大臣 蘇我馬子そが‐の‐うまこ (~626年) らに滅ぼされたのを最後とする。


   ≪ 造 ≫ みやつこ
   (「御奴みやつこ」の意という)古代の姓の一つ。朝廷または地方で各種の部民を統轄した伴造とものみやつこが称した姓。
   八色姓制定に際して、その主なものは「連」と賜姓された。

  子代こしろ名代なしろ
   大化改新前の皇室の私有民で、「○○(皇族名)の名代」と呼ぶ。のち壬生部みぶべ という名称に統一。
  品部しなべ
    朝廷全体に隷属する民の総称。世襲的な職業を通じて大和政権に隷属した人民の組織。
  部民べみん。べのたみ。ぶみん。
   大化改新以前における私有民の総称
  部曲かきべ 民部かきべ
    諸豪族に隷属するものをという。豪族の氏うじに部の字を加えて名字とする。  

   645年からの大化改新ですべて廃止されることになったが、品部の一部は律令制官庁に配属されて残り、
   部曲は律令貴族の給与の一部である封戸ふこに変質した。

  【伴造・友造】とも‐の‐みやつこ
   大和政権に奉仕した品部の統率者。朝廷付近に住む品部を統率して出仕する家柄は、一般に「造」の姓かばねを持つ。

  【国造】くに‐の‐みやつこ
   (「国の御奴」の意)古代の世襲の地方官。ほぼ1郡を領し、大化改新以後は多く郡司となった。
   大化改新後も1国一人ずつ残された国造は、祭祀に関与し、行政には無関係の世襲の職とされた。

  【出雲国造】いずも‐の‐くにのみやつこ
   出雲の国を支配した豪族。律令制成立以後は大社の神官を世襲し、のち千家せんげ (代々出雲大社の宮司)
   北島の両家に分かれた。








  NHKニュースWEB 『典子さまと千家さん 出雲大社で結婚式』 14.10.06 配信 
     http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141005/k10015133441000.html

   ≪ 高円宮典子さま と 千家国麿さん が、ご結婚 ≫  Wiki 高円宮 Wiki 内親王

   高円宮家の次女の典子殿下 (26) と、島根県の出雲大社の権宮司 千家国麿さん (41) の
   結婚式が2014年10月5日に出雲大社で行われました。

   【降嫁】こうか … 皇女・王女がその身分を離れて、皇族・王室以外の者にとつぐこと。

   現在の出雲大社の宮司は84代国造 千家尊祐さん。千家国麿さんはその長男。

   動画 → 典子さま結婚式 千家国麿さんと出雲大社で(14/10/05)   Wiki 出雲国造
        http://www.youtube.com/watch?v=NAfoEFDaGMk



   ≪ 直・費・費直 ≫ あたい
   (「値あたい」と同源)古代の姓の一種。国造に多く、大化改新後、郡司とその一族に多い

  【郡司】ぐん‐じ、 こおり‐の‐つかさ、 こおりのみやつこ。
   律令時代の地方行政官。国司の下にあって郡を治めた。
   地方の有力者から任命し、大領・少領・主政・主帳の四等官から成る。

  【律令時代】りつりょう‐じだい
   日本史上の時代区分の一つ。律令国家が存続した時代。
   政治法制上では、大和時代と摂関時代との間、社会経済上では大化前代と荘園時代との間。
   大化改新後から奈良時代・平安初期までの約3世紀にわたる。


  ≪ 史 ≫ ふひと (フミヒト(書人)の約。フビトとも) 
   ① 古代朝廷の書記官。史生。
   ② 古代の姓の一つ。渡来系で朝廷の書記を世襲する氏に多い姓

  【史部】ふひと‐べ
   大和政権で文書・記録の作成を担当した品部しなべ
   第15代の応神天皇の時に渡来したといわれ、そのうち王仁の子孫を西史部かわちのふひとべ阿知使主の子孫を東史部
   やまとのふひとべという。

  【王仁】わに。 和邇吉師わにきし
   古代、百済からの渡来人。漢の高祖の裔で、応神天皇の時に来朝し、「論語」10巻、「千字文」1巻をもたらしたという。

  【阿知使主】あち‐の‐おみ
   応神天皇の時の渡来人。後漢 (中国の王朝の一つ、25~220年) の12代皇帝の霊帝の曾孫ともいう。
   のち呉に使して織女おりめ・縫女ぬいめを連れ帰ったと伝えられる。
   古代の最も有力な渡来人の一族東漢直やまとのあやのあたいの祖という。

  【東漢直】やまと‐の‐あやのあたい 東漢氏やまと‐の‐あやうじ
   古代の渡来系氏族。阿知使主の子孫と称し、朝廷の記録や外交文書をつかさどった。
   5世紀ごろ渡来した朝鮮の漢民族の子孫と見られ、大和を本拠とした。
   7世紀には政治的・軍事的に有力となり、姓かばねは「直あたい」から「忌寸いみき」や「宿祢すくね」に昇格。

  【漢氏】あや‐うじ
   古代の渡来系の有力な氏族。もと「直あたい」姓。
   応神天皇の時渡来した後漢霊帝の曾孫阿知使主の子孫と称する東漢直と、後漢献帝の子孫と称する西漢直かわちのあやのあたい
   とがあった。
   第40代の天武天皇 (在位673~686) の時、「連」 姓 ・ 「忌寸」 姓となる。子孫は坂上氏ら。

  【漢人】あや‐ひと
   ① 古代の渡来系氏族。東漢直の祖阿知使主に率いられて渡来したと称する。東漢氏の配下にあって、錦・綾の生産、
     武具・革具などの手工業を職とした。
   ② 古代の中国系と称する渡来人の通称。


  【天武天皇】てんむ‐てんのう(~686)名は天渟中原瀛真人あまのぬなはらおきのまひと、また大海人おおあま
   第34代 舒明じょめい天皇の第3皇子。
   7世紀後半の天皇(第40代、在位673~686)。671年出家して吉野に隠棲、第38代の天智天皇の没後、壬申の乱(672年)に
   勝利し、翌年、飛鳥浄御原宮に即位する。
   新たに八色姓やくさのかばねを制定、位階を改定、律令を制定、また国史の編修に着手。

  【壬申の乱】じんしん‐の‐らん
   天智天皇死後、長子の大友皇子(弘文天皇)を擁する近江朝廷に対し、吉野にこもっていた皇弟の大海人おおあま皇子
   (天武天皇)が672年(壬申の年)の夏に起こした反乱。
   1カ月余の激戦の後、大友は自殺、大海人は飛鳥浄御原宮あすかのきよみはらのみやに即位し、律令制が確立する端緒となった。


  【八色姓】やくさ‐の‐かばね  八姓はっせい  Wiki 八色の姓
   飛鳥時代、天武天皇が684年に整理再編した8種の姓。
   真人まひと  ・ 朝臣あそみ宿祢すくね忌寸いみき道師みちのしおみむらじ稲置いなぎ
   この年から翌年にかけて実際に与えられたのは上位四姓で、序列は各氏祖先の皇室に対する親疎によっている。

  ≪ 真人 ≫ まひとまうとまっと
   684年の八色姓の第1位。初め継体以後の諸天皇を祖とする「きみ」「きみ」 姓の豪族13氏に、
   のち皇族が臣籍降下の際に与えられた。
   天武天皇の時に「きみ」は「真人」と賜姓され、八色姓の第一等となった。「きみ」 姓の者は多く 「朝臣」 と賜姓。

   【大君】おお‐きみ
    ① 天皇の尊称。 ② 親王および諸王の尊称。皇女・王女にもいう。 ③ 身分ある人の尊称。 ④ 主君の尊称。

  ≪ 朝臣 ≫ あそみ。 あそん。あっそん。 (アソ(吾兄)オミ(臣)の約)
   ① 姓の一種。八色姓の第2位。主として皇別の氏が与えられ、平安時代以後、皇子皇孫が与えられた。
     天武紀[下]「大三輪君・大春日臣…凡て五十二氏に姓を賜ひて朝臣と曰ふ」
   ② 三位以上の人の姓の下、四位の人の名の下につける敬称。

  ≪ 宿祢 ≫ すくね
   ① 古代、重臣に対する敬称。武内宿祢たけのうちのすくねの類。
   ② 姓の一種。八色姓の第3。「むらじ」の姓を持っていた朝廷豪族中の有力な諸氏に与えた。大伴宿祢おおとものすくねの類。

  ≪ 忌寸 ≫ いみき
   天武天皇の制定した八色姓の第4位。主として、中国からの渡来系「漢氏あやうじ」の諸氏に与えられた。坂上氏など。

   【坂上田村麻呂】さかのうえ‐の‐たむらまろ(758~811)               蝦夷 アテルイと坂上田村麻呂
     平安初期の武人。最初の征夷大将軍となり、蝦夷えぞ征討に大功があった。
     正三位大納言に昇る。また、京都の清水寺を建立

  ≪ 道師 ≫ みち‐の‐し
   八色姓の第5位。技芸を世襲した諸氏の姓というが、授与の実例は見られない。

  ≪ 臣 おみ  … 朝廷に仕える人、臣下
   古代は各地の有力豪族に与えられ、姓の中で最も尊重されたが、天武天皇の八色姓制度では、
   「臣」の一部は「朝臣あそみ」に昇格したが、もとの「臣」は第6等の姓となる。

  ≪ 連 ≫ むらじ  … 神々の子孫と称した氏
   大和政権時代に、主として神別の諸氏が称した。「臣」と並ぶ有力豪族が多く、大伴連 ・ 物部連からは「大連」が
   任ぜられて政務を担当。
   684年の八色姓では第7位。大伴おおとも ・ 石上いそのかみ(物部の嫡系)ら有力な連は第3位の宿祢に昇格した。

   【大伴御行】おおとも‐の‐みゆき (~701)             大伴氏 万葉集に多くの歌を残す家系
    古代の豪族・官人。安麻呂の兄。壬申の乱に天武天皇を助けて功あり、累進して大納言に至る。
    平安初期にできた最古の作り物語『竹取物語』中の人物で、かぐや姫に求婚する一人、大伴大納言のモデルとなった。

   【石上麻呂】いそのかみ‐の‐まろ(640~717)
    物部氏の嫡系の貴族。元明・元正天皇の頃、正二位左大臣。
    竹取物語中の人物で、かぐや姫に求婚する一人「石上中納言」のモデルとなった人物。

  ≪ 県主 ≫ あがた‐ぬし
   大和時代の県の支配者。後に姓かばねの一つとなった。

  ≪ 村主 ≫ すぐり
   (古代朝鮮語で村長の意という)姓かばねの一つ。主として渡来系の諸氏が称したもの。

  ≪ 稲置 ≫ いな‐ぎ
   八色姓の第8位。古代の下級地方官。隋書東夷伝に「八十戸置一伊尼翼いなぎ如今里長也。十伊尼翼属一軍尼くに」とある。

  大化改新後の684年、天武天皇は皇室を中心に八色を定めたが、やがて姓を世襲する「氏うじ」よりも、
  氏が分裂した結果である「家いえ」で政治的地位が分かれることになって、「姓かばね」は自然消滅した

 
 「氏」とは
  【氏】うじ
   ① 血縁関係のある家族群で構成された集団。氏族。万葉集[20]「大伴の―と名に負へる大夫ますらおの伴とも」
   ② 古代、氏族に擬制しながら実は祭祀・居住地・官職などを通じて結合した政治的集団。その内部は、姓かばねを異にする
    家族群に分かれ、上級の姓を持つ家族群が下級の姓の家族群を支配し、最下層には部民べみんおよび奴婢ぬひがある。
   ③ 家々の血統に従って伝えて称する名。また、家の称号。
   ④ 家がら。
   ⑤ 近世、武士階級の間で、多く同輩以下に対して苗字に添えて用いた敬称。
   ⑥ 姓・苗字の現行法上の呼称。


  【氏族】し‐ぞく 【クラン】clan
   共通の祖先を認め合うことによって連帯感をもつ人々で、氏族名で弁別される。一般に父系または母系のどちらか一方の
   出自関係をたどって帰属が決まる。

  【リネージ】lineage
   父系・母系どちらかの出自の原理に基づいて共通の特定の祖先を認識することによって共同活動を行う親族集団。
   氏族を構成する。どの祖先まで遡るかによって規模が異なる。

  【氏人】うじ‐びと
   古代、氏うじを構成し、氏上うじのかみと同じ姓かばねを持つ階層の人。平時は氏上に率いられて氏神を奉祀し、氏の所有する
   部民べみんや賤民を駆使して農業などの生産に従い、戦時には部民や賤民を兵士として率いて戦った。うじうど。うじんど。

  【氏上・氏長・氏宗】うじ‐の‐かみ
   氏の首長。大化改新以後は朝廷によって任命されるようになり、平安時代にかけては一族の宗家として、氏人を統率して
   朝廷に仕え、祖神の祭祀や叙爵推薦・処罰などをつかさどった。
   平安初期には宣旨によって氏長者うじのちょうじゃまたは氏長うじのおさという称を源・平・藤・橘の諸氏に賜ったが、
   室町時代以後は藤原氏の摂関となった者および源氏の征夷大将軍となった者だけがこれを称した。うじのこのかみ。

  【部民】べ‐みん
   大化改新以前における私有民の総称。朝廷全体に隷属するものを品部しなべ、天皇が皇族のために設定したものを子代こしろ
   名代なしろ、諸豪族に隷属するものを部曲かきべという。大化改新ですべて廃止されることになったが、品部の一部は律令制
   官庁に配属されて残り、部曲は律令貴族の給与の一部である封戸ふこに変質した。べのたみ。ぶみん。


  【氏姓制度】しせい‐せいど
   大和政権の支配体制の基礎となっていた制度。支配階級に属する諸豪族は氏うじと総称される擬似的な血縁集団をつくり、
   氏は政治的な位置や世襲的な職業に応じて姓かばねと総称される尊称をもち、また経済的な基礎としては私有地や
   被支配階級である部民べみんや賤民である奴婢ぬひを所有していた。
   しかし推古朝前後から氏が個々の家に分裂する傾向が強まり、さらに大化改新後の律令制度では氏や家より個人の能力を
   尊重する建前となって、氏姓制度は崩壊した。

  【氏族制度】しぞく‐せいど
   氏族を構成単位とする社会制度。氏族への帰属によって、居住・協力関係・婚姻・財産相続・地位継承などの基本的な
   社会関係が規制を受けるような社会体制。日本でも中国・朝鮮の影響を受けて、これに類似した制度が一部の支配層に
   見られたが、本格的な氏族に根ざしたものではない。


  【氏神】うじ‐がみ
   ① 氏の祖先の霊を神として祀ったもの。氏族神。藤原氏の祖神天児屋根命あまのこやねのみこと、斎部いんべ氏の祖神
   天太玉命あまのふとだまのみことの類。
   ② 氏に由緒ゆいしょある神。藤原氏の鹿島・香取神宮、平氏の厳島明神、源氏の八幡宮などの神。
   ③ 住む土地の鎮守の神。産土神うぶすながみ

  【氏子】うじ‐こ
   ① 氏神うじがみすなわち祖神の子孫。藤原氏の春日神社における、橘氏の梅宮神社における類。うじびと。氏の子。
   ② 産土うぶすな神が守ってくれる地に住む人。

  【氏子中】うじこ‐じゅう … 同一の氏神を祀る人々。

 
 日本人の名字のルーツ
  関西テレビ NMBとまなぶくん 『あなたのルーツがわかるかも !? 名字の謎を大解剖 !!』 14.07.11 放送
  朝日放送 ビーバップ ! ハイヒール 『~あなたのルーツを解き明かす~名字の謎 』 15.09.03 放送

  【名字・苗字・苗氏】みょう‐じ     Wiki 名字
   ① (代々伝わる)その家の名。姓。家名。古代では、「氏うじ」の名、また、「氏」と「姓かばね」とを併せた名。
   ② 同一の氏から分かれ出て、その住む地名などを取った家の名。


  ≪ 日本人の名字 ≫

  名字は元々、家と家を区別する為につくられました。
  平安時代、役人たちが赴任して土着した土地の名前を付けたのが名字の始まり。
  江戸時代には平民でも名字を持っている人が多くいましたが、明治になるまで貴族や武士以外は公に名乗る事は許されて
  いませんでした。

  武士階級が無くなり四民平等になった明治時代。明治3年に政府は「平民苗字許可令」を出しましたが、江戸時代の慣習に
  より名乗る人が少なかったそうです。そこで、5年後に「平民苗字必称義務令」で名乗る事を義務にしました。

  この時、名字を持たず何にするか迷った人たちは、地元の名士や名主、僧侶などに名字を付けてもらいますが、一度に多くの
  人たちの名字を考えるのが大変だったため、適当につけられた家の人たちがいます。珍名・奇名が多く誕生する事になりました。






  日本の名字の種類は10数万。これには「山崎」「山嵜」「山﨑」=「やまざき」「やまさき」など漢字の違いや読み方の違いも
  別の名字として数えるからです。

  世界で最も名字が多いのは米国で、世界中から移民が集まるので約100万種あります。中国では数千種類。
  韓国は約280種類で、「金」「李」「朴」「崔」「鄭」で人口の55%を占めます。

   ※ 韓国では同姓の結婚が禁じられているようですが、これは何代にも渡り近親で生まれた濃い血の民族なので、
     それを避ける為のようです。ちなみに韓国人の約70%が少なくとも1種類の精神疾患を持っている事が、
     韓国政府の調査で報告されています。いわゆる火病 (ファビョる)。
     日本人のルーツとして朝鮮半島からの渡来説が長らく語られていましたが、DNA解析では、日本人の大半が
     持っているD2遺伝子は、韓国人にはD系統遺伝子はほとんど見られない事から、全く違う民族である事が
     科学的に証明されています。


  ≪ 名字の由来は5つに大別 ≫  Wiki 藤原公清  Wiki 滋野井実国

   「山本」「田中」・・・ 家の周りにある象徴的な地形・風景を取り入れたもの。

   「渡辺」「佐々木」・・・ 住んでいる地名をそのまま使ったもの。 ※ 渡辺は嵯峨源氏、佐々木は沙沙貴源氏。

   「木村」「内川」・・・ 村の中心から見た方角をそのまま使ったもの。

   「大蔵」「鵜飼」・・・ 職業をそのまま使ったもの。

   「近藤」「伊藤」・・・ 藤原氏の子孫と呼ばれる「○藤」で「○とう」と読む名字。 
    近藤は近衛の職または近江 (滋賀) の藤原氏。
    加藤は加賀の守、伊藤は伊勢 (三重) の守 、藤原の末裔という意味で後藤。

  左衛門尉であった藤原公清 が「佐藤」を名乗ったのが、「○藤」という姓ができた最初だそうです。
                                                 
  【藤原公清】きんきよ (1166~1228)
   平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿。権大納言・滋野井実国しげのい-さねくに (藤原実国) の次男。
   八条または風早二位と号した。

  ※ 藤原氏の本流 (嫡系) は、「四条」や「九条」など京都の地名がついている場合が多い。

  「藤原」「藤○」は、「藤の花」を取り入れたもので、藤原氏とは関係が無いそうです。
  東北など東日本に「佐藤」姓が多いですが、多くは明治時代に勝手に名乗ったもので、藤原氏の末裔ではないようです。

  関東の藤原氏の重要神宮 中臣 (藤原) 氏の関東発祥説は嘘、中臣氏の先祖神を最初に祀ったのは東大阪の牧岡大社 (元春日)


  日本テレビ 月曜から夜ふかし 『様々な情報を整理したい件』 15.06.29 放送

  ≪ 正しい 『サイトウ』と『ワタナベ』の漢字 ≫

  苗字研究家の貴信幸男さんによると、『サイトウ』さんの『サイ』は59種類の漢字がありますが、正しいのは『斎藤』のみ。
  約6割が『斎藤』を使用。
  明治時代に役場の人が間違って戸籍に記載した事から、様々なサイトウがが生まれ、存在しない字まで誕生したそうです。




  『ワタナベ』の『ナベ』の漢字は39種類使われており、正しい本来の名字は、大阪の地名『渡辺津』を由来とする『渡辺』と、
  『ワタナブ』という仕事が由来の『渡部』の2つ。


  【名字拝領】みょうじ‐はいりょう … 主君の名字を賜って自分の名字とすること

  【名字御免】みょうじ‐ごめん … 江戸時代、平民が名字を唱えることを許されたこと。

   ※ 但し、明治時代に偉人の名字にあやかって名前を付けた場合もありますので、祖父母の出身地や親戚が名字の
     ルーツの場所に居るかどうかも確認した方がいいでしょう。

     また家系図ですが、江戸時代に家系図を作るのが流行ったそうで、その際、関係は無いのに有名な武将を先祖に
     した場合もよくあるそうです。その場合、途中に居るはずの先祖の名前が略されている事が多いようです。
     家紋もルーツを探る手がかりになりそうですが、複数の家紋を持つ家や、本家と分家と違う。
     近年新しく作った。などという事もあるそうです。

  「源氏名げんじな」… ホステスなど風俗関連でよく使われる職業上の呼び名。
   由来は平安時代の源氏物語で、登場する430人のうち6人以外の人物名が全て通称や愛称で書かれている事から。
 
 名字の発祥の地
  毎日放送 クイズ! 大阪理由学2 2012.11.07 放送
  関西テレビ NMBとまなぶくん 『あなたのルーツがわかるかも !? 名字の謎を大解剖 !!』 14.07.11 放送
  日本テレビ 月曜から夜ふかし 『様々な情報を整理したい件』 15.06.29 放送
  朝日放送 ビーバップ ! ハイヒール 『~あなたのルーツを解き明かす~名字の謎 』 15.09.03 放送
  中京テレビ 宮根誠司VS中部10県2 『地元じゃ当たり前 えっ○○知らないの』 15.12.27 放送
  関西テレビ ちゃちゃ入れマンデー 『関西ふしぎ発見! 意外と知らない名前の秘密SP』 17.04.18 放送


  ≪ 関西ルーツの名字が関西に少ない理由 ≫

  「藤原系」「鈴木」「渡辺」「佐々木」などは関西がルーツですが、関西では近所の村に住んでいると本家しか本姓の名字を
  名乗れなかったからだそうです。だから、関西では地形・風景などに由来する名字を名乗るしかなかったようです。






  「佐々木」は「沙沙貴」で、滋賀県近江八幡市の沙沙貴神社が佐々木源氏 発祥の地。







  ≪ 「鈴木」さん発祥地 和歌山県海南市 ≫  日本テレビ 月曜から夜ふかし 『和歌山について調査した件』 15.02.23 放送

  和歌山県北西部の海南市にある藤白神社の境内に鈴木さん発祥地の『鈴木屋敷』があります。
  平安時代に藤白鈴木氏がこの土地に建造したのが最初らしく、現在は子孫が絶えて空き家になりボロボロで修復中。

  「鈴木」は熊野信仰の布教の為に山伏が全国に派遣される時に名乗った名字なので、ほとんどの鈴木さんは本家とは
  血縁がない可能性が高いです。






  神社の本殿には、122代にわたり鈴木家の系譜が記されている巻物があり、日本一古いとも言われているそうです。
   ※ 系譜なので、鈴木から分かれた名字が記されていると思われます。

  【饒速日命】にぎはやひ‐の‐みこと
   記紀神話で、天孫降臨に先立ち天より降り、長髄彦の妹 三炊屋姫みかしきやひめを妃としたが、神武天皇東征の時、
   長髄彦を誅して天皇に帰順したという。物部氏の始祖と伝える。

  【物部氏】もののべ‐し         物部氏 古代、河内国の有力豪族。嫡流は石上氏。
   古代の大豪族。姓かばねは連むらじ
   饒速日命にぎはやひのみことの子孫と称し、天皇の親衛軍を率い、連姓諸氏の中では大伴氏と共に最有力となって、族長は
   代々大連おおむらじに就任したが、6世紀半ば仏教受容に反対、大連の守屋は大臣の蘇我馬子および皇族らの連合軍と
   戦って敗死。律令時代には、一族の石上いそのかみ榎井えのい氏らが朝廷に復帰。


  ≪ 「渡辺」さん発祥の地 大阪市 ≫   Wiki 坐摩神社  大阪の渡辺津

  坐摩いかすり神社は、平安時代中期の武将「渡辺綱」が日本で初めて「渡辺」姓を名乗った場所として知られます。
  創建時は摂津国の淀川河口あたり渡辺(現在のの大阪市北区南部・中央区北部)にあったそうですが、天正11年(1583年)の
  大坂城築城に際して、現在の中央区久太郎町に遷座したそうです。

  この境内の中だけは渡辺町とされていたが、1988年、南区と東区統合の際、町名が消える事になったが、全国の渡辺会などの
  反対署名により、現在は「久太郎町四丁目渡辺」と、番地名として残る事になりました。






  【 渡辺綱 】わたなべ-の-つな(953~1025) 平安中期の武将
   嵯峨源氏から出て、摂津渡辺に住んだ。摂津源氏 (兵庫県川西市多田) 源頼光の四天王の一人。
    (他は坂田金時・卜部季武・碓井貞光)
   洛北の市原野いちはらので鬼同丸を、大江山で酒呑童子を殺し、また羅生門の鬼を退治したという伝説が残っています。
   子孫は中世武士団の渡辺党と呼ばれ、内裏警護に従事する滝口武者として、また摂津国の武士団として住吉(住之江)の
   海(大阪湾)を本拠地として瀬戸内海の水軍を統轄し、源平の争乱から南北朝にかけて活躍した。
   また九州の水軍松浦党の祖の松浦久も渡辺氏の出だそうです。

  渡辺一族は、船に関係する仕事で栄えたので、日本各地の海に関係する場所に住む人たちが多いようです。

  ちなみに、『守貞謾稿』には「渡辺村の○○が」と度々出てきますが、江戸時代に別の地域から移住させたられた事も
  書かれていますので、渡辺さんとは関係ありません。 ○○=差別語

  被差別部落民は人が嫌がる仕事を生業とさせられて貧民のイメージがありますが、江戸時代から農民よりも遥に立派な
  家屋と裕福な生活を送っていた人がいる事も『守貞謾稿』に書かれています。
  大坂の場合は消防活動にも参加していたそうです。 大坂が日本一清潔だったのは被差別部落民のおかげでもある


  ≪ 大阪府泉州地区 岸和田市・泉佐野市 発祥の名字には「谷」がつくのが多い ≫

  「鍛冶谷」「糀谷」「安松谷」「長滝谷」「熊取谷」「小間物谷」「山出谷」「大和谷」
  「王子谷」「刀谷」「日根野谷」など「○○」と書いて「○○」という名字が多い。

  明治に名字を名乗る事になった際、商人が多かった港町の泉州地区では店の屋号と区別
  する為に「鍛冶屋」→「鍛冶谷」など「屋」を「谷」に変えて名字とした人が多かったから
  だそうです。

  泉佐野市で明治元年に創業した「熊取谷」さんは、元々醤油・味噌の店でしたが、創業者の

  熊取谷文部が、この地域で初めて郵便局を開局し、映画館・芝居小屋・魚市場など手広く事業を興し、
  相撲部屋を持っていた時期もあったそうです。現在は、味噌などを販売する熊文商店だけが残っています。

  堺では、店名から「屋」を取って名字にした名前が多いそうです。


  ≪ 「高橋」さん発祥の地 奈良県天理市 ≫

  石上神宮から古道『山の辺の道』で繋がる『布留ふるの高橋』という橋。
  万葉集の中の歌で詠まれている橋で、この近辺に住んだ人が『高橋』を名乗り、ここから全国に『高橋さん』の名字が
  広まったそうです。

  奈良時代、道昭(河内の人、629~700)・行基(河内の人、668~749)師弟が畿内を中心に全国を巡り橋梁や溜池などの
  土木事業を民衆と共に行いました。当時、橋は少なく橋の近くに住んでいる事はステイタスだったそうです。






  【石上神宮】いそのかみ‐じんぐう
   奈良県天理市布留町にある元官幣大社。祭神は布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ。二十二社の一つ。
   布留社ふるのやしろ。所蔵の七支刀が著名。

  【内膳司】ないぜん‐し、うちのかしわでのつかさ。
   律令制で、宮内省に属し、天皇の食事の調理・試食をつかさどった役所。
   長官は二人で奉膳ぶうぜんといい、高橋・安曇あずみ両氏の者が任ぜられ、他氏が長官の場合は内膳正ないぜんのかみないぜんのしょう
   を称した。その下に典膳・膳部などがいる。

  720年の『日本書紀』に記載されている神宮は、伊勢神宮と石上神宮(物部氏末裔の石上氏)のみ。
    ↑ 元々の神宮が付くのは、この2社のみ。
  平安時代に藤原氏の権力が強くなって、石上神宮が外され、伊勢神宮と、藤原氏所縁の香取神宮、鹿島神宮が延喜式に記載。


  ≪ 「アベ」さんの発祥地 奈良県桜井市 ≫  Wiki 安倍文殊院

  「安倍」「安部」「阿部」など、全ての「アベ」姓の発祥地は奈良県桜井市の安倍文殊院に祀られている安倍倉梯麻呂に
  由来するそうです。安倍文殊院などがある一帯は当時は広大な敷地を持つ安陪寺があったそうです。

  平安時代、安倍氏は東北の経営に大きく携わり民衆の生活を大きく改善。民衆に慕われた事から、東北で「アベ」姓が
  多く名乗られるようになったそうです。






  後に、北九州にも進出。違う漢字を使う事でそれぞれ区別。福岡県~大分県に多い「安倍」。
  大分県に集中するのが「安辺」。福岡県に集中するのが「安陪」。

  【安倍倉梯麻呂・阿倍倉梯麻呂】あべ‐の‐くらはしまろ (生年未詳~649) コトバンク
   7世紀前半の官人。阿倍内麻呂と同一人物で摩侶とも記す。推古朝の大夫阿倍鳥の子で,『公卿補任』には大鳥大臣と
   号したとある。
   推古32 (624) 年蘇我馬子の命を受け,葛城県を譲与するよう奏請。推古の死後には蘇我蝦夷と後継天皇を決める会議を
   共催し,田村皇子(のちの舒明天皇)を擁立。
   大化1 (645) 年の乙巳の変 (大化の改新) 後,左大臣に就任した。なお娘の小足媛が孝徳妃となって有間皇子を生み,
   橘娘が天智妃となって飛鳥皇女,新田部皇女を生んでいる。大化4年四天王寺 (大阪市天王寺区) に仏像4体を安置して
   霊鷲山を作り,また『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』には斉明朝に百済大寺造寺司となったとある。


  ≪ 「小野」さんの発祥地 滋賀県大津市 ≫

  近江国滋賀郡小野村 (現在の滋賀県大津市小野) に、孝昭天皇の末裔が住み着き、地名の「小野」を名乗ったのが始まり。
  大津市小野には小野妹子の墓と言われる唐臼山古墳があります。

  【孝昭天皇】こうしょう-てんのう
   記紀伝説上の第5代の天皇。第4代の懿徳いとく天皇の第1皇子。名は観松彦香植稲みまつひこかえしね






  奈良時代に遣唐使として小野妹子が選ばれて以降、小野一族から多くの外交官を輩出。
  平安時代は京都市山科区小野あたりに小野一族は住んでいました。
  991年に創建された随心院には、小野小町の化粧けわいの井戸や、貰った恋文などを祀った文塚などがあります。


  ≪ 「錦織」さんの発祥地 滋賀県大津市 ≫

  「にしきおり」より、「にしこり」の読み方の方が古いそうです。古代、錦を織る職業の人たちが、現在の大津市錦織にしこり町に
  住みました。ルーツの地を離れると、読みづらい名字は移動した地域に合わせて読み方を変える事がよくあるそうです。
  その結果、「にしこり」→「にしきおり」という名前に変化した家もある。

  【錦織部】にしごり-べ … 大和政権で、錦・綾を織った品部しなべ。大陸の技術を伝えた。錦部。






  同じく、服飾関係の仕事から発祥した「服部」も「機織部」→「服織部」 が由来。

  呉服の発祥とされる呉服くれは神社 古墳時代の応神天皇の時 大阪府池田市に、中国の姉妹が渡来し技術を伝えた
  関東の藤原氏の重要神宮 中臣 (藤原) 氏の関東発祥説は嘘、中臣氏の先祖神を最初に祀ったのは東大阪の牧岡大社


  ≪ 静岡県御殿場市は『カツマタ』さんが多い ≫

  名字発祥の地には同姓の人が多い事は珍しくありませんが、
  カツマタの漢字が4種類。漢字を伝える場合、
  『勝又』は「ひっかけまた」と説明。『勝俣』は「にんべん
  また」、『勝亦』は「あかまた」、『勝間田』は「かつかん
  でん」と言えば伝わるそうです。

  
 
 
 珍しい名字の成り立ち
  関西テレビ NMBとまなぶくん 『あなたのルーツがわかるかも !? 名字の謎を大解剖 !!』 14.07.11 放送

  ≪ TVで紹介されていた名字のルーツ ≫

  いちじく … 一字で「九」と読むから。  もぎき … 「木」から下の「八」の部分 (枝)を捥いだ。

  四月一日つぼみ … 4月1日には、まだ桜の花が咲いていない事から。

  月見里やまなし … 静岡県の高い山がない場所の地名が由来。

  小鳥遊たかなし … 和歌山県の鷹がいない平和な土地が由来。

  栗花落つゆいり、つゆり … 兵庫県神戸市北区発祥。梅雨入りの時期に栗の花が落ちる事から。

  鴨脚いちょう … 京都府の下賀茂神社の神官の一族。鴨の足の形が銀杏いちょうの葉に似ているから。
            ※ 賀茂・鴨、「カモ」系は神職に多いようです。



  剛力ごうりき … 登山の荷物を背負う職業がルーツ。静岡県三島市だけが「剛力」と書き全国で20世帯ほど。

  能年のうねん … 兵庫県姫路市の地名「南畝」が由来で兵庫から山陰地方に点在する名字。

  佐村河内さむらごうち … 広島県西部に40人ほど、河内=川沿いに開発した田んぼ、佐村=地名か田んぼを開発した人の名字から。

  門脇かどわき … 平清盛の弟の教盛が、京都の六波羅の近くに家を構え門脇中納言と呼ばれた事から、もしくは城や屋敷の脇に
            家があった。どちらにしても身分が高い家系の名字だったそうで、島根、鳥取、高知、秋田に集中している。

  一口いもあらい … 建物が密集し、出口が1つしかない場所の近くに住んだ人から。

  浮気ふけ … 湿気が多い土地の事を「浮気ふけ」と呼んでいた事から。
          後に「うわき」という言葉が生まれ「浮気」という漢字が充てられた。

  貫地谷かんじや … 広島市西条町発祥で全国に10世帯以下しかない希少な名字。
              戦国時代以前の米のとれ高の単位は「貫かん」で、1貫分の米がとれる田んぼがある谷に住んでいた事から。

  ≪ 珍名でも由緒正しい名字もある ≫ 主君などから名字をもらう場合。

  小粥こがゆ… 敗戦した徳川家康をお粥で、もてなした事から与えた名字。

  昼間ひるま … 家康が夜間に川を渡る際、松明たいまつで昼間同様に明るく照らした村人に感謝して与えた名字。

  出来でき … 徳川吉宗が、紀州 (和歌山県) の鉄砲製造職人の出来栄えの良さに感動して与えた名字。

  同姓同名探しと名前ランキング検索 http://namaeranking.com/  (←URLが長いので省略してあります)
  ルーツ製作委員会 『名字由来net』 http://myoji-yurai.net/   同姓同名辞典 http://www.douseidoumei.net/00/sei01.html
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