手づくり アイスの店 マルコポーロ
日本文化の雑学2 日本の伝統芸能
 大阪府 羽曳野市伊賀5丁目9-6

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このページの最終更新日:   20.02.05
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日本文化の雑学  INDEX
 

  Page Contents



 雅楽、能楽、人形浄瑠璃 (文楽)、歌舞伎狂言など、日本の伝統的な芸能文化の情報を集めているページです。

 伊勢神宮舞楽 「延喜舞」

 カラクリ人形芝居も大坂の名物だった  (文楽とは異なる)

 京都の南座と香川県の金丸座
  歌舞伎発祥の地、日本最古の劇場 京都・南座、 現存する日本最古の芝居小屋 香川県琴平町の金丸座

 徳島県 阿波おどり 「徳島城築城」と「阿波踊り」と「滝のやき餅」
  明治時代、日本文化を欧州に広めた ヴェンセスラウ・デ・モラエス
  2015年5月 日本三大盆踊りの一つ『阿波おどり』がフランスのパリに進出予定 


  独立行政法人 日本芸術文化振興会 『文化デジタルライブラリー 「寄席の歴史」』
   http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/rekishi/index.html

 日本の伝統芸能 (神楽、雅楽)    大阪のお笑い文化 上方落語 大坂の落語家が江戸へ落語を伝えた。

 雅楽 6つの基本となる楽器

 能楽   上方歌舞伎狂言と大阪の芸能

 浄瑠璃 (文楽) も大阪を中心に関西で発展した。 
  100歳の現役 義太夫節 三味線の師範 女性人間国宝
  2014年4月、関西経済界がアーツサポート関西を設立、8月文楽に支援金を寄付

 君が代のルーツも大阪・京都・奈良

  おすすめサイト 歴史の雑学が色々と載っています。
   株式会社まぼろし 歴史雑談録 http://rekishi.maboroshi.biz/about/
   歴史研究所 『日本史』 http://www.uraken.net/rekishi/rekijap.html
   NAVER まとめ 『再現された江戸時代の日本人の食事』 http://matome.naver.jp/odai/2134329123090279301

  国立国会デジタル図書館 で下記の文献 (原文のまま) などが無料公開されています。PDFで一括ダウンロード可能になりました。
  和漢三才図会 105巻 明治17~21年版 中近堂
   上之巻 『大目録 ~ 36女工具』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898160
   中之巻 『37畜類~71伊賀』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898161
   下之巻 『72山城~105醸造類』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898162
  嬉遊笑覧 上巻 喜多村信節 著 昭和7年版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123091
  嬉遊笑覧 下巻 喜多村信節 著 昭和7年版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104
  江戸時代のさまざま 三田村鳶魚 昭和4年刊 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187205
  類聚近世風俗志 : 原名 守貞漫稿. 上 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444386
  類聚近世風俗志 : 原名 守貞漫稿. 下 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1053412
  皇都午睡 : 三編 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763829/9
  東京年中行事. 上の巻 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991464/32
  東京年中行事. 下の巻 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991465
  江戸時代のさまざま 三田村鳶魚 昭和4年刊 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187205
  明治事物起原 石井研堂 1908年(明治41年) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898142/1

  人文学オープンデータ共同利用センター 「日本古典籍データ」 無料で一括ダウンロード可能ですが 7Gほど必要です。
  和漢三才図会 105巻 1712年初版の大坂杏林堂版 (味の素所蔵品) http://codh.rois.ac.jp/pmjt/book/100249312/

  人文学オープンデータ共同利用センター 「源氏物語」「豆腐百珍」など多くの古典文献 (原文のまま) が無料公開されているサイトです。
  http://codh.rois.ac.jp/pmjt/

  
 日本の伝統芸能 (日本各地に色々ありすぎなので、神楽、歌舞伎などの一部だけ簡単に紹介。)
  朝日放送 ビーバップ! ハイヒール 『秋の番組感謝祭』 13.09.05 放送 / 広辞苑 など より
  読売テレビ 秘密のケンミンSHOW 『連続転勤ドラマ 辞令は突然に… 「島根」』 14.02.21 放送

  読売テレビ かんさい情ネットten. 『若一光司のミステリーファイル 「日常よく使うこれらの言葉の語源は●●だった!」』 14.06.25 放送






  ≪ 神楽 ≫

  【神楽】 かぐら (「かむくら(神座)」の転) 神遊かみあそび
   皇居および皇室との関連が深い神社で神をまつるために奏する歌舞。伴奏楽器は笏拍子しゃくびょうし・篳篥ひちりき
   神楽笛かぐらぶえ・和琴わごんの4種。毎年12月に賢所かしこどころで行われるものが代表的。と区別する場合は御神楽という。

  【賢所】 かしこ‐どころ、けんしょ。 (恐れ多く、もったいない所の意)。
   宮中で、天照大神の御霊代みたましろとして神鏡の八咫鏡やたのかがみを模した別の神鏡を祀ってある所。
   内侍所ないしどころともいった。平安時代は温明殿うんめいでん に、鎌倉時代以後は春興殿にあった。
   現在は皇居吹上地区にあり、神殿・皇霊殿と共に宮中三殿という。

  【御神楽】 み‐かぐら … 宮中で行う神楽。
   
  【里神楽】 さと‐かぐら … 禁中の御神楽に対して、諸社や民間で行う神楽。また、村里で行われるひなびた神楽。


  ≪ 島根県の石見神楽 ≫

  島根県の西部の石見いわみ地方は、石見銀山で栄えた地域。こちらでは現在でも様々な面をつけて舞う『石見神楽』が
  盛んに行われています。神社の奉納の際には必ず神楽を舞い。結婚式の余興でも定番。
  また般若の面を玄関に飾るのが一般的。睨みをきかせて邪気を払うと言われています。






  日本海に面する浜田市 (松平氏 5万石の城下町) の道の駅『ゆうひパーク浜田』には専用のステージが設置されており、
  月2回のペースで神楽のイベントがあります。
  同市内の幼稚園での人気の遊びは『神楽ごっこ』だそうで、ほとんどの子が太鼓のリズムを奏でられるらしいです。


  ≪ 日本の祭 ≫

  nippon.com 『【日本の祭り】全国お祭りMAP』 http://www.nippon.com/ja/features/h00010/ 
      ↑ 日本の有名な祭など、(各国語で日本の情報を紹介しているサイト)

青森県
ねぷた祭り
2012 弘前ねぷた祭り ハイライト http://www.youtube.com/watch?v=ctHN1E6AtcA
徳島県
阿波踊り
はな・はる・フェスタ2013 春らんまん阿波おどり http://www.youtube.com/watch?v=wBrXtbS4OI8
高知県
よさこい祭り 高知よさこい全国大会2013~ほにや 大賞受賞 (高知城)
 http://www.youtube.com/watch?v=fdZboPhTdOM
福岡県
博多祇園山笠 博多祇園山笠(追い山) http://www.youtube.com/watch?v=-hNd6vuLxXE


  ≪ 雅楽 ≫  日本最古の官寺 聖徳太子建立の四天王寺  Wiki 雅楽  Wiki 三方楽所

  5世紀に大陸から伝わった音楽や舞が、平安時代の日本で雅楽として完成。このシルクロード文化や芸術が現在まで
  継承されているのは日本だけ。
  京都の宮中、大坂の四天王寺、奈良の南都 (興福寺) という3ヶ所の雅楽スタイルがありました。

  上記の三方楽所さんぽうがくそは、それ以前からありますが、江戸時代初期に一方17人ずつ計51人の伝承組織として
  制度化されました。基本6つの楽器で構成される「世界最古のオーケストラ」とも言われるそうです。

  明治時代になると、三方楽所の楽人は東京へ移り、江戸幕府の紅葉山楽人と合流して宮内省雅楽部に編成され、
  現在は宮内庁式部職楽部として活動。宮内庁式部職楽部の雅楽は重要無形文化財に指定。

  天王寺方の伝統を受け継ぐ聖霊会の舞楽は重要無形民俗文化財であり、南都方は春日大社を中心として、
  雅楽のみならず、田楽、細男などの古楽もあわせて伝承し、「春日古楽保存会」雅楽部門を経て「南都楽所」を結成、
  「南都楽所」による春日若宮おん祭の神事芸能も重要無形民俗文化財に指定されています。






  【雅楽】が‐がく
   (雅正の楽舞の意)元来は古代中国の祭祀用楽舞を指したが、日本では饗宴用楽舞をも含む宮廷の楽舞の総称。
   国風歌舞くにぶりのうたまい ・外来楽舞・歌物うたいものに大別される。
   国風歌舞は、神楽かぐら・東遊あずまあそび・久米舞くめまいなど、日本古来の皇室系・神道系の祭祀用歌舞。
   外来楽舞は唐楽とうがくと高麗楽こまがくから成る宮廷の饗宴用楽舞で、平安初期までに伝来した楽舞に基づく。
   歌物は平安中期ごろ成立の饗宴用の声楽曲で、催馬楽さいばらと朗詠ろうえい。狭義の雅楽は外来楽舞を指す。

  【雅楽寮】ががく‐りょう うたのつかさうたまいのつかさうたりょう
   律令制で、治部省に属し、宮廷音楽の楽人管理・歌舞教習などをつかさどる役所。

  【伶人】れい‐じん 楽人がくじん楽官
   音楽を奏する人。特に雅楽寮で雅楽を奏する人。 
   伶人の淡紫色の冠に似た花を咲かす事から「伶人草」の名前が付いた植物がある。
   ※ 天王寺区の伶人町は、四天王寺の雅楽の楽人が住んだ名残りです。

  【楽所】がく‐しょ、がくそ
   宮中の桂芳坊にあって雅楽をつかさどった所。948年(天暦2)創置、1870年(明治3)まで存続。
   令制の雅楽寮 (治部省に属し、宮廷音楽の楽人管理・歌舞教習などを司る役所) に実質的にとって替わる。

  特に四天王寺は個性にあふれる独自の雅楽発達。鎌倉時代末期の吉田兼好の徒然草に「都に恥ぢず」とあり
  評価も高かったようです。日本各地へは、主に大坂から伝わったようです。

  広島県の厳島神社の平舞台、大阪府の住吉大社の石舞台、大阪府の四天王寺の石舞台が、重要文化財に
  指定される三舞台






  【篳篥】ひち‐りき
   雅楽の管楽器。推古朝末期に中国より伝来。大小の篳篥があったが、平安中期からは小篳篥のみ奏される。
   小は長さ6寸(約18.2㎝)の竹管の表に7孔、裏に2孔をあけ、その間に樺かばの皮を巻き、上端に蘆製の舌(蘆舌ろぜつ)を
   挿入する。舌の中途に籐でつくった帯状の責せめをはめて、音色・音量を調節し、縦にして吹く。
   雅楽の主要旋律楽器で、初め唐楽、のち高麗楽および東遊などの日本古来の楽舞や催馬楽・朗詠に至る各種の歌曲の
   伴奏にも用いられる。

  【笙】しょう そうのふえそう
   雅楽の管楽器。奈良時代に中国から伝来。木製椀型の頭かしら の周縁に、長短17本の
   竹管を環状に立て、うち2本は無音、他の15本それぞれの管の外側または内側に指孔、
   管の脚端に金属製の簧したがある。頭にある吹口から吹き、または吸って鳴らす。
   単音で奏する一本吹の法(催馬楽さいばらや朗詠の伴奏などに用いる)と、6音または
   5音ずつ同時に鳴らす合竹あいたけの法(唐楽の楽曲に用いる)とがある。笙の笛。鳳笙。

  【竜笛】りゅう‐てき 横笛おう‐てき竜鳴竜吟ようじょう
   雅楽の管楽器。横吹きの笛。主に唐楽に用い、催馬楽・朗詠・倭歌・久米歌・大歌など
   にも用いる。歌口のほかに7指孔を持つ。全長約40㎝。


  【鉦鼓】しょう‐こ
    雅楽の打楽器。青銅または真鍮の皿形を懸垂し内側を2本の桴ばちで打つ。大おお鉦鼓・釣鉦鼓・荷にない鉦鼓の3種がある。

  【太鼓】たい‐こ
   打楽器の一つ。胴の両面または片面に革を張り、打ち鳴らすものの総称。
   大太鼓だだいこおおだいこ ・楽太鼓がくだいこ・締太鼓しめだいこなど多くの種類がある。

  【羯鼓】かっ‐こ (もと中国に羯けつより伝来したからという) 鞨鼓両杖鼓
   雅楽の唐楽に用いる打楽器。木製の胴と2枚の革面を調紐で締めたものを台に据え、
   2本の桴ばちで打つ。

  【林広守】はやし‐ひろもり (大阪出身、1831~1896)  Wiki 林廣守  Wiki 奥好義
   雅楽家。雅楽局大伶人、のち伶人長。笙の名手。「君が代」制作の名義上の代表者
   (本当の作曲者は京都出身の奥好義よしいさ1858~ 1933)。


  雅楽に欠かせない 高槻市の鵜殿のヨシ 新名神道路建設で危機。    君が代のルーツも大阪・京都・奈良 (このページ内、下)
  日本には9つの言語があった 雅楽用語が語源になった言葉など
  沖縄の三線 (堺へ伝来し三味線のルーツに)

  雅楽「君が代」 http://www.youtube.com/watch?v=Hz-uS_CC11g
  「雅楽を楽しむ」 『雅楽』ってどんな音楽? (1/2) http://www.youtube.com/watch?v=Ngo5Zs_Sg3w
  「雅楽を楽しむ」 『雅楽』ってどんな音楽? (2/2) http://www.youtube.com/watch?v=-77jBeNsh58


  東海テレビ 伊勢神宮舞楽 延喜楽 20.01.02 放送

  ≪ 伊勢神宮舞楽 ≫






  番組の下に流れた解説テロップ
  延喜楽えんぎらく・・・朝鮮半島に起源を持つ舞楽とされ、またの名を「花栄楽かえいらく」ともいう。
  醍醐天皇の延喜8年 (西暦908年) に楽曲を藤原忠房が、舞を式部卿しきぶきょう敦実あつざね親王が作り、
  その元号を採って楽曲とした。
  大変めでたい舞で、慶賀の節には必ず奏されたといわれ、また行幸の際などに奏されたとの記録も多く残る。
  舞人の装束は萌黄色の襲かさね装束しょうぞくで袍の右肩をぬいた「方肩袒かたかたぬき」の姿。  袍=わたいれ
  その舞振りはゆったりとして、静かで柔らかく優雅な趣に富んでいる。

 
 能楽
  NHK Eテレ スーパー能 『世阿弥』 13.10.06 放送
  NHK Eテレ 歴史にドキリ 『足利義満・義政 ~室町文化の発展~」 14.07.16 放送
  NHK Eテレ 高校講座 日本史 『室町時代の交易と文化』 14.07.25 放送

  ≪ 能楽 ≫のう‐がく 世界遺産。  Wiki 能

  日本芸能の一つで、能と狂言との総称。平安時代以来の猿楽から鎌倉時代に歌舞劇が生まれ、能と呼ばれました。
  主に武家が好んだようです。

  それに対して猿楽本来の笑いを主とする演技は科白劇の形を整えて、狂言と呼ばれるようになりました。
  両者は同じ猿楽の演目として併演されてきたが、明治になって猿楽の名称が好まれなくなり、能楽の名と
  置きかえられました。

  現在、観世かんぜ ・宝生ほうしょう・金春こんぱる・金剛こんごう・喜多きたのシテ方5流のほか、ワキ方3流(宝生・福王・高安)、
  狂言方2流(大蔵・和泉)、囃子方14流があります。






  【猿楽・申楽】さる‐がく / さるごう。 (「散楽さんがく」の転訛という)
   平安時代の芸能。滑稽な物まねや言葉芸が中心で、相撲の節会や内侍所御神楽の夜などに演じた。
   後には一時の座興の滑稽な動作をも猿楽と呼んだ。広義には呪師じゅし田楽でんがくなどをも含む。
   鎌倉時代に入って演劇化し、能と狂言となる。

  【呪師】じゅ‐し、しゅ-し、す-し、ず-し、のろん-じ
   日本芸能の一つ。広義の猿楽に属し、平安末から鎌倉時代に行われた。の行う呪法の内容を演技によって
   一般の目に明らかにするもので、法会ほう-え(仏の教えを説き聞かせる会、死者を供養する会)に付随する芸能で
   あったが、後に独立の鑑賞芸能ともされた。華麗な装束で敏速に動くので、その演技を「走り」(呪師走)と称した。

  【田楽】でん‐がく
   日本芸能の一つ。平安時代から行われた。もと、田植などの農耕儀礼に笛・鼓を鳴らして歌い舞ったものに
   始まるというが、やがて専門の田楽法師が生まれた。
   笛吹きを伴い腰鼓・銅子どびょうし ・簓ささらなどを鳴らしながら踊る田楽躍おどりと、高足こうそくに乗り品玉しなだま
   つかい刀剣を投げなどする曲技とを本芸としたが、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、猿楽と同様に歌舞劇で
   ある能をも演ずるようになった。後に衰え、寺社の行事だけに伝えられて今にいたる。





  【大和猿楽】やまと‐さるがく
   室町時代、大和国に住し、春日神社の神事に従事した 結崎ゆうざき ・ 外山とび ・ 円満井えんまい ・ 坂戸さかどの4座の猿楽。
   後にそれぞれ 観世 ・ 宝生 ・ 金春こんぱる ・ 金剛の4座となった。
    ※ 中世、猿楽師の結成した団体である猿楽座の多くは寺社に属していた。上記の大和四座が有名。



  【観阿弥】かんあみ、かんなみ(1333~1384) 名は清次きよつぐ。芸名、観世。法名は観阿弥陀仏(観阿弥・観阿)。
   南北朝時代の能役者・能作者。奈良で活躍した山田猿楽美濃大夫の養子の3男。長兄が宝生大夫。
   世阿弥の父。観世元重(音阿弥)の祖父。大和猿楽結崎ゆうざき座(後の観世座)に所属。
   京に進出し足利義満に見出され、大和猿楽の向上をはかった。芸域が広く、近江猿楽や田楽の長所を取って
   幽玄な芸風をうち出し、曲舞くせまいを取り入れて謡の様式を改革。
   作能に「自然居士じねんこじ」「卒都婆小町」「通かよい小町」「松風」などの原曲がある。





  【世阿弥】ぜあみ (1363?~1443?)  Wiki 世阿弥
   大和猿楽の観世座2代目の大夫。幼名、藤若。通称、三郎。実名は元清。室町初期の能役者・能作者。
   父観阿弥の通称観世かんぜの名でも呼ばれ、法名的芸名は世阿弥陀仏(世阿弥・世阿)。晩年、至翁・善芳。
   足利義満の庇護を受け、ついで鑑賞眼の高い足利義持の意にかなうよう、能を優雅なものに洗練すると共に、
   これに芸術論の基礎を与えた。「風姿花伝」「花鏡」ほか多くの著作を残し、夢幻能形式を完成させ、
   「老松」「高砂」「清経」「実盛」「井筒」「桧垣」「砧」「融とおる」など多くの能を作り、詩劇を創造した。

  【世阿弥十六部集】ぜあみ‐じゅうろくぶしゅう … 世阿弥の能楽伝書集。1909年(明治42)吉田東伍が集成。

  【音阿弥】おんあみ、おんなみ。 観世元重かんぜ‐もとしげ(1398~1467) 世阿弥の弟四郎の子。
   室町中期の能役者。足利義教・義政時代の名手。観世流3世。通称、三郎。法名、音阿弥。
   はじめ世阿弥の養嗣子となるが、のち廃嫡されたらしく、義教の後援のもとに世阿弥の実子の観世元雅と
   対立して圧倒した



  大阪府八尾市 「能楽」と関わりが深く、八尾発祥の流派もあった。 八尾市高安の女性の物語が演目の曲目「高安」が300年ぶりに復活







  【スーパー能 「世阿弥」】 新しい演出を試みた「能」の特別舞台

  能を大成した世阿弥の生誕650年を機に、これまでに無い能の新しい形の演出で話題になった作品。
  東京都渋谷区にある国立能楽堂(委嘱作品)30周年記念特別公演で、 スーパー能「世阿弥」は2013年に初舞台が
  公開されました。





  原作は哲学者の梅原猛さん、演出は能楽師で主演の梅若六郎玄祥さん。昔の言葉で演じてきた能を分かりやすく、
  現代語で演じ、照明効果も使うなど、伝統を守りながらも新しい演出を加え、「能」が次世代、100年後、200年後にも
  継承されていくようにする試みです。

  MSN 産経ニュースWest 13.05.27 『見た!梅原猛さん書き下ろしのスーパー能「世阿弥」』
   http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130527/wlf13052716300020-n1.htm
 
 歌舞伎
  ≪ 歌舞伎 ≫かぶき 歌舞を演奏すること。 Wiki 歌舞伎  江戸歌舞伎

  平安時代前期の869年成立の日本後紀
  伊勢斎宮新嘗会を停む。但し歌舞伎を以て九月祭に供す

  重要無形文化財(1965年4月20日指定)。
  歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は、2005年にユネスコに
  おいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。

  沖縄の三線 (堺へ伝来し三味線のルーツに)

阿国歌舞伎

  【歌舞伎・歌舞妓】
    ① 天正1573~1592年頃に流行した俗語「カブク」の連用形から → ふざけた振舞い。異様な風俗。
    ② 歌舞伎踊の略。 ③ 歌舞伎劇の略。


  ≪ 歌舞伎踊/歌舞伎劇の発祥 ≫

   江戸初期の慶長の頃、「出雲大社の巫女」 と称する阿国おくに (没年は1613年(慶長18)以後)が、京都へ出て
   演じた流行歌はやりうたや、念仏踊などをまじえた演劇。歌舞伎芝居の始め。

  【女歌舞伎】 遊女歌舞伎
   江戸幕府成立前後に流行した、歌踊を主とする演劇。阿国歌舞伎などに始まり、多く遊女が出演し、風紀を
   みだすとして1629年(寛永6)禁止された。

  【若衆歌舞伎】
   江戸初期に、前髪のある少年俳優の演じた歌舞伎。女歌舞伎禁止の後を承けて行われ、1652年(承応1)禁止。

  【野郎歌舞伎】
   初期歌舞伎の一つ。1652年(承応1)若衆歌舞伎が禁止された後を受けて起こったもの。前髪を剃り落として
   野郎頭とさせたことから名づける。

  【歌舞伎劇】
   阿国歌舞伎に発源し、江戸時代に興隆、独自の発達を遂げた日本特有の演劇。史実・伝説や社会事象を、
   俳優が主として江戸時代およびそれ以前の人物に扮し、音楽・舞台装置の補助によって演ずる技芸で、
   舞踊の要素をも含む。歌舞伎芝居。旧劇。

   朝日新聞 13.04.10 朝刊



  【上方狂言】
   京坂地方独特の柔らかみと色気とを持つ歌舞伎狂言
   元禄(1688~1704)期の坂田藤十郎(京都の人、1647~1709、和事師の祖)が上演した狂言や、
   宝暦(1751~1764)以降の義太夫狂言が代表。

  和事わごと … 歌舞伎劇で、男女の恋愛・情事の演出様式。また、その場面。
  義太夫ぎだゆう狂言 … 江戸初期の浄瑠璃太夫。義太夫節の開祖である竹本義太夫(摂津 天王寺村の人、
    1651~1714)が、近松門左衛門の作を語って操り人形浄瑠璃を大成。
    人形浄瑠璃の戯曲を移入したものを、義太夫狂言と総称する。

  【島原狂言】しまばら‐きょうげん
   傾城けいせい買い(遊女を買って遊興すること。女郎買い。)のさまを演ずる歌舞伎狂言。
   1650年(慶安3)頃、京都の島原から江戸にも流行。のち転じて、京都で歌舞伎狂言の意に用いた。

  【道化方・道外方】どうけ-がた
   (元禄頃より天明・寛政頃までの語) 歌舞伎で、滑稽なわざをして人を笑わせる役。三枚目。道化役者。


  【江戸狂言】 江戸独特の歌舞伎狂言。 江戸歌舞伎
   歌舞伎十八番の荒事や、河竹黙阿弥。(1816~1893)によって完成された生世話物きぜわものがその代表。

  荒事あらごと… 歌舞伎で、怪力勇猛の武人や超人的な鬼神などによる荒々しく誇張した演出様式。また、その狂言。
  市川団十郎 (成田屋1660~1704)が創出、江戸歌舞伎の特色となった。

  【中村勘三郎】(山城の人、1598~1658) 歌舞伎俳優。江戸中橋南地に猿若座創設、後に中村座と改称。
            以後代々座元と俳優とを兼ねた。

  【坂東三津五郎】(大坂の人、1745~1782。江戸へ下った。歌舞伎俳優。屋号、大和屋


  【播州歌舞伎】 高室芝居。
   今の兵庫県加西市北条町東高室に元禄(1688~1704)年間に起こったとされる地芝居。
   明治期には西日本の各地で興行した。

  ※ 歌舞伎や狂言、浄瑠璃などは、日本各地などにもあり、色んな種類があるようです。
   上方では柔らかい表現が好まれ、江戸では荒々しい表現が好まれた事が分かります。


  関西テレビ みんなのニュース ワンダー 『関西今昔ウォーカー 「京都・四条」』 16.04.29 放送

  ≪ 歌舞伎発祥の地、日本最古の劇場 京都・南座 ≫ Wiki 南座

  南座は京都府京都市東山区四条にある劇場。正式名称は京都四條南座。近代建築に桃山風の意匠を取り込んだ地上4階・
  地下1階の建物は1996 (平成8) 年から国の登録有形文化財となっています。
  現在、松竹が経営。2016年1月19日から耐震工事などによって休館中 (工事期間未定)。

  【南座】みなみ‐ざ
   京都市にある歌舞伎劇場。元和(1615~1624)年間公許の七座のうち、唯一現在まで続く。
   阿国おくに歌舞伎が催された四条河原の畔にあり、江戸時代は祇園など近隣の遊里とともに賑わった。






  【破風・搏風】は‐ふ  Wiki 破風
   日本建築で、屋根の切妻きりづまについている合掌形の装飾板。また、それのついている所。唐から破風・千鳥ちどり破風などがある。

  南座に隣接する『総本家にしんそば 松葉』は幕末の1861年に創業。にしん蕎麦の発祥店。 京都の蕎麦
  南座の楽屋へ繋がる裏通路から出前を運んでいたそうです。

  【鰊蕎麦】にしん‐そば
   甘く味付けした鰊の棒煮または身欠き鰊の甘露煮をのせた掛け蕎麦。京都が発祥。

  上の右端の写真を撮った場所は、1915年創業の『欧風料理 開陽亭』の2階。
  こちらの店は100年ほど前に、みたらし団子のタレを洋風にアレンジして作ったテリヤキソース発祥の店? だそうです。

  【照焼】てり‐やき
   魚の切り身などに、味醂・醤油などを合わせたたれをつけて、つやよく焼くこと。また、その焼いたもの。


  毎日放送 ちちんぷいぷい 『2万5千人が熱狂!"こんぴら歌舞伎"舞台裏に潜入!』 16.04.12 放送

  ≪ 現存する日本最古の芝居小屋 香川県琴平町の金丸座≫

  江戸時代末期、1835(天保6)年に金毘羅大芝居 (通称 : 金丸座) が竣工。
  1970(昭和45)年、国の重要文化財に指定。
  2016年4月には、第32回 四国こんぴら歌舞伎大芝居で、中村翫雀 改め 4代目中村鴈治郎 襲名披露公演が行われました。
   ※ 2015年4月の東京・歌舞伎座から約1年かけて、各地で4代目中村鴈治郎 襲名披露公演は行われました。






  【こんぴら歌舞伎】こんぴら‐かぶき
   天保6年(1835)に現香川県琴平町に建てられた芝居小屋、金丸かなまる座(旧金毘羅大芝居)で上演される歌舞伎の通称。
   1985年開始。

  奈落 (舞台下) にある「廻り舞台」「スッポン」と呼ばれる舞台装置は、江戸時代と同じ人力で、地元の人がボランティアで
  動かしています。






  【金毘羅・金比羅】こんぴら (梵語 Kumbhra 鰐魚の意)
   ① 仏法の守護神の一つ。もとガンジス河にすむ鰐わにが神格化されて、仏教に取り入れられたもの。
     蛇形で尾に宝玉を蔵するという。薬師十二神将の一つとしては宮毘羅くびら大将または金毘羅童子にあたる。
   ② 香川県の金刀比羅宮ことひらぐうのこと。
     ※ 全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮。主祭神は大物主命、(相殿あい‐どの)崇徳天皇。

  【金毘羅船】こんぴら‐ぶね
   金毘羅の参詣客のための乗合船。大坂などから丸亀・多度津の間を往来した  Wiki 金刀比羅宮

  【金毘羅船船】こんぴら‐ふねふね
   香川県の民謡。琴平町を中心に歌われたお座敷唄。軽快で明るい曲調。 下記↓のサイトに歌&遊び方の動画リンクあり

  世界の民謡・童謡 『お座敷遊び・お茶屋遊びの曲 金比羅船々こんぴらふねふね』
   http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/minyo/konpira.htm

  金刀比羅宮(ことひらぐう)とは、香川県仲多度郡琴平町の象頭山に鎮座する神社。「こんぴらさん」の呼称で親しまれ、
   金毘羅宮、琴平宮とも書かれる。海上交通の守り神として信仰されており、境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した
   多くの絵馬が見られる。江戸時代中期に入ると全国の庶民の間で「金毘羅参り(こんぴらまいり)」が盛んに行われ、
   伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったと伝えられている。

  金毘羅船々(こんぴらふねふね) 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州(さんしゅう)
   那珂の郡(なかのごおり) 象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん) 一度まわれば 


  読売テレビ ten. 『服部緑地の「日本民家集落博物館」で日本一周の旅を!』 17.07.26 放送

  ≪ 農村の歌舞伎舞台 ≫

  大阪府豊中市の服部緑地内にある日本集落博物館は1956年に開業した日本初となる野外博物館。
  3万6000㎡の敷地に江戸時代の各地の民家12棟を移築して地域の周辺の草木を植えて再現してあります。

  岩手南部・長野信濃・岐阜白川・福井敦賀・大阪能勢・奈良十津川・宮崎日向の各民家。
  大阪の布施の長屋門・堂島の米蔵・北河内の茶室、奄美大島の高倉、香川小豆島の歌舞伎舞台があり、
  この中には国の重要文化財に指定されている建物もいくつかあります。中に入って見学できるようです。






  香川県小豆島の農村歌舞伎舞台は昭和中期頃まで歌舞伎興行が行われていたもの。
  宮崎県の日向椎葉の民家は山の斜面に建っていたので横が広く奥行きが狭い造りですが、11~12月にかけて
  屋内で椎葉神楽などが行われていたそうです。縁側に客が横一列に座り部屋内が神楽舞台として使われました。

 
 浄瑠璃 (文楽) も大阪を中心に関西で発展した
  NHK大阪 Eテレ にっぽんの芸能 『文楽 心中天網島 北新地河庄の段』 13.10.25 放送
  毎日放送 ちちんぷいぷい 『文楽をもっと身近に楽しもう』 13.10.31 放送
  NHK Eテレ 歴史にドキリ 『近松門左衛門 ~江戸時代の文化~』 14.10.08 放送
  朝日放送 ビーバップ ! ハイヒール 『 世界が称賛する文楽』 14.10.23 放送
  テレビ東京 世界!ニッポン行きたい人応援団 『ニッポンの「からくり人形」の伝統的な技術について学びたいカナダの男性をご招待!』 17.07.20 放送

  江戸前期の元禄年間(1688~1704年)頃の文化では、上方を中心に町人文化が花開きます。
  元禄の三大作家は、松尾芭蕉(俳諧)・井原西鶴(浮世草子)・近松門左衛門(浄瑠璃)。   俳句と松尾芭蕉






  【松尾芭蕉】まつお‐ばしょう(伊賀上野に生まれ、1644~1694)名は宗房。
   号は「はせを」と自署。別号、桃青・泊船堂・釣月軒・風羅坊など。 藤堂良精の子。
   江戸前期の俳人。良忠(俳号、蝉吟)の近習となり、俳諧に志した。
   一時京都にあり北村季吟にも師事、のち江戸に下り水道工事などに従事したが、やがて深川の芭蕉庵に移り、
   談林の俳風を超えて俳諧に高い文芸性を賦与し、蕉風を創始。
   その間各地を旅して多くの名句と紀行文を残し、大坂難波の旅舎に没。
   句は「俳諧七部集」などに結集、主な紀行・日記に「野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」
   「嵯峨日記」などがある。


  ≪  大坂発祥の浮世草紙が人気 ≫   江戸時代の出版事情 京・大坂・江戸

  江戸時代初期の商業出版は京都と決まっていました。
  大坂で最初の出版は1673 (寛文13) 年、井原西鶴の俳諧『生玉万句』とされています。
  その後も、井原西鶴、西沢一風が大坂の出版を牽引していきます。
  京都でも八文字屋を中心に浮世草子が出版されます。江戸では江戸中期まで京坂のパクリ本が出版の主流。

  【浮世草子】うきよ‐ぞうし 浮世本
   江戸時代の小説の一種。1682年(天和2)刊行の井原西鶴作「好色一代男」によって仮名草子と一線を画して
   以来、宝暦(17511764)・明和(17641772)頃まで約80年間上方を中心に行われた町人文学。
   遊里・劇場を中心とし、町人の情意生活を写した好色物・町人物・三味線物・気質物かたぎものなどのほか、
   武家物・怪談物・裁判物など多くの種類がある。西鶴の諸作や八文字屋本が有名。

  【井原西鶴】いはら-さいかく (大坂の人、1642~1693) 本名、平山藤五。
   江戸前期の浮世草子作者・俳人。西山宗因の門に入って談林風を学び、矢数俳諧で一昼夜2万3500句の
   記録を立て、オランダ西鶴と異名された。師の没後、浮世草子を作る。
   作品はよく雅俗語を折衷、物語の伝統を破って、性欲・物欲に支配されて行く人間性をいきいきと見せ、
   元禄前後の享楽世界を描いた好色物、義理堅い武士気質を写した武家物、町人の経済生活を描いた
   町人物などに特色がある。
   作「好色一代男」「好色一代女」「好色五人女」「武道伝来記」「日本永代蔵」「世間胸算用」「西鶴諸国ばなし」
   「本朝二十不孝」「西鶴織留」、俳諧に「大句数」「西鶴大矢数」など。

  【阿蘭陀流】オランダ-りゅう
   貞門の古流を排して、西鶴が大坂で中心になってたてた、軽口狂句を主とする新しい誹風。
   初めは貞門ていもん (俳諧の流派、松永貞門を祖とするもの) 派が誹謗して呼んだ名。

  【八文字屋】はちもんじ‐や
   江戸時代の京都の出版書肆しょし。主人は歴代、八左衛門を名乗る。
   元禄頃から明和頃までに出版された浮世草子類や役者評判記など娯楽読物がここで多く出版されたので、
   それらを総称して、「八文字屋本」と言う。

  【西沢一風】にしざわ-いっぷう (大坂の書肆しょし、1661~1731) 名は義教、通称 九左衛門。別号、与志・朝義など。
   江戸前期の浮世草子・浄瑠璃作家。浮世草子の大衆化に功があった。浄瑠璃「北条時頼記じらいき」、
   浮世草子「新色しんしき五巻書」「御前義経記」、著「今昔操年代記いまむかし-あやつり-ねんだいき」など。

  【元禄太平記】げんろく-たいへいき
   浮世草子。都の錦 (本名 宍戸与一、1675~) 作。8巻8冊。1702 (元禄15) 年刊。
   伏見の夜船で、京・大坂の本屋が出版界の情況、作者・学者の評判等を語り合う筋で、一種の文化時評的
   性格を持つ。井原西鶴批判でも有名。


  ≪ 浄瑠璃じょう‐るり 三味線伴奏の語り物音楽の一つ。

   室町末期、無伴奏(時に琵琶や扇拍子)で語られた「浄瑠璃姫物語」が始まりで、広く他の物語に及ぶ。
   江戸時代の直前、三味線伴奏が定着し、人形芝居と、後には歌舞伎とも結合して庶民的娯楽として
   大いに流行する。

   初期には金平きんぴら節・播磨節などの古浄瑠璃が盛行、義太夫節・半太夫節・河東節・大薩摩節・一中節・
   豊後節・宮薗節・常磐津節・富本節・清元節・新内節などの流派が次々に派生した。

   なかでも元禄時代、竹本義太夫・近松門左衛門らによる人形浄瑠璃の義太夫節が代表的存在となり、
   浄瑠璃は義太夫節の異名ともなっている。

  【難波浄瑠璃】なにわ‐じょうるり
   大坂地方に起こって流行した浄瑠璃節。井上播磨掾の起こした播磨節をはじめ、文弥節などがあり、
   竹本義太夫(摂津 天王寺村、1651~1714)の人の始めた義太夫節に至って最も盛んに行われた。

  【井上播磨掾】いのうえ‐はりま‐の‐じょう  (京都の人、1632~1685、一説に~1674)
   江戸時代前期の浄瑠璃太夫。虎屋源太夫 (同名の江戸の浄瑠璃太夫とは別人) に学んで播磨節を創始。
   大坂の古浄瑠璃界中期を代表

  【吾妻浄瑠璃】あずま‐じょうるり … 元禄(1688~1704)頃、上方で行われた江戸浄瑠璃。

  【道具屋節】どうぐや-ぶし
   古浄瑠璃の一派。井上播磨掾門下の道具屋吉左衛門が大坂で語りだし、寛文・延宝(1661~1681)頃に盛行。
   播磨節を多く襲用したという。


  【並木宗輔】なみき‐そうすけ(1695~1751)
   浄瑠璃作者。並木の系祖。号、千柳。もと備後三原の僧侶。西沢一風の門人。豊竹座・竹本座のために執筆し、
   2世竹田出雲らとの合作が多い。「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」「源平布引滝」「一谷嫩軍記
   いちのたにふたばぐんき」などの傑作があり、名人形遣い吉田文三郎と提携して操芝居あやつりしばいの最盛期を現出。

  【並木正三】なみき‐しょうぞう(大坂の人、1730~1773)
   (初世)歌舞伎脚本作者。京坂第一の歌舞伎作者とうたわれ、構想は雄大、筋も複雑で、浄瑠璃の影響が大きい。
   また、回り舞台など舞台機構に新生面を開いた。代表作は「けいせい天羽衣」「宿無団七時雨傘しぐれのからかさ」など。

  【並木五瓶】なみき‐ごへい 歌舞伎脚本作者。
   ① 初世(大坂の人、747~1808)。初世並木正三の高弟。時代物と世話物とを全く独立させた作劇の新例を開き、その
    脚色が合理的で整然としている所に特色がある。
    代表作「天満宮菜種御供なたねのごくう」「金門五三桐」「五大力恋緘こいのふうじめ」など。
   ② 3世(1789~1855) 2世の門人。作は「勧進帳」など。


  ≪ カラクリ人形劇も大坂が初 ≫  江戸時代後期の大坂にあったバードカフェ 孔雀茶屋 江戸は「花鳥茶屋」

  1662 (寛文2) 年 大坂の道頓堀で竹田近江が官許を得てからくり仕掛けの芝居を興行。 Wiki 竹田近江
  大坂のからくり芝居は非常に有名な名物だったようで、オランダ商館長一行が江戸参府する際は大坂に立ち寄り銀の
  精錬所を必ず見学したそうですが、カラクリ人形芝居を観る事多かったそうです。

  道頓堀で芝居座をおこして以降、100年間くらい地方巡業をしたので、日本各地でもカラクリ人形の面白さが伝わった
  そうです。

  コトバンク 『竹田近江』
  江戸中期に竹田の機捩戯場(からくりしばい)とよばれて名を馳(は)せた竹田座の
   座本で、4世まで続いた。
   初世の清房(?―1704)は阿波(あわ)の出身。江戸に住したときに子供の砂遊びに
   ヒントを得て砂時計をくふうしたのがからくり製作の初めと伝え、京都に移って唐操偶人
   (からくりにんぎょう)をつくり宮中に献上、
   1658年(万治1)竹田出雲(いずも)を受領したが、翌年改めて近江を再受領した。
   1662年(寛文2)に大坂・道頓堀(どうとんぼり)に機捩戯場の座をおこして名声を得た。

   初代近江は日月星辰(せいしん)の動きまで示す万年時計も製作したほど機械学に長(た)け、
   この技術で人目を驚かせ楽しませる興行を行ったわけであるが、先進を誇ったオランダ人
   たちをも驚嘆させたという。

 摂津名所図会1796~1798年刊行

   2世の清孝(1649―1729)は、からくりと子供狂言を交互に上演する番組立てを開発して、竹田戯場の新機軸をつくった。
   3世は清英(?―1742)。江戸や京都でも興行を打った。没後は弟の平助が竹田芝居を始め大坂興行界の実権を握ったが、
   近江を受領しなかった。
   4世は清一。しかし、竹田座は座運も凋落(ちょうらく)し1768年(明和5)に廃座した。

  【絡繰芝居】からくり‐しばい … 絡繰人形の芝居。竹田芝居。

  コトバンク 『竹田芝居』
  江戸時代、大坂で興行されたからくり芝居。1662年、竹田近江(?~1704)が創始。初期はからくりのみ見せたが、
   のちには子供芝居を加えた。人形浄瑠璃芝居とは異なる。

  愛知学院大学歴史学科HP 『竹田芝居』 http://www.osakaapple.net/buhei/buhei2j4.html
  竹田からくり芝居 『画像各種』 http://karakuri-tamaya.jp/pdf/takeda.pdf
  嬉遊笑覧 上巻 喜多村信節 著 昭和7年版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123091 巻之六上 「音曲」 P.81~82

  【竹田出雲】たけだ‐いずも 浄瑠璃作者。  父は初代竹田近江、兄は二代目近江。  Wiki 竹田出雲
    ① (初世)俳号、奚疑けいぎ(~1747)。竹本座の座元で作者を兼ねた。作「蘆屋道満大内鑑」など。
    ② (2世)初世の子。名は清定(1691~1756)。初め小出雲と名乗る。座元と作者とを兼ね、人形芝居の最盛期を画した。
   「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」などは一代の名作。

   『嬉遊笑覧』で紹介されている『歌舞伎事始』や『伽羅女』の記述によると、竹田出雲は1662 (寛文2) 年に大坂で始め、
   1726 (享保11) 年に竹田近江と改名し、作家活動を本格化したようです。


  ≪ 江戸での初演は1741年、超大人気だった ≫

  『我衣』によると、竹田近江は寛保元年の3月~9月までの期間、江戸の堺町勘三郎芝居の向いで、からくり芝居と
  子供狂言を上演。
  上流~下層までの人々が多く集まり、非常に人が集まり過ぎたので初日から3日間は木戸を閉めたとあります。

  貞享=1684~1688年 正徳=1711~1716年、享保=1716~1736年、延享=1744~1748年

  『貞享江戸鹿子』には、からくり人形並ぜんまい 大坂町 なんきん清左衛門 人形町 松屋庄衛門 かいらい人形師 日本橋
  南四町同丹後守さかい町横町 竹岡豊前とあるそうで、竹田近江以前の江戸にもからくりがあったとしています。

  正徳2年に大坂の山本五郎三郎が手づま人形あやつり芝居、享保7年に播磨から、延享2年に大坂から江戸へ下って、
  からくり芝居の興業があったそうです。


  ≪ 人形浄瑠璃 (文楽) ≫ 大坂が発祥   人形芝居の始まり西宮戎神社

  世界でも珍しい非常に難しい三人遣いで、1体の人形を操り、語りの太夫と三味線の旋律の三業一体で魅せる。
  人間を超えた表現力が文楽の魅力であり、世界からも高く評価され、2009年のユネスコの第1回 無形文化遺産に登録。

  日本の人形つかいのルーツは兵庫県西宮戎神社の『えびすまわし』とも言われています。




  【人形浄瑠璃】にんぎょう‐じょうるり
   浄瑠璃・三味線に合わせて曲中人物に扮装した人形を操る日本固有の人形劇。近松門左衛門・
   竹本義太夫の出現以後、独自の劇形式を完成。一時は歌舞伎劇を圧倒。
   竹本・豊竹2座対立時代を経て文楽ぶんらく座が興り、今は文楽という語で代表される。





  【竹本座】たけもと‐ざ 竹本座は西風 と呼ばれた。
   大坂の道頓堀 戎橋南詰にあった操座。
   1684年(貞享1)頃、竹本義太夫の創立。近松門左衛門の浄瑠璃を上演して大成功を
   収め、豊竹座と対立して全盛を極めたが、1767年(明和4)廃座。

  【竹本義太夫】たけもと‐ぎだゆう(摂津天王寺村の人、1651~1714) 本名、五郎兵衛。
   江戸初期の浄瑠璃太夫。義太夫節の開祖。初め井上播磨掾の弟子 清水きよみず
   理兵衛に学び、清水理太夫と名のり、
   1684年(貞享1)竹本義太夫と改名、大坂道頓堀に竹本座を設けて操芝居を興行。
   近松門左衛門の作を語って操り人形浄瑠璃を大成。98年(元禄11)受領して
   竹本筑後掾 藤原博教となる。

  【近松門左衛門 】ちかまつ‐もんざえもん (越前 (今の福井県の東部) の人、1653~1724)
   本名、杉森信盛。平安堂・巣林子そうりんしなどと号。
   江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎脚本作者。大坂に出て、歌舞伎では坂田藤十郎と、
   浄瑠璃では竹本義太夫と提携。竹本座の座付作者




   狂言本二十数編、浄瑠璃百数十曲を作り、義理人情の葛藤を題材に人の心の美しさを描いた。
   作「出世景清」「国性爺合戦」「曾根崎心中」「心中天の網島」「女殺油地獄」「けいせい仏の原」など。

近松門左衛門
曽根崎心中・浄瑠璃本
曽根崎心中・人形浄瑠璃
曽根崎心中・歌舞伎




  近松門左衛門は武士でしたが、大坂で浄瑠璃に魅せられて脚本家に転身。仇討など『時代物』を多く描きました。
  51才の時。1703(元禄16)年4月7日に大坂の曽根崎で心中事件が起こり、大坂の町はこの話題で持ちきりになりました。

  門左衛門は事件を基に脚色を加え、事件から3週間ほどで『曽根崎心中』を書き上げました。
  人形浄瑠璃で人気を博し、歌舞伎でも演じられ、300年以上経った現在でも演じられています。






  それまでの浄瑠璃は歴史上の偉人が主役一般的でしたが、『曽根崎心中』以降は普通の町人を主役にした
  ものを多く描きました。門左衛門は生涯で浄瑠璃100編以上、歌舞伎30編ほどの脚本を手がけました。

  【近松半二】ちかまつ‐はんじ (大坂の人、1725~1783)
   江戸中期の浄瑠璃作者。本名、穂積成章。儒学者穂積以貫の子。2世竹田出雲の門人
   作「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓」「傾城阿波の鳴門」など。

   【近松徳三】ちかまつ‐とくぞう (大坂の人、1751~1810)
   江戸後期の歌舞伎脚本作者。初名徳蔵。近松半二の門人。
   作「伊勢音頭恋寝刃いせおんどこいのねたば」「けいせい会稽山ゆきみるやま」など。

  【竹本越路太夫】たけもと‐こしじだゆう 
   義太夫節の太夫。/ 2世は、のちに竹本摂津大掾となる。
   3世(1865~1924)は、2世の門弟、大正期の代表的名人。/ 4世(1913~2002)は、昭和後期を代表する名人。

  【竹本摂津大掾】たけもと‐せっつだいじょう (大阪の人、1836~1917)
   義太夫節の太夫。初め南部太夫、のち2世 越路太夫。
   1903年(明治36)受領して摂津大掾。美声と上品な芸風で明治期の代表的名人。


  【豊竹座】とよたけ‐ざ 豊竹は東風 と呼ばれた。
   大坂の道頓堀にあった操座。
   1703年(元禄16)豊竹若太夫(竹本義太夫の門弟 采女うねめ)の創立。竹本座と対立したが、65年(明和2)閉座。

  【豊竹若太夫】とよたけ‐わかたゆう(大坂の人、1681~1764) 初名、竹本采女。
   江戸中期の義太夫節の太夫。竹本義太夫の門に入り、1703年(元禄16)豊竹座を創立。
   31年(享保16)越前少掾を受領。東風の開祖。

  【紀海音】き-の-かいおん (大坂の人、1663~1742) 通称、鯛屋善八。別号は貞峩・契因など。
   江戸中期の浄瑠璃作者。豊竹座の座付作者として、竹本座の近松門左衛門に対抗。
   作「椀久末松山わんきゅうすえのまつやま」「お染久松袂たもとの白しぼり」「八百屋お七」など。

  【豊竹肥前掾】とよたけ‐ひぜんのじょう(大坂の人、1704~1757) 初名、新しん太夫。
   義太夫節の太夫・座元。江戸に下って肥前座の座元となり、義太夫節を普及。


  【菅専助】すが-せんすけ (京都の人、生没年不詳)
   江戸後期の浄瑠璃作者。竹本・豊竹両座没落後の明和・安永 (1764~1772~1781年) 頃、作を提供。
   代表作は「摂州合邦辻」「桂川連理柵」など。


  ≪ 「文楽」の名称は、人形浄瑠璃の興行主「植村文楽軒」から ≫

  江戸時代に人形浄瑠璃の全盛期を築いた文楽座の名称から、文楽と呼ばれるようになりました。






  【植村文楽軒】うえむら‐ぶんらくけん 人形浄瑠璃芝居の経営者。6代まで。  Wiki 植村文楽軒
   ① (初代)本名、道具屋与兵衛。淡路より大坂に進出。(1751~1810)
   ② (3代。系譜では4代)中興の祖。本名、正井大蔵。文楽翁。1872年(明治5)文楽座を名乗り、
     全盛時代を導く。(1813~1887)

  【文楽】ぶんらく
   操あやつり人形浄瑠璃芝居の称。大正初年、この系統の芝居が文楽座のみになったことによる名称。

  【文楽座】ぶんらく‐ざ 操人形の座。播磨太夫。
   18世紀末に素人浄瑠璃語り植村文楽軒が大坂道頓堀高津新地に創設。のちに転々としたが、
   1872年(明治5)松島に移り文楽座と称し、1909年(明治42)松竹合名会社の経営となり、
   1956年道頓堀に新築移転。
   1963年、文楽協会が運営をひきつぎ、朝日座と改称。
   1984年、国立文楽劇場 (大阪市中央区日本橋) の発足により閉座。  Wiki 国立文楽劇場

  独立行政法人 日本芸術文化振興会 『国立文楽劇場』 http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html


  ≪ 江戸浄瑠璃 ≫  江戸で生まれた浄瑠璃。   江戸歌舞伎と浮世絵 春画

   ① 18世紀初め以前に江戸で発生した浄瑠璃の流派の総称。
     薩摩節・土佐節・永閑節・外記げき節・半太夫節・河東節など。
   ② 18世紀中葉以降に、上方地方で発生した豊後節から、江戸で派生した4流派
     (新内節・常磐津節・富本節・清元節)の総称。
   ③ 義太夫節の浄瑠璃のうち、18世紀後半以降に江戸で作られたもの。

  【薩摩浄雲】さつま‐じょううん堺の人、一説に京都または紀州の人。1595~1672)
   江戸前期の浄瑠璃太夫。初名、熊村小平太、また虎屋次郎右衛門とも伝えられ、のち薩摩太夫と改め、
   剃髪して浄雲と称した。
   寛永(1624~1644)の頃江戸に下り、操り芝居を興行、杉山丹後掾と並んで、江戸浄瑠璃の開祖とされる。

  【杉山丹後掾】すぎやま‐たんごのじょう (京都の人、生没年不詳) 名は七郎左衛門。
   江戸前期の浄瑠璃太夫。滝野検校について浄瑠璃を習得、慶長末江戸に下り、操り芝居を起こし、
   1652年(承応1)京都に帰り、受領して天下一丹後掾 藤原清澄と称す。
   軟派の旗頭で硬派の薩摩浄雲と並び、江戸浄瑠璃を代表。その曲風は子の江戸肥前掾に継承。

  【堺町】さかい-ちょう
   東京都中央区牡蠣殻町の北にあった町。江戸時代に歌舞伎・浄瑠璃。操芝居などがあり繁盛した。


  ≪ 娘義太夫 ≫

  明治時代、竹本綾之助が東京で大人気となり『追っかけファン』が登場。続きは明治・大正時代2のページで。
   明治時代のアイドルとミスコン 竹本綾之助、洗い髪のお妻 、松旭斎天勝、末弘ヒロ子

竹本綾之助

 

 

 


  【娘義太夫】むすめ‐ぎだゆう
    女性による義太夫節。また、その太夫。江戸時代の天保(1830~1844)年間より流行し、明治後半期に最全盛を
   うたわれた。竹本綾之助・豊竹呂昇らが知られる。女義太夫。女義。

  【竹本綾之助】たけもとあやのすけ(大阪生まれ、1875~1942) 本名 石井園その。 コトバンク
   女義太夫の太夫。10歳で東京・文楽座に玉之助たまのすけの名で出演。稚児髷ちごまげに振袖姿の愛くるしい容姿と
   達者な語り口で満都の人気を集めた。
   初世 竹本綾瀬太夫に師事すると同時に綾之助と改名、女義太夫全盛時代のスターであった。
   1898年(明治31)貿易商の石井健太と結婚、いったん引退したが、1908年(明治41)にカムバック。
   10年女義太夫再検討を図って藤菱ふじびし会を組織したが、27年(昭和2)秋をもって演奏活動を中止した。


  【豊竹呂昇】とよたけ‐ろしょう(名古屋の人、1874~1930) 本名、永田仲なか
   女義太夫の太夫。大阪に出て初世の豊竹呂太夫に学ぶ。三味線にも長じ、艶のある美声の弾き語りで人気を得た。


  ≪ 現在の文楽 ≫






  テレビ大阪 夕刊7ch 『文化 民間支援1号 "文楽を若者に"』 14.08.26 放送

  ≪ 関西企業による芸術・文化支援団体 ≫

  2014年4月に関西の経済界が中心になって、民間の寄付をもとに芸術や文化を支援する
  『アーツサポート関西』が設立されました。

  同年8月26日、助成第1号に文楽が選ばれ、京阪神ビルディングがアーツサポート関西を
  通じ500万円を寄付しました。
  寄付金は、大学生を公演に招待するなどの文楽の普及活動に使用されます。


  関西テレビ FNNスーパーニュース アンカー 『100歳を迎える女性人間国宝 生涯「人形浄瑠璃」』 13.09.17 放送

  ≪ 100歳の現役 義太夫節 三味線の師範 女性人間国宝 ≫

  2013年100歳を迎える鶴沢友路つるさわ-ともじさんは、兵庫県淡路島の南あわじ市の出身。
  4歳で義太夫節を習い始め、12歳の時 大阪で修業に。
  米国のカーネギーホールなど、世界の名立たる劇場でも人形浄瑠璃の三味線を演じてきました。






  生涯独身で芸一筋、これまでの弟子の数は1000人以上。1998年、人間国宝に指定
  現在では淡路に戻り、バチは持てなくなったそうですが、長い時には1日6時間も扇を使いながら指導を続けています。
  肉や天ぷらがお好きだそうで、時代劇を見ながら食事するのが楽しみなのだそうです。






  【淡路人形】あわじ‐にんぎょう    淡路人形座HP http://awajiningyoza.com/ningyoza/
   淡路に行われる人形芝居。
   摂津西宮の広田社から伝来、元禄頃から京坂の人形芝居と並んで隆盛、四十余の操座があり、上村源之丞一座が
   最も繁栄した。
   約500年の歴史を誇り、国の重要無形文化財に指定されています。現在は、淡路人形座のみが存続。






  【阿波浄瑠璃】あわ‐じょうるり
   阿波 (徳島県) における人形浄瑠璃。
   特に淡路の上村源之丞一座は阿波徳島藩主 蜂須賀氏の保護を受け、阿波一国に盛んとなり、現在に至る。
   その演出など文楽より古風を保存。

  ≪ 大阪の芸能関連 ≫

  【難波津】なにわづ
   古今集仮名序に手習の初めに学ぶとある歌。
   すなわち「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」をいう。
   王仁わに (古代、百済からの渡来人。漢の高祖の裔で、応神天皇の時に来朝)の作という伝説があり、
   奈良時代にすでに手習に用いられていた。

  【ちんこ芝居】 … 江戸時代から明治初年まで行われた子供芝居。コトバンク 『ちんこ芝居』
   十代前半ぐらいの子供たちで演じる芝居。大坂の竹田芝居で前芸に行われたのが起源という。
    天明(1781~1789)ごろから首振り芝居を演じ、大正ごろまで行われた。

  【首振り芝居】くびふり‐しばい コトバンク 『くびふりしばい』
   京坂で起こった歌舞伎の一様式。義太夫狂言を、せりふを言わず、浄瑠璃に合わせて身振りだけで演じるもの。
    天明(1781~1789)ごろから明治期まで、主にちんこ芝居で行われた。身振り狂言。

  【芝居唄】しばい‐うた
   ① 1700年(元禄13)頃、京坂で歌舞伎のために作られた地唄。
   ② 歌舞伎の下座げざで唄う唄。下座唄。


  【浪花節】なにわ‐ぶし 浪曲ろうきょく
   多く軍書・講釈・物語・演劇・文芸作品を材料とし、三味線の伴奏で独演する語り物。
   もと説経祭文せっきょうさいもんから転化したもので、初めは、うかれ節・ちょぼくれ・
   ちょんがれ節などと呼ばれた。
   江戸末期に大坂から始まり、浪花伊助を祖と伝えるが、盛んになったのは明治以後で、
   桃中軒雲右衛門の功が大きい。


   ※幸田露伴 (小説家。江戸生れ、1867~1947) いさなとり「田舎に住むで聞く者は下手な浪花節ばかり」
         いさな‐とり ・・・ 鯨魚取・勇魚取 / いさ‐な ・・・ 鯨・勇魚 クジラの古称

  【説経節】せっきょう-ぶし
   中世末から近世に行われた語り物。仏教の説経(説教)から発し、簓ささらや鉦などを伴奏に物語る。
   大道芸・門付芸として発達。
   江戸期に入り胡弓・三味線をも採り入れ、操り人形芝居とも提携して興行化。全盛期は万治・寛文頃。

  【都山流】とざん‐りゅう
   尺八楽の一流派。1896年(明治29)に初世 中尾都山(大阪生れ、1876~1956)が虚無僧修行で独自の奏法を
   編み出し、大阪で創始。
   18世紀後半に江戸で、初世 黒沢琴古くろさわ‐きんこ (福岡・筑前の人、1710~1771) が創始した琴古流と並ぶ二大流派。

  【浪花節 芝居】
   浪花節の節に合わせて演ずる演劇。1897年(明治30)市川小円次が高松で始めたという。
   大正年間、全国で流行。節劇ふしげき。身振り浪花節。

  【河内音頭】
   河内地方で行われる口説くどき形式の盆踊り唄。幕末・明治初期に成立。鉄砲節など多くの流派がある。

  【浪花踊】なにわ‐おどり
   大阪の芸者が演ずる春の踊り。曾根崎新地の北陽浪速踊(明治15年創始)と新町の浪花踊(明治41年創始)とがある。

  【壮士芝居】そうし‐しばい
   壮士 (明治時代、自由民権思想を唱え歩いた者) が自由民権思想を広める目的で始めた素人演劇。
   角藤すどう定憲が1888年(明治21)大阪で旗上げした新演劇に始まり、川上音二郎一座などを経て、一時隆盛を誇った。
   書生芝居。

  【川上音二郎】かわかみ‐おとじろう(博多生れ、1864~1911)
   明治時代の俳優。新演劇の祖。浮世亭〇〇まるまるの名で寄席に出、オッペケペ節で人気を博し、
   1890年(明治23)壮士芝居を結成して上京、歌舞伎に対して新演劇を興した。妻貞奴と日本演劇界初の海外公演を行い、
   正劇と称して西欧の翻訳劇を紹介。また東京に川上座、大阪に帝国座を建設(洋風劇場の初め)。

  川柳 川柳から読み取れる江戸の女性(嫁の立場)、江戸で流行った川柳のルーツは大坂で流行った前句付連歌合。

  【唐人踊】とうじん-おどり
   唐人の衣裳をつけ、鉄鼓、胡弓などの中国楽器に合わせて唐人唄「かんかんのう…」を歌いながら行う一種の踊り。
   江戸後期、文政の頃、長崎の中国人から伝えられ、江戸・大坂で流行。看看踊かんかんおどり←「かんかんのう…」の歌詞から。
 
 日本三大盆踊りの一つ 徳島県の阿波おどり
  毎日放送 ちちんぷいぷい 『昔の人は偉かった 「にっぽん城下町めぐり⑬ 徳島」』 14.02.27 放送
  フジテレビ 新報道2001 『ニュースのタネ 「未来への""阿波踊りが世界進出!?」』 14.09.21 放送

  日本三大盆踊り 
   徳島県の阿波おどり 西馬音内にしもない盆踊り(秋田県)  郡上八幡ぐじょうはちまん盆踊り(岐阜県)

  【阿波踊】あわ‐おどり
   徳島市周辺の盆踊り。歌詞は「踊る阿呆に見る阿呆、…」。
   三味線・笛・鉦かね・太鼓の囃子はやしに合わせて大勢が列をなして町中を踊り回る。

  【徳島市】
   徳島県北東部の市。県庁所在地。吉野川河口南岸にある。もと蜂須賀氏26万石の城下町。古くは藍あいの集散地。
   「阿波踊り」は有名。人口26万8千。

  【阿波】あわ 旧国名。今の徳島県。粟国。阿州。
   徳島県北部の市。吉野川の北岸に位置する。
   果樹・野菜栽培が盛ん。天然記念物の土柱どちゅう(阿波の土柱)がある。人口4万1千。

  1586年、安土桃山時代に蜂須賀家政が中洲に徳島城を築城し町を整備。徳島市内には『島』の付く地名が現在も
   数多く残っています。
  1586年の築城を祝い踊られたのが阿波踊りの起源で、旧盆踊りの時期に踊られたことから、盆踊りとして継承されたと
   言われています。






  明治6年の廃城令により、天守閣は潰され石垣のみが残ります。現在、旧徳島城の表御殿庭園は国の名勝に指定。

  昭和20年に第二次世界大戦の空襲を受け、徳島の城下町は壊滅的な被害を受けました。






  徳島県で行われる選抜阿波踊り大会(8月12~15日)には、約1000連、130万人の参加があるそうです。
  平成11年に阿波おどり会館が開館し、阿波踊りの歴史や実際の阿波踊りが年中見れたり、踊り体験もできます。


  京都外国語大学付属図書館/京都外国語短期大学付属図書館HP 『二人の偉大な日本紹介者 ハーンとモラエス』
   http://www.kufs.ac.jp/toshokan/hearn&moraes/heamor-fra2.htm

  ≪ 阿波踊りを欧州に紹介したポルトガル人 ヴェンセスラウ デ モラエス ≫  Wiki ヴェンセスラウ・デ・モラエス

  明治時代、『小泉八雲』ことラフカディオ・ハーンと共に、多くの著書で日本の文化を海外に伝えたのが、
  ヴェンセスラウ・デ・モラエス。

  1854年にポルトガルの首都リスボンに生まれたモラエスは1889(明治22)年の8月にポルトガル海軍士官として
   初来日します。
  1893(明治26)年からポルトガルのマカオ港務副指令として、武器購入のために毎年来日し長崎・神戸・横浜などを
   訪れました。
  1899年に日本に初めてポルトガル領事館が開設されると在神戸副領事として赴任、のち総領事となり
   1913年まで勤めます。






  モラエス45才の時、心臓の持病があり道でうずくまっていた福本ヨネを助けた事がきっかけで、のちに徳島へ移住する
   事になります。
  1900(明治33)年 モラエス46才と神戸や大阪で芸者をしていたヨネ25才は、神戸で実質的な結婚生活をおくります。

  1903(明治36)年に大阪で開かれた第5回内國産業博覧会でポルトガル館を作り、母国企業の協力の下、葡萄酒 や
   オリーブ油などを出展。
  1910(明治43)年 ポルトガルが政変で王国から共和国となり、本国からの送金も途絶えますが、私財を投じ領事館の
   維持に尽力。

  1912(大正1)年に心臓の病気でヨネは亡くなりました。1913年にモラエスは辞職し、ヨネの故郷である徳島へ移住し
   ヨネの墓をつくりました。ヨネの姪である斎藤コハルと暮らし、本格的な著述活動を始めます。

  1915(大正4)年には、コハルとの間に麻一が生まれますが、コハルは翌年に逝去。1918(大正7) 年に麻一も亡くなりました。
   徳島での生活は必ずしも楽ではなく、スパイ嫌疑をかけられたり、「西洋乞食」とさげすまれることもあったそうです。

  1929(昭和4)年の6月30日、モラエスは孤独のうちに過度の飲酒により土間に転落して死亡しました。
   現在、阿波おどり会館のすぐ近くにある潮音寺のヨネの墓の隣に眠ります。






  モラエスは踏みつけられたタンポポを元に戻すなど、非常に優しい性格だったようです。  滝のやき餅

  エピソードの一つに、徳島藩の御用水であった名水「錦竜水」にモラエスが植えたとされる黄花亜麻が咲いています。

  その場所はヨネが働いていた場所とも言われており、現在は「和田の屋」という和菓子店があり、徳島城の築城で
  献上された「滝のやき餅」という菓子を食べる事ができます。

  【モラエス】Wenceslau de Moraes(1854~1929) 
   ポルトガルの海軍軍人・著述家。1889年(明治22)初来日し、神戸・大阪総領事。
   日本女性と結婚し、多くの著書によって日本の生活・風俗を紹介。徳島で没。著「極東遊記」「大日本」
   「おヨネとコハル」など。

  【小泉八雲】こいずみ‐やくもラフカディオ=ハーン(ヘルン)(Lafcadio Hearn1850~1904)。
   文学者。ギリシア生れのイギリス人で、1890年(明治23)来日。旧松江藩士の娘、小泉節子と結婚。のち帰化。
   松江中学・五高・東大・早大に英語・英文学を講じた。「心」「怪談」「霊の日本」など日本に関する英文の印象記・
   随筆・物語を発表。


  ≪ 2015年、阿波踊りがパリに進出予定 ≫ 

  現在では日本各地で阿波踊りが踊られるイベントが開催されています。






  フランス人ジャーナリストのアルノーさんは「阿波踊りは、大衆的でありながら洗練された日本文化の象徴」と
  感銘を受け、2015年5月にパリの4区で阿波踊りを開催する計画を進めています。日本人の踊り手500人がパリで
  披露する予定だそうです。

  はな・はる・フェスタ2013 春らんまん阿波おどり http://www.youtube.com/watch?v=wBrXtbS4OI8


  【よさこい節】(「夜さり来い」の意)
   高知県土佐の民謡。歌の終りに「よさこいよさこい」の囃子詞はやしことばがつくのでいう。
   起源には元禄(1688~1704)頃など諸説あり、1855年(安政2)五台山竹林寺脇坊の僧と鋳掛屋の娘の恋愛事件を
   歌って流行。
 落語

  ≪ 大坂落語が江戸へ伝わった ≫  Wiki 上方落語  Wiki 露の五郎兵衛  Wiki 米沢彦八  Wiki 鹿野武左衛門

  【落語】らくご (初めオトシバナシと読み、明治中期より一般にラクゴと読む)
   一人の演者が滑稽な話を登場人物の会話のやりとりを主として進め、その末尾におちをつけて
   聴衆を興がらせる寄席芸能。
   江戸初期に安楽庵策伝が大名などに滑稽談を聞かせたのが初めといい、身振り入りの仕方咄しかたばなしから
   発達して芸能化し、江戸・大坂を中心に興隆。
   上方を中心に「軽口かるくち」「軽口ばなし」と呼ばれ、江戸中期より「落し咄おとし-ばなし」と呼ばれた。

  【安楽庵策伝】あんらくあん‐さくでん(京都 誓願寺竹林院の住持1554~1642)
   江戸時代初期の浄土僧・茶人・笑話作者。落語の祖。「醒睡笑」を著して京都所司代 板倉重宗に呈した。


  江戸時代中期の元禄時代頃、生國魂神社で米沢彦八という男が面白い話を披露し、銭を稼ぐ事をしていました。
  これが、大阪の落語の始まり。同時期、京都では露の五郎兵衛が同じような事をしていました。

  【露の五郎兵衛】つゆの-ごろべえ (京都の人、1643?~1703)
   江戸前期の落語家。上方落語の祖。作「露がはなし」「軽口あられ酒」など。

  【米沢彦八】よねざわ-ひこはち (生年未詳~1714年)
   落語家。初代は江戸前期に活動した。大坂落語の祖。身振りを交えた軽口かるくち
   名を高めた。作「軽口御前男」「軽口大矢数」

  【生国魂神社】いくくにたま‐じんじゃ  生玉いくたま神社難波大社なにわのおおやしろともいう。
   大阪市天王寺区生玉町にある元官幣大社。祭神は生島神・足島たるしま神。
   相殿に大物主大神を祀る。主祭神二神は宮中でも生島巫いくしまのみかんなぎによって祀られ、
   歴代の天皇即位の際には国家の祭祀として二神を祀る八十島やそしま祭が行われた。

   生國魂神社 大阪三大夏祭 (天神祭、住吉祭、生國魂祭) の一つ、祭の起源は平安時代。 Wiki 生國魂神社

  ほどなく、大坂の落語家が江戸へ下り、上方と江戸はそれぞれ独自に発展していきました。

  【鹿野武左衛門】しかの‐ぶざえもん(大坂生れ、1649~1699)
   江戸前期の噺家。本姓、志賀氏。座敷仕形噺の上手といわれ、江戸落語の祖
   筆禍事件を起こし、晩年伊豆大島に遠島となる。作「鹿野武左衛門口伝咄」「鹿の巻筆」など。


  上方では屋外で営業し、身振り手振りを使い客を飽きさせないような『見せるネタ』のスタイルが主流でした。
  話しが佳境に入る終盤に代金を徴収するので、本題に入る前の『まくら』~話の最後の『下げ』まで、笑わせる事が
  重要だったそうです。




  江戸では早い時期から屋内で営業し、ストーリー重視の『聞かせるネタ』が好まれました。
  笑いが少ない『人情噺』が江戸落語の特徴。

   ※ 落語は、落語の中興の祖の烏亭焉馬うてい‐えんば(和泉屋和助。江戸本所の大工棟梁1743~1822)や
     三笑亭可楽(京屋又五郎。江戸の生れ、1777~1833)など、上方より江戸の方が発展したようです。
     「和泉屋」、「京屋」と上方の屋号がついているので、江戸歌舞伎にも見られるように上方出身の
     血筋かも知れません。


  独立行政法人 日本芸術文化振興会 『文化デジタルライブラリー 「寄席の歴史」』 
   http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/rekishi/rakugo/index4.html

  大阪のお笑い文化 上方落語と漫才
 
 君が代のルーツも大阪・京都・奈良 雅楽
  「さざれ石」の画像は 毎日放送 ちちんぷいぷい 『とびだせ! えほん 京都出町柳』 13.10.10 放送 より

  ≪ 君が代 ≫  人を敬い親しんでいう「君」、あるいは君主の、寿命ないし栄える時。

  古くは905年(延喜5)または914年(延喜14)頃に成立した古今和歌集の[神遊歌
  に登場。

  「君が代は限りもあらじ長浜の真砂まさごの数はよみつくすとも」や、
  「わが君は千世に八千世にさざれ石の巌となりて苔こけのむすまで」という
  和歌があります。

  江戸時代の隆達節の巻頭 第1は
  「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」の歌詞。

  現在の「君が代」の歌は、1880年(明治13)、この歌詞に宮内省が作曲したもの。
  1893年、小学校における祝祭日の儀式用唱歌として公布され、明治憲法下で、
  天皇の治世を祝う国歌と解されて歌われた。

  【隆達節】りゅうたつ‐ぶし 隆達小歌
   江戸初期の流行唄はやりうたにある日蓮宗 顕本寺の僧 隆達(1527~1611)が
   創めた小歌。1600年(慶長5)頃に流行、近世小唄の源流をなした。

  【細石】さざれ‐いし
   「さざれ(細)」とは、「わずかな」「小さい」「こまかい」の意。接頭語的に用いる。
   「ささ」゜さざ」とも略されます。「さざれ石の巌いわおとなりて」の意味は、
   「細かい石が集まり、やがて大きな石になる」。

  【林広守】はやし‐ひろもり (大阪出身、1831~1896)
   雅楽家。雅楽局大伶人、のち伶人長。笙の名手。「君が代」制作の名義上の代表者。
   (本当の作曲者は宮内庁の雅楽局所属の奥好義よしいさ京都生まれ1857~1933年)。

京都・下鴨神社の「さざれ石」





  奈良時代の759年頃に編纂された万葉集には「信濃なる筑摩の川のさざれ石も…」という歌などがありますが、
  「君が代」に出てくるのは、京都の下鴨神社のさざれ石だそうです。

  雅楽「君が代」 http://www.youtube.com/watch?v=Hz-uS_CC11g

  1999(平成11)年、国旗国歌法が制定され、「日章旗」を国旗、「君が代」を国家として正式に定めました。
  「君が代」の歌詞は世界最古・世界最短と言われています。

  日の丸は平安時代の源平の合戦時 (1180~1185) に源氏が使っていた旗印の一つ。平氏は赤地に金色の〇でした。
  戦国時代に武将らも旗印に使い、黒船来航以降の幕末、国家として意識が高まり日章旗が掲げられるようになりました。

  【日章旗】にっしょう‐き
   日本の国旗である日の丸の旗。江戸時代、幕府船の標識として使われ、幕末に日本船の印となる。
   明治政府もこれをひきつぎ、1870年(明治3)の太政官布告で商船規則を制定し、旗の規格を定めた。
   慣習的に国旗として使われてきたが、1999年の国旗国歌法の制定により法制化された。布地は白色の長方形で、
   縦は横の3分の2。日章は赤で、その直径は縦の5分の3。日章の上下のあきを等しくし、日章の中心は旗面の中心。
   木下尚江、良人の自白「本郷の大通り帝国大学の正門には、大きなる―高く飜ひるがへり」

  「にっぽん」と「にほん」という呼び方は、いつ生まれたのか?  「日本」と呼ばれるルーツは東大阪市にあった
日本語・言葉の雑学1 日本語・言葉の雑学2 日本語・言葉の雑学3 姓・氏・名字の雑学 和歌・俳句・川柳
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