手づくり アイスの店 マルコポーロ
日本歴史の雑学15 江戸時代・文献記述
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このページの最終更新日:   18.04.20
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  Page Contents



 古代の日本の別名各種および、大和=倭國=邪馬台の解説 (和漢才図絵)

 和漢三才図絵の主な記述項目(石高・地名・産するものなど) 巻64~80

  神武天皇 (初代) が日本盤余彦尊と名乗り、大和の畝傍山の東南にある橿原で即位し始めて帝の宮を建てた。
  成務天皇 (13代) の令によって、山河出で国郡を分け、諸国に国造・稲置(地方の行政官)を置いた。
  崇峻天皇 (32代) が588年に諸国の郡の境を改めた。
  聖武天皇 (45代) が天平10年の令によって、国と郡の図を作る事を進めた。(続日本紀)
   天平13 (741) 年3月24日に「国分寺建立の詔」を発して、東大寺を総国分寺・法華寺を総国分尼寺として
   各国に国分寺および国分尼寺が国ごとに建立されます。

 五畿内  5箇國  53郡   5万2283町7反 139万8700石余
  山城 大和 河内 和泉 摂津

 東海道 15箇國 130郡 25万6431町      488万3590石余
  伊賀 伊勢 志摩 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸

 東山道  8箇國  113郡  19万1465町5反 563万0760石余  東国は「吾妻」と呼ぶ
  近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 陸奥 出羽

 北陸道  7箇國   31郡   9万7737町       242万8410石
  若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡

 山陰道  8箇國   52郡   5万6452町       120万7010石
  丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐

 山陽道  8箇國   70郡  15万8849町      205万9180石余
  播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門

 南海道  6箇國   50郡   5万4174町      140万1680石余
  紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐

 西海道 11箇國 103郡   9万8523町      345万8960石余
  筑前 筑後 肥前 肥後 豊前 豊後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬 / 琉球國

  総合計 68箇國 622郡  96万5915町2反(田畒)   2246万8290石(租米) ← 年貢の対象となる数値 (新田など含まず)


  おすすめサイト 歴史の雑学が色々と載っています。
   株式会社まぼろし 歴史雑談録 http://rekishi.maboroshi.biz/about/
   歴史研究所 『日本史』 http://www.uraken.net/rekishi/rekijap.html
   NAVER まとめ 『再現された江戸時代の日本人の食事』 http://matome.naver.jp/odai/2134329123090279301
   こはにわ歴史堂のブログ http://ameblo.jp/kohaniwa/  ← 朝日放送 コヤブ歴史堂「こはにわ先生」の浮世博史さんのブログです。

  国立国会デジタル図書館 で下記の文献 (原文のまま) などが無料公開されています。PDFで一括ダウンロード可能になりました。
  和漢三才図会 105巻 明治17~21年版 中近堂
   上之巻 『大目録 ~ 36女工具』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898160
   中之巻 『37畜類~71伊賀』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898161
   下之巻 『72山城~105醸造類』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898162
  嬉遊笑覧 上巻 喜多村信節 著 昭和7年版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123091
  嬉遊笑覧 下巻 喜多村信節 著 昭和7年版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104
  江戸時代のさまざま 三田村鳶魚 昭和4年刊 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187205
  類聚近世風俗志 : 原名 守貞漫稿. 上 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444386
  類聚近世風俗志 : 原名 守貞漫稿. 下 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1053412
  皇都午睡 : 三編 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763829/9
  東京年中行事. 上の巻 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991464/32
  東京年中行事. 下の巻 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991465
  江戸時代のさまざま 三田村鳶魚 昭和4年刊 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187205
  明治事物起原 石井研堂 1908年(明治41年) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898142/1

  人文学オープンデータ共同利用センター 「日本古典籍データ」 無料で一括ダウンロード可能ですが 7Gほど必要です。
  和漢三才図会 105巻 1712年初版の大坂杏林堂版 (味の素所蔵品) http://codh.rois.ac.jp/pmjt/book/100249312/

  人文学オープンデータ共同利用センター 「源氏物語」「豆腐百珍」など多くの古典文献 (原文のまま) が無料公開されているサイトです。
  http://codh.rois.ac.jp/pmjt/

  異国叢書[第6] ケンプエル江戸参府紀行:上巻 を所収 1927 (昭和2) 年 東京の駿南社 版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1876448
  異国叢書[第9] ケンプエル江戸参府紀行:下巻 を所収 1929 (昭和4) 年 東京の駿南社 版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1195335
  異国叢書[第4] ツンベルク日本紀行 を所収 1928 (昭和3) 年 東京の駿南社 版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179833
  ツンベルク日本紀行 1941 (昭和16) 年 東京の奥川書房 版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043693
  異国叢書[第5] ヅーフ日本回想録&フィッセル参府紀行 を所収 1928 (昭和3) 年 東京の駿南社 版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179830
  ペルリ提督 日本遠征記 1912 (明治45) 年 東京の大同館 版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992335

 
 和漢三才図会 各国一覧 書きかけ
  1712年(正徳2年)の『和漢三才圖會』(著編者は羽後生まれ、一説に大坂の人と言われる大坂の医師 寺島良安)は
  大坂で出版された百科事典の一つ。 Wiki 和漢三才図会
  105巻あり、天文学・風水・暦、中国~インドの地理や人物、日本各地の地理・神社仏閣や由来、人体解剖図、
  漁具・農具・武具、官位・刑罰、船・乗り物、昆虫や動植物とその食した時の効能など、ありとあらゆる物が載っています。

  『和漢三才図会』の地の部 巻六十四~八十。山城 (京都)×2巻、摂津、河内、大和は各1巻で記述が多い。
  特に歴史の部分については現在の研究史実とは異なる部分はあるでしょうが、江戸時代中期頃の知識人は記述の
  ような認識を持っていたと思われます。


  ≪ 寺島良安による「邪馬台国」「倭国」「大和国」の見解 ≫

  地の部には中国(巻62本・巻62末・巻63)の事も詳しく書いてあり、巻64では朝鮮やインドなど近隣アジア諸国の記述も
  あります。中国の文献書物なども多数読んでいるようです。


  ざっと訳すと、下記のような事が書かれてあるようですが、誤訳や訳せていない部分もあるので
  下記を確認して下さい。
  但し、原文も完全に表すのが無理なので、人文学オープンデータ共同利用センターのサイトで原書のページを
  閲覧して下さい。(ページ毎・105巻一括6.8GBのダウンロードも無料で出来ます)

  大和国は神武天皇が王業を以て号した。その後、後世の本名は唯「大和」と総じて呼ぶ。
  大倭国と言うのは漢人が誤って呼んだか、「倭」と同音だった為。「邪馬壹」あるいは「邪馬堆」共に唐の音である。
  然るに後漢書光武の下に「倭奴國」とあり、その「奴」の一字を加える者は何ぞや。
  東国通鑑(朝鮮国の史なり)によると、日の出る所が近いので自ら名とし、倭国は日本と改めて称した。
  この事は唐書(広辞苑によると一般的に新唐書を指すそうです。)にも書いてあるが如し。


  1712年刊『和漢三才図会』の地の部 巻六十四 『大日本國

  ※「ひらがな」は原文中では片仮名で書かれてありますが、フリガナと区別する為に変換して書き直してあります。

  北極星出三十五度  中華陜西 河南之地

  豊葦原トヨアシハラ千五百チイヲアキの瑞穂ミズホ 浦安 細戈ホソホコ千足チタルの 磯輪上シワカミ秀眞ホノマの
  玉垣内タマカキウチツ 以上神代穪国號なり   「=称」

  豊秋津洲トヨアキツス 神武天皇始國號 秋津とは者蜻蛉蟲之和名也 國形畧似乎蜻蛉因以爲
  呼 總名也 虚見ソラミ津日本國

  大和ヤマトの 神武天皇始王業於大和以爲國號武王於岐周王業國號
  るか上レ之類になり 其後世く人天子多於大和故意本名唯以大和を總名

  大倭國 又云倭奴國漢人誤する也 或倭同音なるを倭國 和訓以爲
  耶馬堆夜末止唐音也 然るに後漢書光武倭奴國其加るは者何耶ソヤ

  東國通鑑 朝鮮國の之史なり に云 倭國更アラタメて日本から言近きを以爲すと

  △桉 此新羅文武王十年なり髙宋咸亨元年なり 天智天皇九年也
  唐書にも亦如かくの天智帝改國號アヤマリをりし天下玉ふこれを異朝焉而
  以来ソレヨリコノカタ唐書皆稱日本日東


  【秋津洲・秋津島・蜻蛉洲】あきず‐しま
   名大和国。また、本州。また広く、日本国の異称。あきずしまね。あきずね。
   (もと御所ごぜ市付近の地名から。神武天皇が大和国の山上から国見をして「蜻蛉の臀となめの如し」と言った伝説がある)
   古事記そらみつやまとの国をあきづとふ 枕言葉「大和やまと」にかかる。万葉集うまし国ぞ あきづ 大和の国は


  「にっぽん」と「にほん」という呼び方は、いつ生まれたのか?  「日本」と呼ばれるルーツは東大阪市にあった

  筑波大学大学院 西中研二 博士 『林羅山と『東國通鑑』について』 2013年5月

  東國通鑑は、1484年に徐居正らによって編纂された三国時代~高麗時代末までの朝鮮の歴史書。
  檀君神話・箕子朝鮮の事などが書かれており、特に『三國史記』『三國遺事』などからの内容転載もある新羅の歴史を知る
  貴重な資料だそうです。ウィキペディアによれば、内容的には信用できない点も多いようです。
  徳川光圀が辻了的に訳させて、1667 (寛文11) 年11月に京都の松柏堂から出版。松柏堂判は現存15部。




 国名 郡の数 石高。 一宮 (明治時代の社格) 江戸時代中期1710年代の一宮の社領石高

 郡名  は律令制で国府が置かれた場所と思われます。
  / 要所地 できるだけ同書そのままの旧漢字とフリガナ この色の字は旧字→現代漢字に変換

  【一の宮】いち‐の‐みや
   各国の由緒あり信仰の篤い神社で、その国の第1位のもの。大宮市の氷川神社を武蔵国の一の宮とした類。
   今、各地に地名としても存続している。(「うつのみや」もその転訛)  Wiki 一宮

  【摂社】せっ‐しゃ
   本社に付属し本社に縁故の深い神をまつった神社の称。
   本社と末社との間に位し、本社の境内にあるものと境外にあるものとがある。


 解説がある主な神社仏閣や地名の由来などで記述文が多いものなどを抜粋。 この色の字は旧字→現代漢字に変換
 500石以上の寺社 (寺領が書かれていない寺社も多数あります。特に摂津と河内にはほとんど石数の記述がありません。)

  この文字の色は当サイトでの補足。

  【貞観】じょうがん
   平安前期、清和・陽成天皇朝の年号。天安3年4月15日(859年5月20日)改元、貞観19年4月16日(877年6月1日)
   元慶に改元。

  【延喜式】えんぎ‐しき
   弘仁式・貞観式の後をうけて編修された律令の施行細則。平安初期の禁中の年中儀式や制度などを漢文で記す。50巻。
   905年(延喜5)藤原時平・紀長谷雄・三善清行らが勅を受け、時平の没後、忠平が業を継ぎ、927年(延長5)撰進。
   967年(康保4)施行。

  【拾芥抄】しゅうがいしょう 拾芥略要抄。
   歳時・文学・風俗・官位・典礼・国郡・神仏・衣食・吉凶など有職故実に関する事典。
   洞院公賢とういんきんかた(南北朝時代の太政大臣1291~1360)編。3巻。漢文体。孫の実熙さねひろが増補したという。
   鎌倉末期に成る。


 土産トサン =その土地で産するもの


 1754年の『日本山海名物図会』に記載がある名物  後日書く予定です。


  ○は不明または出力できない漢字。 この色の文字・文章は当サイトの注釈および補足事項
  一宮は「△△大明神」としかないので、当サイトで神社名に変更。
  (例) 『和漢三才図会』の記述「宮 鹽竈大明神」→ 当サイトで「塩釜神社」(明治時代の社格を追加) に変更。
  同書では、神社・寺の場所および社領石高が列挙されています。また重要寺社では本尊や縁起などの解説があります。

  ※ 当サイトによる書き漏れ、誤字などがあるかも知れません。
   また、分かる範囲でざっと訳しているだけなので誤訳が多くあると思います。資料にするには必ず原文を確認してください。

   多くの歴史書が人文学オープンデータ共同利用センターおよび国立国会図書館デジタルコレクションなどのサイトで
   無料公開されています。但し、初版本ではない事が多いので、コトバンクなどのサイトで文献情報を確認しておきましょう。
   文献の詳細 (いつ・何処出身のどのような人が・どのような目的で・初版出版地は? など) を確認せず、引用しているサイトが
   ほとんどです。
   そして都合の良い部分のみを抽出引用して、嘘・誤魔化しの歪曲歴史がウィキペディアでも流布しています。
   (テレビなども含め東京発信情報に多いです)

  順次、各国の記述項目などを書いていく予定です。
  「町おこし」の為のネタ探しなど、地元の歴史や昔の産物を調べる手がかりとして役立てれば幸いです。

  国立国会図書館デジタルコレクション 『日本山海名物図会 5巻』
  コトバンク 『日本山海名物図会』
  1754 (宝暦4) 年、平瀬徹斎 (大坂の人) 編著。長谷川光信 (大坂の人) 画の『日本山海名物図会』全5巻は、日本各地の
  名物を描いた絵本。


  江戸の寛永寺の寺領は1万石、増上寺5000石、浅草寺500石。
  奈良では興福寺が1万5400石余+一乗院1495石+大乗院951石、東大寺で2200石余、法隆寺1000石、永久寺971石、
  長谷寺500石、唐招提寺300石、薬師寺300石、西大寺300石。大阪の四天王寺1177石。長野の善光寺1000石。
  和歌山の高野山金剛峰寺2万1700石。滋賀県の延暦寺5000石、園城寺4800石、石山寺579石。
  京都は東本願寺は記載なし、醍醐寺4800石、大徳寺2200石、天禅寺1830石、東福寺1714石、大谷寺1700石、方広寺1633石、
  聖護院1500石、仁和寺1500石、他500~1500石多数あり。
 
 六十五 陸奥・出羽 北海道・東北の食文化

 陸奥みちのく 54郡 (昔は36郡) 高182万9000石。 東山道 塩釜神社 (鹽竈大明神) 1400石 (旧国幣中社)

 () 白河シラカワ、盤瀬イハセ、曾津アヒツ、耶麻ヤマ、安積アサカ、安達アメチ、信夫シノフ、刈田カツタ、柴田シハタ、名取ナトリ
 菊多キクタ、磐城イハキ、標葉シハ、行方ナメカタ、宇多ウタ、伊イク、亘理ワタリ、宮城ミヤキ、黑川クロカワ
 賀美カミ、色麻シカマ、玉造タマツクリ、志太シタ、栗原クリハラ、磐井イハヰ、江刺エサシ、膽澤イサハ、長岡ナカオカ、新田ニイタ
 小田オタ、遠太トヲタ、氣仙ケセン、牡鹿ヲシカ、登米トヨメ、桃生モハノフ、大沼ヲホヌマ、和賀、河内、稗○(?)ヒエツキ、高野タカノ
 志大シタ、阿曽沼アソヌマ、郡戴クンキ、鹿甬カトノ、階上ハシカミ、津輕ツカル、宇多ウタ(重複?)、本吉モトヨシ、大名門ヲホナト
 稲我イナカ、石川、金原キンハラ、閉伊ヘイ、星河ホシカワ

  / 仙臺 (仙台) ・白石・若松・二本松・南部盛岡・八戸・岩城・棚倉・平泉・白川・三春・中村・福島・柳川・一關 (一関)・
  津軽弘前・松前・石

  【陸奥】みちのく、おく、むつ、みちのくに (ミチノオクの約) … 磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥の5カ国の古称。奥州。

  【陸奥】むつ
   ① みちのく。
   ② 旧国名。1869年(明治元年12月)磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥に分割。分割後の陸奥は、大部分は今の青森県、
    一部は岩手県に属する。
   ③ (「むつ」と書く)青森県北東部、下北半島の市。霊場恐山おそれざんがある。人口6万4千。

  【塩竈神社】しおがま‐じんじゃ
   宮城県塩竈市にある元国幣中社。祭神は塩土老翁しおつちのおじ神ほか。古来、安産の神として名高い。
   境内に志波彦神社が鎮座。


 塩釜六所大明神、諏訪大明神 (会津)、八幡宮(津軽弘前)600石、八幡宮(南部櫛引村)1030石、走湯ハシリユノ権現(平泉、奥州藤原氏
 3代の事)、岩城山権現(津軽、領主の岩城判官正氏の子の安寿と厨子王・山椒太夫の話、清原氏と源義家)400石、
 瑞岩寺(伊達正宗の霊廟)、護法山示現寺、中尊寺50石、光堂久蔵寺(奥州藤原氏菩提寺)、正壽寺(南部氏は源義光の曾孫)、
 焼山ヤケヤマ(賽の河原)、光徳寺(本願寺派道場)、蓮性寺、本誓寺、索規浜、保呂豆木ポロツキ、金花山、松島(天下の絶景にて
 貴賤関係なくみんな小舟で観光する)、末松山、白川関(孝徳天皇645~654時代に設置された日本初の関)、文字摺石、
 壺石碑(多賀城の設置)、衣川の関(源義経一行と藤原氏の事)、塩泉、佐藤庄司臼跡(藤原秀衡の家臣)、など。

  東照大権現 (会津・正寿寺1000石+仙台・仙岳寺1000石+津軽・薬王院500石)


 紬(仙台)、紙布シフ(仙台)、奉書紙、埋木灰、沙金、鷹、糒(仙台)、大蕪、牡蠣、金海(金華山島)鹽引(衣川)、熊皮、
 尾駁駒、馬の尾、信夫摺絹、漆(会津)、蝋(会津)、椀(会津)、水精(南部)、琥珀、陸、丹土ニツチ(津軽)、鰊、鰊子ガズノコ
 舎利石(津軽)
 松前の土産 鷹、鶴、眞羽マハ、亍鮭ホンサケ、鰊、鯨、昆布、○虎皮、熊鹿皮、水豹アザラシ、オットセイ、トド、
 祢豆不ネツフ、阿毛志豆平アモシツヘイ、沙金スナカネ石、天○靣低古テンメンテイコ

  【陸奥紙】みちのく‐がみ(もと陸奥から産したからいう)檀紙だんしの別称。みちのくにがみ。
   讃岐典侍日記「御枕がみなる―して御鬢のわたりなどのごひ参らする程に」



 出羽でわ 12郡 (延喜式で11郡、のち由利 加増) 高87万石余 東山道。 鳥海山大物忌神社 (アクミ大明神) 1100石 (旧官幣中社)

 () 最上モカミ、村山、置賜オイタミ、雄勝ヲカチ、平鹿ヒラカ、山本、○(飽?) アタミ、川邊カハノヘ、田川、出羽イテハ、秋田、由利

  / 米澤・山形・上野山・窪田・新庄・本庄・庄内・松山・大舘・岩瀬・龜田 (亀田)

  元明天皇の和銅5 (712) 年に陸奥・越後から割った11郡を出羽国とする。

  【出羽】でわ (古くはイデハ)
   東北地方の一国で、1869年(明治元年12月) 羽前・羽後の2国に分割。今の山形・秋田両県の大部分。

  【出羽三山】でわ‐さんざん
   山形県(出羽国)にある月山・羽黒山・湯殿山の称。修験道を中心とする信仰の山。奥羽三山。


  羽黒山権現(最上領、出羽神社)1500石、鳥海山権現、最上川、牟夜牟夜関ムヤムヤノセキ、大沼、象潟キサカタ
  宝珠山立石寺(最上)1420石、賽幢寺(山形)1300石、光明寺(最上)1760石

  【出羽神社】でわ‐じんじゃいでわじんじゃ。
   山形県鶴岡市羽黒町にある元国幣小社。祭神は伊氐波神・稲倉魂命うかのみたまのみこと。出羽三山神社の一つ。


 紅花(最上)、青苧、蝋、温石、漆、油紙、紫根(秋田)、亍蕨ホンワラビ(秋田)、狗脊草(秋田)○、鰰ハタハタ、錫スズ、鉛、銀、
 昆布、硫黄、串鮑クシアワヒ、煎海イリコ、鹿皮、馬 (解説あり)

 
 六十六 上野・下野・常陸・上緫・下緫・安房

 上野かうつけ 14郡 高46万8000石。 一ノ宮貫前神社 (ハツムノ大明神) 500石  (旧国幣中社)

 () 碓氷ウスヒ、片岡カタヲカ、甘樂カンラ、多胡タコ、綠野ミトノ、那波ナハ、群馬クルマ、吾妻アツマ、利根トネセタ、佐位サイ
 新田ニツタ、山田、邑樂オハラキ / 舘林タテハヤシ・廐うまや橋・沼田・安中・小・七日市・伊

  【上野】こうずけ …(カミツケノ(上毛野)の略カミツケの転)旧国名。今の群馬県。上州。

 【貫前神社】ぬきさき‐じんじゃ
  群馬県富岡市一ノ宮にある元国幣中社。祭神は経津主神ふつぬしのかみ。上野国一の宮。今は一之宮貫前神社と称。


  新田明神(新田義興)、長樂寺、泉龍寺、小倉寺、成然寺、佐野舟橋、竿吹峠ウスイトウケ(碓峠、弟橘姫)

  寺領の記述有では、長樂寺と義重山大光院の300石が最高。八幡宮の2社と普濟寺など4寺が100石。他は89石未満。
  赤城三所明神は50石、妙義山大権現は30石、榛名山は50石


 日野、新田山、佐野白荢シロソ、漆、盆山石(戸澤)、鯉(刀根川)



 下野しもつけ 9郡 高46万4000石。 東山道 宇都宮二荒山神社 (日光大明神) 1000石 (旧国幣中社)

 () 足利アシカゝ、梁田ヤナタ、安蘓、都賀、寒河サムカハ、鹽屋シヲヤ、那須ナス、芳加ハカ、河内カハチ(眞壁に改)

  / 宇都宮・壬生・鳥山・大田原・小見川・黒羽

  【下野】しもつけ (シモツケノ(下毛野)の略)
   ① 旧国名。今の栃木県。野州やしゅう
   ②(下野の国に多いから名づける)バラ科の落葉小低木。高さ30~60センチメートル。葉は長卵形で、先は次第に尖る。
    夏、茎頂に淡紅色の小花を密生。花は5弁で、雄しべが目立つ。観賞用に植栽。
    日本の山地には同属のイワシモツケ・ホザキシモツケなど数種がある。
   ③ 栃木県南部の市。薬師寺や下野国分寺が置かれた地。古くから交通の要衝。人口5万9千。

  【二荒山神社】ふたらさん‐じんじゃ
   ①日光市山内にある元国幣中社。祭神は二荒山大神(大己貴命おおなむちのみこと・田心姫命・味耜高根命)。
    767年(神護景雲1)勝道上人が社殿を創建。のち中宮祠・中禅寺も営まれ、信仰をあつめる。下野国一の宮と伝える。
    日光権現。
   ② 宇都宮市馬場通にある元国幣中社。祭神は豊城入彦命。下野国一の宮といわれる。宇都宮大明神。
    ふたあらやまじんじゃ。


  日光山社1000石、東照大権現 (日光東照宮) 1万石+別院の合計1073石+関連3640石+神馬2匹など。
  八王子権現 (補陀山神宮寺)、宇都宮大明神 1750石、太平大権現50石(北条時頼)、
  学校 (足利学校) 100石(小野篁らからの由来)、安穏寺(色々と歴史記述あり)、專修寺、眞佛房(桓武天皇の末裔の大内氏)、
  知房、真證房、日光(加牟未牟淵、寂光、裏見瀧、霧降瀧)

  寺領の記述有では、鹽屋木日光と大剛院の200石が上記以外で最高。

  【東照宮】とうしょう‐ぐう
   徳川家康を祀った神社。別称、東照大権現。家康は1616年(元和2)に没し久能山に埋葬、翌年日光に改葬。
   初めは東照社と称したが、45年(正保2)日光の東照社に宮号を授けられて以後、上野・水戸など全国に建立の東照社も
   東照宮と改称。日光および久能山の東照宮は後に別格官幣社。

  【宇都宮】うつのみや
   姓氏の一つ。中世、下野の豪族。同国一の宮たる宇都宮の社家。源頼朝に属し、武士団を構成、在地領主として成長し、
   家法として「宇都宮弘安式条」を制定。


 日光苔ノリ(川より、川海苔)、大方紙(那須)、漆、、笠(宇都宮)、餌籮エフゴ(鷹の餌を入れる畚)、扇、團扇ウチハ(宇都宮)、牛房ゴボウ(稲葉)
 椀折敷・盆・木鉢(日光)、銅(蘆尾山より)

  【大方紙】たいほう‐し
   常陸国久慈郡金砂郷村大方おおかた原産の厚い楮紙こうぞがみ。中世に佐竹領で始まったので「佐竹大方紙」ともいい、
   近世に奥羽地方で造ったものを大奉紙・大芳紙という。

  【折敷】お‐しき(「折り敷く」の連用形から)
   四方に折りまわした縁をつけた、へぎ製の角盆または隅切盆。食器や神饌をのせるのに用いる。足打折敷・角切すみきり
   折敷・そば折敷・山折敷・縁高ふちだか折敷・かんなかけ折敷など種類も多い。



 常陸ひたち 11郡 高75万3600石余。 鹿島神宮 (鹿島大明神) 2000石 (旧官幣大社) 

 () 新治ニイハリ、眞壁マカヘ、筑波ツクハ、河内カウチ、信太シタ、茨木ムハラキ、行方ナメカタ、鹿島カシマ、那河ナカ、久慈クシ
  多珂タカ、  笠間カサマ、藪木スキ、秋津アキツ 笠間以下3郡は延喜式に無く、拾芥抄に14郡とある。

  / 水戸・下舘・笠間・土浦・房内・矢田部・鹿島

  【常陸】ひたち … 旧国名。今の茨城県の大部分。常州

  続日本紀では元正天皇の養老元年に、常陸国の石城イハキ・標葉シネハ・行方・宇太・白理・菊多の6郡の割って石城国を
  置き、白河・石背・會津・安積アサカ・信夫シノフの5郡を割って石背イハセ国を置いた。
  以上の11郡は現在は陸奥国に属している。白理は亘理の字に変わり、行方郡は両国(常陸・陸奥)にある。

  Wiki岩城国
  石城国(いわきのくに)は令制国の一つ。奈良時代に陸奥国から分立したが、短期間しか存続しなかった。718年に設置
  され、720年と724年の間に廃止された。
  現在の福島県浜通りとその延長にある宮城県亘理郡に限られ、阿武隈山地を越えた盆地は含まれない。

  Wiki 岩背国
  石背国(いわせのくに)は、令制国の一つ。奈良時代養老2年(718年)5月2日に陸奥国から分立したが、短期間しか存続
  しなかった。現在の福島県中通りと会津地方にに当る。

  【鹿島神宮】かしま‐じんぐう
   茨城県鹿嶋市宮中にある元官幣大社。祭神は武甕槌神たけみかずちのかみ。経津主神ふつぬしのかみ・天児屋根命を配祀。
   古来軍神として武人の尊信が厚い。常陸国一の宮。


 鹿島大明神(祭神、要石、御斎禰宜・東長門守300石、神宮寺別当136石、総大行事・鹿島出羽守200石、護国院護摩30石)、
 筑波山権現500石(末社99社有)、八幡宮(水戸、源義家の弟の新羅三郎義光の軍配団扇など有り)、東照宮(水戸大照寺)1000石、
 無量壽寺(斎間郡鳥巣、中臣鎌足の末裔の順信が寺の初祖、境内に妖鬼が出入りする一塚があって念佛で収めた)、
 西念寺(茨城郡稲田村、由来と三度栗)、眞佛寺、厭良房、報佛寺、上宮寺、枕石寺、三月寺、光明寺、願入寺300石、


 楂魚ウキゝ(水戸)、大方紙(佐竹)、小杉原(佐竹)、鯉(蓑和田)、華臍魚アンカウ



 上緫かみつふさ 11郡 37万8890石。 玉前神社 (玉前大明神)  (旧国幣中社) 貞観9年7月従五位上 玉崎神を四位下

 () 市原、海上、畔蒜アヒル・ホニル、望陀モウタ、周維スヱ、夷○イシミ、天羽アマハハニフ、長柄ナカラ
  山ヤマノベ、武射ムサ / 生實ヲユミ・澤井・佐貫

  【上総】かずさ … (カミツフサの転)旧国名。今の千葉県の中央部。

  【玉前神社】たまさき‐じんじゃ
   千葉県長生郡一宮町にある元国幣中社。祭神は玉埼神(玉依姫)。上総国一の宮。9月13日の裸祭りが有名。


 大厳寺の170石が、最も多い寺領石高の寺で、詳しい縁起などの説明がある寺もありません。
 海上潟ウナカミカタ、浪ナミ乃山、千草チグサ濱、音信ヲトツシ山、限カキリ乃山、形見カタミ濱、黒戸濱、奈留加ナルカ乃海などの
 詳しい説明はありません。


 鯛(大瀧浦より多く出す)、鮑アハヒ(大瀧浦、最大)、蛤(自東金)、紅花(長南)、石



 下緫志もつふさ 12郡 39万3290石。 東海道 香取神宮 (香取大明神) 1000石 (旧官幣大社)

 () 葛餝カトシカ、千葉チハ、印幡インハ、迊瑳サフサ、海上ウミカミ、香取カトリ、相馬、狭島サシマ、結城ユウキ
  豊田トヨタ、岡田 / 關宿・佐倉・古河・小松・大瀧・大和田

  【下総】しもうさ
   旧国名。今の千葉県の北部および茨城県の一部。上総かずさを南総というのに対し、北総という。しもつふさ。

  【香取神宮】かとり‐じんぐう
   千葉県香取市にある元官幣大社。祭神は経津主神ふつぬしのかみ(斎主命)。古来、鹿島神宮と共に軍神として尊崇された。
   下総国一の宮。


 香取大明神(各祭神名と鹿島神宮との関係が簡単に記されているだけ)、弘經寺(飯沼)230或いは100石が最高の寺領で
 妙見寺200石、結城寺114石、大教寺100石、千葉神社100石。社領・寺領の記述があるほとんどが20~50石程度です。
 聞光寺は長文の説明があります。弘徳寺(開基の信樂は平将門の二男の末孫)、東弘寺(開基の善性は桓武天皇の18代末孫)、
 葛餝浦、真間浦、許我渡コガのワタシ、角田スミタ川(下総と武蔵の境の川で入間川の末流)、勝間田カツマタ
 東照大(千葉)600石← 武蔵国のページの記述から


 苔ノリ(葛西)、紬ツムキ(結城・中山)、三度栗



 安房あわ 4郡 9万1779石。 安房大社 (洲崎スサキ明神) (旧官幣大社) 仁壽2年に神階 従三位

 () 平群ヘクリ、安房、朝夷アサヒナ、長狹 / 梶山・東條・北條

  続日本紀によると元正天皇の養老元年に上総のうち4郡を割取って安房国を置いた。天平13年に元戻したが、後に
  また現在のようになった。

  【安房】あわ … 旧国名。今の千葉県の南部。房州。

  【安房神社】あわ‐じんじゃ … 千葉県館山市にある元官幣大社。祭神は天太玉命あまのふとだまのみこと。安房国一の宮。


  洲崎明神(源頼朝が石橋山の合戦で敗北し、逃れた船が洲崎に着き当神社で終夜にわたり祈念。夢想の歌がある)
  八幡宮(那古村)270石、寶珠院(安房郡の府中)300石、那古寺(那古村)300石など、ほぼ寺名と場所と寺領が列挙されているだけ。
  野島崎(長狭郡の小湊、近江と淡路に同名の場所がある)、二山雷狩フタヤマのカミナリ(地域に伝わる伝承)

  【石橋山】いしばし-やま
   小田原市南西部にある山。1180年 (治承4) 源頼朝が大庭影親に敗れた所。


 木綿、苔ノリ(小湊)、浪子ナミコ(蜆貝に似る)、○「糸+刃」ヒモノリ、眼黑鰹メクロカツヲ


 六十七 武蔵・相模・伊豆   東京近郊の関東の歴史

 武蔵 21郡 高84万石余、東海道。 氷川神社 (氷川大明神) 500石 (旧官幣大社) 神階 貞観11年 正四位下

 () 久良クラキ、都筑ツゝキ、多麻タマ、橘樹、荏原エハラ、横見、豊島トシマ、足立アタチ、新座ニイクラ、入間、高麗コマ
  比企ヒキ、兒玉コタマサタマ、大里ヲホサト、男衾ヲフスマハラ、榛澤ハシサハ、那珂ナカ、賀美、秩父チゝブ

  / 川越カハコヘ・岩築イハツキ・忍ヲシ

  【武蔵】むさし (古くはムザシ)旧国名。 … 大部分は今の東京都・埼玉県、一部は神奈川県に属する。武州。

  【氷川神社】ひかわ‐じんじゃ
   さいたま市大宮区高鼻町にある元官幣大社。祭神は素戔嗚命すさのおのみこと・大己貴命おおなむちのみこと・奇稲田姫命
   くしなだひめのみこと。孝昭天皇の代に出雲大社から勧請かんじょうしたという。武運の守護神で武家の尊崇が厚かった。
   例祭は8月1日。武蔵国一の宮。氷川大明神。

  【大己貴神・大穴牟遅神・大汝神】おおなむち‐の‐かみ … 大国主命おおくにぬしのみことの別名。大名持神おおなもちのかみとも。


 永田山山王現600石(比叡山の慈覚大師が川越に至り星野山を初めて開き、天台宗の教法を東国の仏法の守護として
 勧請して山王権現とし二十一社を置いた。太田道灌が江戸城を築城し、文明1469~1487年中に当社を星野山城内に移した。
 承応3年(1654)に焼失した後、今の所在地に移した)、神田大明神30石(平将門について)、麹町天神(摂津源氏で宮中で鵺ぬえ
 退治した話がある源頼政の末裔である太田道灌と、関東管領職の山内上杉氏と扇谷上杉氏との覇権争いについて)、
 氷川大明神500石、六所明神500石、龍守明神500石、愛宕山大現100石(坊舎5箇寺あり、石段83段)、鷲宮大明神500石、
 湯島聖堂(神田、孔子を祀った聖廟は文武天皇の大宝元年に始まるが、中古は断絶し、尾張大納言(徳川家光?)が寛永
 10年に江戸の上野に建立。元禄3年に綱吉が湯島に移して建立。林大学の頭 (林羅山の末裔の当主)が支配。林家のことなど)
 東叡山寛永寺1万石(慈眼大師天海について)、金龍山淺草寺500石(推古天皇時代に此処に移す。朱雀天皇の天慶5(942)年に
 安房国司の平公雅が武蔵国守となり伽藍がらん(寺院の建物)を建設し、以来歴代将軍が修造してきた)、
 三山増上寺5000石、無量山壽經寺600石、泉岳寺(赤穂義士について)、正院1000石、法明寺(鬼子母神社について)、

  【山王権現】さんのう-ごんげん
   日吉ひえ神社(滋賀県大津市、二十二社の一つで元官幣大社)日枝ひえ神社の祭神。

  【山王神道】さんのう-しんとう
   天台宗(円頓)の神道説。日吉神社を山王と立て、三諦即一の教理を織り込んだもので、比叡山の地主神である日吉神社を
   中心に広まった。江戸初期に天海が幕府と結び隆盛を極め、これを特に山王一実神道という。天台神道。日吉神道。

  【日枝神社】ひえ‐じんじゃ 永田山山王権現
   東京都千代田区永田町にある元官幣大社。太田道灌が近江 (滋賀県大津市坂本の比叡山東麓)の
   日吉神社ひえ‐じんじゃを江戸城に勧請したのに始まる。
   例祭は6月15日で、古来、山王祭・御用祭・天下祭と呼ばれ、神田祭とともに江戸の二大祭。

  【浅草寺】せんそう‐じ 浅草あさくさ観音。   Wiki 浅草寺  Wiki 坂誥秀一
   東京都台東区浅草にある聖観音宗(天台系の一派)の寺。山号は金竜山。本坊は伝法院。628年、川より示現した
   観音像を祀ったのが始まりと伝え、円仁・源頼朝らの再興を経て、近世は観音霊地の代表として信仰を集めた。

  【円仁】えんにん (下野しもつけの人、794~864)諡号しごう慈覚大師
   天台宗山門派の祖。天台座主。最澄に師事。838年(承和5)入唐し天台教学・密教・五台山念仏等を修学、
   847年(承和14)武宗の仏教弾圧の中を帰国。
   常行三昧堂を建立し、東密に対抗する台密の基盤を整備、比叡山興隆の基礎を確立した。
   著「金剛頂経疏」「入唐求法巡礼行記」など。

 朱雀天皇時代の天慶 (938~947年) は平安中期に区分されているので、下リンクのサイトの調査結果と一致します。

  浅草寺創建年代考 坂詰秀一 (考古学者。立正大学名誉教授・元学長(第27代)、品川区立品川歴史館館長。武蔵野文化協会会長) 著 ‎1970
   http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/3080/1/KJ00000189612.pdf
   によると、実質的な創建は平安時代中期頃のようです。

  【川越城・河越城】かわごえ‐じょう
   武蔵国入間郡 (埼玉県中部) にあった城。川越市郭町に城址がある。太田道真・道灌親子の築造という。
   酒井・松平氏らの城下町として繁栄し、小江戸と呼ばれる。

  江戸は屍臭と小便臭が漂う日本一の激臭Cityだった 糞尿処理、文献による考察から、京・大坂が最も清潔だった
  江戸の治安システム 江戸の治安は良かったのか?
  江戸っ子とは? その実態、3都の気質など  江戸の嫁事情
  江戸の呑み倒れ江戸時代中期以降 酒が貧乏徳利で大量。  大坂に1万人以上のスリがいたというのは本当か?
  江戸時代の化粧 江戸時代後期のファッション雑誌 『都風俗化粧伝』の内容、最も化粧するのは大坂
  江戸の人口100万人は本当か? 寛政時代の幕府記録では江戸の人口 2億61万3000人もいた?
  言葉の伝播 日本列島アホ・バカ分布図  天下の豪商 淀屋  大阪市と東京市の区の変遷  江戸時代の出版事情 京・大坂・江戸
  東京 大正時代の関東大震災後の帝都復活、それまでは欠陥都市と言われた
  東京名物の塵土(ほこり) 明治44年出版の東京年中行事の原文、埃にまみれた屋台で飲食するので、衛生観念がない事が記述されています。


 甜瓜マクワウリ(葵の紋のような柄がある、味は最も美味なり)、草薢トコロ(大きく黄色)、葱白ネブカ、紫染ムラサキソメ、蜆(川口)
 小魚(芝の海より、俗に雑肴ザツコと称する)、蛤、貝香カイコウ、長辛螺タニシ、淡菜喰貝ミルクイカイ、大榮螺サザエ、牡蠣カキ、鰹カツヲ
 白魚シロイヲ、荒和布ワカメ、苔ノリ(品川)、海鼠ナマコ(金川)、素麪(久我)、木綿島モメンシマ(岩築)、鬠モトユヒ、石灰(八王子)



 相模さケみ 8郡 高19万4200石 東海道。  寒川神社 (寒川大明神)  (旧国幣中社) 

 () 足柄アシカラの上、足柄アシカラの下、淘綾ユルキ、太任、愛甲アイカウ、髙座タカクラ、鎌倉、三浦 / 小田原・玉

  【相模・相摸】さがみ … ① 旧国名。今の神奈川県の大部分。相州。 ② 相模女の略。

  【寒川神社】さむかわ‐じんじゃ
   神奈川県高座郡寒川町宮山にある元国幣中社。祭神は寒川比古命・寒川比女命。相模国一の宮。


  鶴岡八幡宮(伊豫守 源頼義)840貫


 大根(秦野に自生)、巤大根(鎌倉ノ邊、鼠の身尾に似た形)、柴胡(鎌倉より出す最上品)、紅花(鎌倉)、海蝦エヒ(鎌倉より出るので鎌倉蝦というが、
 京都の人は伊勢蝦と称する)、江豚イルカ(江ノ島)、海雀うみすゝめ(小田原ノ浦)、鰹魚、透頂香外郎(小田原)、盆山石(大磯より出す五色の石)



 伊豆 3郡 9万9353石余 東海道。  三島大社 (三島大明神) 530石 (旧官幣大社) 

 () 田方、那賀、賀茂 / 箱根・三島・沼津

  【伊豆】いず
   ① 旧国名。今の静岡県の東部、伊豆半島および東京都伊豆諸島。豆州。
   ② 静岡県東部、伊豆半島中部の市。温泉が多く、保養地として首都圏からの観光客が多く訪れる。人口3万7千。

  【三島大社】みしま‐たいしゃ(三嶋と書く)
   静岡県三島市大宮町にある元官幣大社。祭神は大山祇神おおやまつみのかみ・事代主神ことしろぬしのかみ(昔はいずれか一神
   とされた)。伊豆国一の宮。


 酒(柄川)、修襌寺神、三島暦、良薑、椎茸、縮砂、打鮑、八丈島紬、箱根竹

 六十八 越後・佐渡・越中・信濃


 越後ゑちご 7郡 45万6000石。 弥彦神社 (伊夜彦明神) 500石 (旧国幣中社) 

 () 頸城クヒキ、古志、三島、魚沼イヲノ、蒲原カシハラ、沼埀ヌタリ、石舩イハフネ

  / 髙田・長岡・新潟・本庄・村松・柴田・柏崎・與坂

  続日本紀によると、越中國の4郡を分けて越後國に属させた。

  【越後】えちご… 旧国名。今の新潟県の大部分。古名、こしのみちのしり。

  【弥彦神社】いやひこ‐じんじゃ、やひこじんじゃ。
   新潟県西蒲原郡弥彦村にある元国幣中社。祭神は天香山命あまのかぐやまのみこと。灯籠神事が著名。越後国一の宮。


 鈆ナマリ、漆ウルシ、蝋ロウ、白シロウサギ、白芥子シロカラシ、白布シロヌノ(松山)、縮布チゝミヌノ(小千谷)、當皈(○山)、黄連(弥彦山)
 糸魚イトイヲ(絲魚川)、鱓ヤツメウナギ(直江浦)、臭水クサフヅノ油(黒川村)

  【越後の七不思議】えちご‐の‐ななふしぎ
   越後地方に伝承された七つの不思議な現象。臭水くそうず(石油。柄目木がらめきの火など)・鎌鼬かまいたち・波の題目・逆さ竹・
   八房梅やつぶさうめ・赤坊主八滝・弘智法師遺骸ほか諸説ある。



 佐渡 3郡 2万0590石余。 度津神社 (渡海ワタツミ大明神) (旧国幣小社) 

 () 雜太サハタ、羽茂ハモ、賀母カモ / 小木

  続日本紀によると、養老5年に雜太郡を分けて、賀母・羽茂の2郡を始めて置いた。

  【佐渡】さど
   ① 旧国名。北陸地方北辺、日本海最大の島。新潟県に属する。面積857平方キロメートル。佐州。
   ② 新潟県の市。市域は①の全島。江戸時代は金・銀を産出するため天領。現在は水産業が中心。人口6万7千。

  【度津神社】わたつ‐じんじゃ
   新潟県佐渡市羽茂はもち飯岡にある元国幣小社。祭神は五十猛命いたけるのみことほか。佐渡国一の宮。


 金、銀、細辛、黄連、弦藻(ツルモ)、小鯣コスルメ、袈娑松(日蓮宗用の数珠に用いる)



 越中ゑつちう 4郡 53万6037石。 高瀬神社 (髙瀬大明神) 延暦3年3月神階 正三位 (旧国幣小社) 

 () 礪波トナミ、射水イミツ、婦○メノイ、新川シンカハ / 冨山トヤマ・髙岡

  【越中】えっちゅう … ① 旧国名。今の富山県。こしのみちのなか。 ② 越中褌ふんどしの略。

  【高瀬神社】たかせ‐じんじゃ
   富山県南砺市高瀬にある元国幣小社。祭神は大己貴命おおなむちのみことほか。祈年穀祭・同報祭が知られる。越中国一の宮。


 塩硝エンセウ、黄蓮、鉛ナマリ(龜谷)、八講布、硺砂ミカキスナ(栗ノ浦)、松浪鮓マツナミスシ(その魚は龍に似ているので俗に蛇の鮓と呼ぶ)
 鰤ブリ、九万疋クマビキ(別名は志爲良シイラで開いて乾かしたものを九万疋)、絹(尉ノ○鼻)

  松浪すし … (富山地方で作られた) 鰍かじかの熟鮨なれずしの異名 (出典:コトバンク『蛇じゃの鮨』で、本朝食鑑)



 信濃志なの 10郡 54万8600石。 諏訪大社 (諏訪大明神)  上諏訪大明神 1000石 (旧官幣大社) 、下諏訪社 500石

 () 伊那、諏方スハ、筑摩チクマ、安曇アツミ、更綆サラシナ、水内ミツノチ、髙井、埴科ハニシナ、小縣チヒサカタ、佐久

  / 古諸コモロ・上田・松城・須坂・飯山・髙取・松本・諏訪・髙遠・飯田・坂本・伊奈

  【信濃】しなの … ① 旧国名。いまの長野県。科野。信州。 ② 信濃者の略。

  【諏訪神社】すわ‐じんじゃ
   長野県諏訪にある元官幣大社。諏訪市中洲に上社かみしゃ本宮、茅野市宮川に上社前宮、諏訪郡下諏訪町に下社しもしゃ
   春宮・秋宮がある。祭神は建御名方富たけみなかたとみ命とその妃八坂刀売やさかとめ命。
   古来、武事の守護神として武将の崇敬が厚かった。6年ごとの御柱おんばしらの祭が盛大。信濃国一の宮。
   今は諏訪大社と称。長崎市上西山町にも同名の元国幣中社があり、おくんち祭が著名。


  戸隠明神1000石、善光寺1000石

  【戸隠神社】とがくし‐じんじゃ
   戸隠にある、元国幣小社。祭神は天手力男命あまのたぢからおのみこと(奥社)。中社に天八意思兼命あまのやごころおもいかねのみこと
   宝光社に天表春命あまのうわはるのみことをまつる。中世には戸隠三千坊と称し、修験道の大道場であった。

  【善光寺】ぜんこう‐じ
   長野市にある単立宗教法人。天台宗の大勧進と浄土宗の大本願とによって管理される。
   推古天皇朝に草堂を営んで三国伝来の阿弥陀如来像を本尊とし、642年今の地に堂宇を造営したと伝える。
   中世以後盛んに尊信された。現在の本堂は1707年(宝永4)の再建。


 小人参、苟藥、呇仁、小梅、串柿クシカキ、亍蕨ホンワラヒ、蕎麥ソハ、小杉原、木賊トクサ(薗原)、麻衣アサキヌ(木曽)
 椹木サワラ(ヒノキ科)、鮭サケ、煙草タハコ、鯉、鮒

  【小杉原】こ‐すぎわら … 小判の杉原紙。鼻紙などに用いる。小杉。
  【信濃梅】しなの‐うめ …小梅こうめの異称。 【木賊】… トクサ科の常緑シダ植物。

 
 六十九 甲斐・駿河・遠江・参河


 甲斐かひ 4郡 25万石余。 甲斐国一宮 浅間神社 (淺間センケン大明神)  (旧国幣中社) 234石+二宮170石+三宮61石

 () 山代シロ、山梨ヤマナシ、巨摩コマ、都留ツル / 府中・谷村ヤムラ

  【甲斐】かい
   ① 旧国名。いまの山梨県。甲州。
   ② 山梨県中西部の市。釜無川東岸に位置し、信玄堤の遺構がある。ブドウなどの栽培のほか、近年は住宅地化も進行。

  【浅間神社】せんげん‐じんじゃ (「浅間」は正式にはアサマとよむ)
   静岡県富士宮市宮町にある元官幣大社。木花開耶姫命このはなのさくやびめのみことを主神とし、瓊瓊杵尊ににぎのみこと
   大山祇神おおやまつみのかみを配祀。富士登山路の表門戸とされる。駿河国一の宮。富士山本宮浅間神社。富士権現。
   同名の神社が各地にあり、中でも山梨県笛吹市一宮町(甲斐国一の宮)、静岡市宮ケ崎町のものが有名。


  八幡宮(北村)270石、新善光寺100石、龍華山永慶寺(府中の近く)370石、万福寺(山梨郡轟村、西本願寺下)、身延山久遠寺(日蓮について)
  本遠寺(大野)360石、


 紬(郡内)、紙(郡内)、一分判(甲州金)、漆、蝋、小梅、搗栗カチクリ、姫胡桃クルミ、蒲萄フトウ(岩崎)、駒、經石(生澤川)、○(大和○)



 駿河するが 7郡 17万2200石余。 浅間大社 (富士フシ淺間センケン現) 在 富士山、貞観元年 神階 従三位 (旧官幣大社)

 () 志太シタ、益豆マシツ、有度ウト、安倍アベ、盧原イホハラ、富士フジ、駿河スルカ、豊田トヨタ / 府中・田中

  【駿河】するが …旧国名。今の静岡県の中央部。駿州。

  【浅間神社】せんげん‐じんじゃ (「浅間」は正式にはアサマとよむ)
   静岡県富士宮市宮町にある元官幣大社。木花開耶姫命このはなのさくやびめのみことを主神とし、瓊瓊杵尊ににぎのみこと
   大山祇神おおやまつみのかみを配祀。富士登山路の表門戸とされる。駿河国一の宮。富士山本宮浅間神社。富士権現。
   同名の神社が各地にあり、中でも山梨県笛吹市一宮町(甲斐国一の宮)、静岡市宮ケ崎町のものが有名。


 東照大現(久能山、社家・社僧多数、学頭 徳音院)3000石+榊原越中守 與力10騎・同心30 知行5000石


 紙子カミコ(安倍川)、餅、竹細工(府中)、蜜柑(久能)、十團子トウタンコ(宇都ノ谷)、染飯ソメイヒ(瀬戸、山栬もみじより染に用いる)、茰子(大井川の
 河原に多し)、醋ス(善徳寺で作る)、鯛(沖津、鱗が他と異なる)、鰷アコ(蒲原)、麥茸セウロ(三穂ノ松原に多く有り)、富士苔ノリ(川の谷より出る)、黄茋、
 木香、香爐ノ灰(以上 富士より出る)、盆山石(丸子より出る)、甜マクハ瓜、松茸(以上 府中)、茶(安倍川)



 遠江河とをたうみ 14郡 28万石。 事任ことのまま八幡宮 (事任コトタウ大明神)  (旧県社) 590石

 () 濱名ハマナ、敷智フチ、引佐イナサ、鹿玉アラタマ、長上ナカノカミ・ナカミ、長下ナカノシモ・ナカシタ、磐田イハタ、周智スチ、佐野、
  城飼キカフ、秦原ハイハラ、山香、山名、豊田トヨタ / 縣川・横須加・濱松

  養老6年に佐益郡の8郷を割いて山名郡を始めて置く。和銅2年長田郡を長上・長下郡の2郡とし13郡。後に豊田郡を加える。
  およそ当国に大きな江(湖)がある故、近江に対し、いわゆる遠江と。或いは遠淡海トヲツアハウミの3字を用いる。

  【遠江】とおとうみ … (「遠つ淡海おうみ」の転)旧国名。今の静岡県の西部。遠州。近江おうみに対する。


 乾姜、紫根ムラサキ、茜根アカネ(以上、國領より出る)、蜜柑(濱松)、柑子カウシ(白羽村は甚だ大なり)、鮒(氣賀)、鰻(荒井、長く太し)
 蕨ワラヒ(新坂)、飴(菊川)、納豆(濱名)、葛布クツヌノ(懸川の近所 上張より出る)、搗和布(釘ノ浦)、松茸(小笠山)、笋タケノコ(久野)
 鷹タカ(小尾山)、鏃ヤノネ(菊川)



 参河ミカハ 8郡 35万0885石余。 砥鹿神社 (砥鹿トカ大明神) 100石 貞観18年 神階 従四位上

 () 碧海アヲミ、賀茂カモ、額田ヌカタハソ、寶飯ホイ、渥美アツミ、設樂シタラ

  / 吉田・岡崎・西尾・苅谷カリヤ・田原・大崎・舉母コロモ、伊保

  風土記によると、当国には3つの川がある。曰く 男川・豊川・矢作ヤハキ川 故に参河の名となった。

  【三河・参河】みかわ … 旧国名。今の愛知県の東部。三州さんしゅう。参州。

  【砥鹿神社】とが‐じんじゃ … 愛知県豊川市一宮町にある元国幣小社。祭神は大己貴神おおなむちのかみ。三河国一の宮。


 酒投サチケ明神(酒投村)776石、煙山鳳來寺(門谷村)1500石、東照大現(鳳來寺の境内、徳川家康の事)、


 雲母キラゝ(吉良山より出る)、砥ト(名倉)、鏃ヤノネ(田原)、碁石(伊良虡崎)、紙(足代)、石貝、稚海藻チカイモ、岩堀蓌ヒシ、白魚(苅谷)
 淺蜊アサリ貝、寄居虫カウナ、海鼠コノワタウトン(芋川)

 七十 能登・加賀・越前・飛騨・美濃


 能登のと 4郡 21万6891石余。 気多神社 (氣多大明神)  貞観元年 神階 従一位 (旧国幣大社)

 () 羽咋ハクヒ、能登、鳳至フゝシ、珠洲スス / 珠洲の水崎ミサキ・七尾・川尻

  続日本紀によると、元正天の絵の養老元年に越前の内4郡を分けて能等を置く。
  能等は分けた郡の名として1国の名前には能登の字を用いた。

  【能登】のと …旧国名。今の石川県の北部。能州。

  【気多神社】けた‐じんじゃ
   石川県羽咋はくい市寺家町にある元国幣大社。祭神は大己貴命おおなむちのみこと。能登国一の宮。


 摠持寺750石、石動寺ニスルキテラ500石



 加賀かゝ 4郡 44万2570石余。 白山比神社 (白山大現) 200石 (旧国幣中社)

 () 江沼、能美、加賀、石川 / 金澤・大正持

  日本後紀によると、弘仁14年に越前国を割って加賀とする。

  【加賀】かが
   ① 旧国名。今の石川県の南部。加州。賀州。
   ② 石川県南西端の市。繊維・自転車部品工業が発達。山代・山中・片山津など温泉も多い。

 日本後紀に云う 弘仁14年に越前国を割って加賀とする。

  【白山比神社】しらやまひめ‐じんじゃ
   本社は石川県白山市三宮町に、奥社は白山はくさん頂上にある元国幣中社。祭神は白山比咩神(一名、菊理媛神)、伊弉諾
   いざなぎ・伊弉冉いざなみ尊。全国の白山神社の総本社。加賀国一の宮。白山権現。


  【五十嵐道甫】いがらし-どうほ (未詳~1678) 五十嵐信斎(室町時代、足利義政に仕えた名工の蒔絵師で五十嵐派の祖)の後裔。
   江戸前期の蒔絵師。通称、忠三郎。京都に住む。前田利常に招かれて金沢に赴き、加賀蒔絵の基を開いた。



 越前ゑちぜん 12郡 68万2654石。 気比神宮 (氣比大明神)  貞観元年 神階 従一位  (旧官幣大社)

 () 敦賀ツルカ、丹生ニフ、足羽アスハ、今立、大野オホノ、坂井サカイ (延喜式・倭名抄・拾芥抄なとは皆以上6郡。
  今、次の6郡を加えて12郡とする。) 黑田、池上、榊田、吉田、坂比、南條 / 福井・府中・丸岡・大野・松岡

  【越前】えちぜん
   ①旧国名。今の福井県の東部。古名、こしのみちのくち。
   ② 福井県中部の市。刃物・和紙などの伝統産業のほか、電子・機械・繊維工業も立地。

  【気比神宮】けひ‐じんぐう
   福井県敦賀市曙町にある元官幣大社。祭神は伊奢沙別いざさわけ命・日本武尊・帯中津彦たらしなかつひこ命・
   息長帯姫おきながたらしひめ命・誉田別ほむたわけ命・豊姫命・武内宿祢。越前国一の宮。



 ひだ 4郡 3万8764石余、東山道。 飛騨一宮水無神社 (水無ミナ大明神) 貞観15年 神階 従四位上 (旧国幣小社)

 () 大原、益田マシタ、荒城アラキ、天野アマノ 本来は3郡。天野を加えて6郡とする。※6郡は4郡の誤記と思われます。

 風土記によると、この国は元は美濃の範囲である。昔、江州の大津に王宮を造る時、此の郡から良材が多く産出した為、
 馬に背負わせた荷物が飛ぶように速く着いたので、飛駄國と改めて呼ぶことにした。

  【飛騨】ひだ
   ① 旧国名。今の岐阜県の北部。飛州。
   ② 岐阜県北端の市。飛騨山脈・飛騨高地に囲まれた山間に位置する。野菜・果樹栽培と畜産が盛ん。

  【駄】 (呉音。漢音はタ)
   ① 馬に荷をのせて送ること。また、のせた荷物。 ② 荷物を運ぶための馬。③~⑤の意味は省略します。

  【飛騨一宮水無神社】ひだいちのみや‐みなしじんじゃ
   岐阜県高山市一之宮町にある元国幣小社。祭神は御歳大神ほか。飛騨国一の宮。


 綿、鹽硝エンショウ、銀、銅アカネ、椹サハラキ、欅ケヤキ(土井)、楊枝の木、鷂ハイタカ、搗栗カチクリ、鰷アユ(古川)、紬



 美濃みの 18郡 58万1523石。
  南宮神社 (南宮大明神) 45石 神位 正一位 勲一等、摂社 十師社・南大神・高山社・隼人社 (旧国幣大社)

 () 多タキ、石津イシツ、不破フハ、安八アハチ、大野ヲホノ、本巣モトス、蓆田ムシロタ、方縣カタカタ、池田イケタ
  厚見アツミ、各務カゝミ、山縣ヤマカタ、武義ムケ、群上グンジヤウ、賀茂カモ、可兒カコ、土岐トキ、惠奈エナ

  / 大垣・苗木ナエギ・岩村・群上・髙洲

  【美濃】みの
   ① 旧国名。今の岐阜県の南部。濃州。 ② 岐阜県南部の市。長良川の上流に位置し風光明媚。和紙の産地として有名。
   ③ 美濃紙の略 ④ 美濃絹の略

  【南宮神社】なんぐう‐じんじゃ
   岐阜県不破郡垂井町宮代にある元国幣大社。祭神は金山彦命かなやまびこのみこと。美濃国一の宮。


 美濃釣柿

 七十一 若狭・近江・尾張・伊勢・志摩・伊賀


 若狭わかさ 3郡 8万5090石余、北陸道。 若狭彦神社 (遠敷ヲニフ大明神) 30石 (旧国幣中社)

 () 遠敷、大飯ヲホキ、三方ミカタ / 小濱コハマ

 風土記によると、昔この国に男女がおり夫婦となった。共に長生きで誰も年齢を知らない。容姿は少年のように若々しい。
 其の後、今の一宮の神とされたので若狭の国と呼ぶようになった。
 (彦火火出見尊が海の神の娘である豊玉姫を娶り、海宮ワタツミの宮に住んだが、3年経って当国に戻って住んだ。)

  【若狭】わかさ … 旧国名。今の福井県の西部。若州。

  【若狭彦神社】わかさひこ‐じんじゃ
   福井県小浜おばま市にある元国幣中社。上社は同市竜前にあり若狭彦神(彦火火出見尊ひこほほでみのみこと)を、
   下社は同市遠敷おにゅうにあり若狭比咩神(豊玉姫)を祭神とする。若狭国一の宮。遠敷大明神。



 近江あふミ 13郡 髙83万2120石余、東山道。 建部大社 (建部大明神) 100石 貞観9年 神階 従四位下 (旧官幣大社)

 () 滋賀シカ(或いは志賀)、栗本、甲賀コウカ、野洲ヤス、蒲生カマフ、神崎、犬上イヌカミ、愛智ヲチ(上下)、淺井アザイ
  伊香イカゴ、髙島、善積ヨシツミ(上下) / 彦根・膳前・水口ミナクチ・仁正寺・大津・大溝

  【近江・淡海】おうみ … (アハウミの転。淡水湖の意で琵琶湖を指す)旧国名。今の滋賀県。江州。

  【建部神社】たけべ‐じんじゃ
   滋賀県大津市神領にある元官幣大社。祭神は日本武尊やまとたけるのみこと。相殿あいどのに天明玉命あまのあかるたまのみこと
   権殿かりどのに大己貴命おおなむちのみことを祀る。近江国一の宮。今は建部大社と称す。


 比叡山延暦寺5000石、石山寺579石

  【延暦寺】えんりゃく‐じ
   比叡山にある天台宗の総本山。788年(延暦7)最澄建立の一乗止観院が起源。11世紀以降園城寺(寺門)に対しては
   「山門」「山」と称し、興福寺(南都)に対しては北嶺と称し、僧兵を擁して権威と実力を誇った。
   1571年(元亀2)織田信長の焼討ちにあったが、豊臣・徳川2氏の援助で復興。

  【石山寺】いしやま‐でら
   滋賀県大津市石山にある真言宗の寺。762年(天平宝字6)ごろ造東大寺司の一部として成立。良弁の開創と伝える。
   西国三十三所第13番の札所。本堂・多宝塔のほか、縁起・文書・一切経など多数の文化財を所蔵。



 尾張をわり 8郡 髙52万石。 真清田神社 (眞清田大明神) 300石余 (旧国幣中社)

 () 海部アマヘ、中島、羽栗ハクリ、丹羽ニハ、春日部カスガヘ、山田、愛智アイチ、智多、當質タウシの島 / 名護屋ナコヤ・犬山

  【尾張】おわり … 旧国名。今の愛知県の西部。尾州。張州。

  【真清田神社】ますみだ‐じんじゃ
   愛知県一宮市真清田にある元国幣中社。祭神は天火明命あまのほあかりのみこと。尾張国一の宮。


 田大明神717石+御供料405石、津島明神1293石、東照大現1000石

  【熱田神宮】あつた‐じんぐう
   名古屋市熱田区にある元官幣大社。熱田大神を主神とし、相殿に天照大神・素戔嗚尊・日本武尊・宮簀姫命みやすひめの
   みこと・建稲種命たけいなたねのみことを祀る。神体は草薙剣くさなぎのつるぎ


 大根(宮茂村及び木曽の大根は甚だ大きくてしかも長い)、干瓢カンヒヤウ(木曽)、白木シロキ、椹サワラ、阿須奈呂(檜の類)
 真珠(伊勢産のようにならず下品)、磁器ヤキモノ(瀬戸)



 いせ 15郡 髙57万2786石。 椿大神社 (都波木ツバキ大明神)  (旧県社)

 () 桑名クハナ、朝明アサチ、鈴鹿スゝカ、壹志(今の飯町)、員辨イナヘ、奄治アンチ(或いは奄)
  三重、安濃アノ、飯髙イヒタカ、飯野、度曾ワタタへ、多氣タケ 以上6つ神郡とする。
  多度タト、錦島ニシキシマ、御座島ゴザシマ 以上3郡は拾芥抄に無く12郡となっている。

 / 桑名・龜山・津・松坂・神戸カンベヒサイ、長島

  昔、当国を領する伊津彦という名前の神様が居たので伊という国名になった。
  その後、神武天皇の勅で天日別命を奉り、しかもこの国を取りに来てこれをささげた。云々。

  【伊勢】いせ
   ① 旧国名。今の三重県の大半。勢州。 ③ 伊勢神宮。「―参り」
   ② 三重県の市。旧称、宇治山田市。伊勢神宮所在地として発達、神都と称する。伊勢志摩国立公園の入口。

  【椿大神社】つばきおおかみ‐の‐やしろ … 三重県鈴鹿市山本町にある元県社。祭神は猿田彦大神ほか。伊勢国一の宮。


 兩太神宮りょうたいじんぐう(伊勢神宮の事)(御領高不詳、祭主は惣官と呼ぶ・姓は大中臣氏は藤波。宮司3人は大宮司・少司・権
 大司で姓は大中臣氏は河司で、今は両官の神事は唯1人で行う。禰宜は内外に各10人。長官は内外に各1人で禰宜の
 中から任じられ、宮中の万事の長である。権禰宜は外宮は度曾氏・内宮は荒木氏、物忌モノイミ・大内人ウチンド・小内人は
 各数十人。)
 内宮祭神(度曾郡宇治、天照太神の鎮座の由来や五十鈴川、七所別宮、摂社24・官帳に不記載の摂社15の説明など)、
 外宮(度曾郡沼木郷山田原、豊受皇太神、四所別宮、摂社16の説明、官帳に不記載の摂社8の説明など)、
 惣末社は内宮85社・外宮47社、

  【伊勢神宮】いせ‐じんぐう
   三重県伊勢市にある皇室の宗廟。正称、神宮。皇大神宮(内宮ないくう)と豊受とようけ大神宮(外宮げくう)との総称。
   皇大神宮の祭神は天照大神、御霊代みたましろは八咫鏡やたのかがみ。豊受大神宮の祭神は豊受大神。
   20年ごとに社殿を造りかえる式年遷宮の制を遺し、正殿の様式は唯一神明造ゆいつしんめいづくりと称。
   三社(伊勢神宮・石清水八幡宮および賀茂神社(または春日神社)の称)の一つ。二十二社の一つ。伊勢大廟。大神宮。



 志摩しま 2郡 髙1万7840石。 伊射波いざわ神社 (伊射波イサハ大明神) (無格社)

 ()

  【志摩】しま
   ① 旧国名。今の三重県の東部。伊勢湾の南、伊勢市の南東に突出した半島部。志州。
   ② 三重県、志摩半島南東部の市。市全域が伊勢志摩国立公園に含まれる。漁業や真珠養殖が盛ん。

  【伊雑宮】いざわ‐の‐みや
   三重県志摩市磯部町にある、伊勢皇大神宮(内宮)別宮の一つ。祭神は皇大神御魂ほか。御田植の神事は有名。
   志摩国一の宮。遥宮とおのみや。磯部の宮。いぞうのみや。



 伊賀いか 4郡 髙9万9554石。 敢国神社 (敢國アヘクニ大明神) (旧国幣中社)

 ()

  【伊賀】いが
   ① 旧国名。今の三重県の西部。賀州。伊州。
   ② 三重県北西部の市。上野盆地の中北部を占め、古くから近畿と東海を結ぶ交通の要衝。

  【敢国神社】あえくに‐じんじゃ
   三重県伊賀市にある元国幣中社。祭神は敢国津神あえのくにつかみ(大彦命)。
   少彦名命すくなびこなのみこと・金山比咩命かなやまひめのみことを配祀。伊賀国一の宮。

 七十二本・七十二末 山城


 山城 8郡 21万6070石。
   (賀茂大明神)  上賀茂皇太神社 2700石 (旧官幣大社) 摂社21社あり。 下鴨御祖皇太神社 540石 摂社6社

 () 乙訓オトク二、葛野カノト、愛宕ヲタギ、紀伊、宇治、久世クセ、綴喜ツキ、相樂サカラキ / 二条城・淀

  【山城・山背】やましろ …旧国名。五畿の一つ。今の京都府の南部。山州。城州。雍州。

  【賀茂神社】かも‐じんじゃ
   賀茂別雷かもわけいかずち神社(上賀茂神社)および賀茂御祖かもみおや神社(下鴨神社)の総称。賀茂社。


 松尾社930石余+松尾御所145石・摂社6、石清水八幡宮7040石・摂社4、吉田社590石、祇園社140石、天満宮580石、
 愛宕神社580石余、

  【松尾大社】まつのお‐たいしゃ
   京都市西京区嵐山にある元官幣大社。祭神は大山咋命おおやまくいのみこと・中津島(市杵島)姫命。
   もと松尾山に祭られた。二十二社の一つ。

  【石清水八幡宮】いわしみず‐はちまんぐう
   京都府八幡やわた市にある元官幣大社。祭神は誉田別尊ほんだわけのみこと(応神天皇)・息長帯姫尊おきながたらしひめの
   みこと(神功皇后)・比売神ひめがみの三座。859年(貞観1)、宇佐八幡を勧請かんじょう
   歴代朝廷の崇敬篤く、鎌倉時代以降、源氏の氏神として武家の崇敬も深かった。
   例祭は9月15日。伊勢神宮・賀茂神社とともに三社の称がある。二十二社の一つ。男山八幡宮。

  【吉田神社】よしだ‐じんじゃ
   京都市左京区吉田神楽岡町にある元官幣中社。奈良の春日神社を藤原氏が勧請かんじょうしたもの。
   吉田神道の本拠地となり、大元宮が設けられた。二十二社の一つ。

  【祇園の社】ぎおん‐の‐やしろ
   (876年(貞観18)、藤原基経が自邸を壊して牛頭ごず天王のために精舎を造営寄付し、祇園精舎に因んで称したもの)
   京都の八坂神社の旧称。祇園社。
   京都市東山区祇園町北側にある元官幣大社。祭神は素戔嗚命すさのおのみこと・奇稲田姫命くしなだひめのみこと・八柱御子神。
   例祭の祇園会のほか、特殊神事に白朮おけら祭がある。二十二社の一つ。1868年(慶応4)改称。

  【北野天満宮】きたの‐てんまんぐう
   京都市上京区馬喰町にある元官幣中社。主祭神は菅原道真。10世紀中頃の創建。例祭8月4日(11世紀半ばまでは5日)。
   八棟造やつむねづくりの現社殿は、慶長年中、豊臣秀頼の造営で、最古の権現造。二十二社の一つ。北野天神。北野神社。


 京木○柿(上品なり)、栂尾茶・宇治茶

 七十三 大和


 大和 15郡 髙44万4134石。 大神大社 (三輪大明神) 175石 貞観元年 正一位 (旧官幣大社)

 ()

  【大和・倭】やまと (「山処やまと」の意か)
   ① 旧国名。今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起こる。初め「倭」と書いたが、元明天皇のとき国名に
    2字を用いることが定められ、「倭」に通じる「和」に「大」の字を冠して大和とし、また「大倭」とも書いた。和州。
    景行紀「伊勢より―に還りて」
   ② 日本国の異称。おおやまと。万葉集[19]「そらみつ―の国は水の上は地つち行くごとく船の上は床にをるごと
    大神の鎮むる国そ」

  【大神神社】おおみわ‐じんじゃ
   奈良県桜井市三輪にある元官幣大社。祭神は大物主大神おおものぬしのおおかみ
   大己貴神おおなむちのかみ・少彦名神すくなびこなのかみを配祀。日本最古の神社で、三輪山が神体。本殿はない。
   酒の神として尊崇される。二十二社の一つ。大和国一の宮。すぎのみやしろ。三輪明神。


  春日社 神供領3475石9斗+社家領1554石2斗余+燈明領1651石8斗余 (←の数には異説あり) 摂社は多数。
  東大寺2211石4斗余、興福寺1万5429石余+一乗院1495石2斗+大乗院951石7斗余、法隆寺1000石3斗2升、
  長谷寺500石、石上布留社 貞観9年正一位、永久寺971石、

  【春日神社】かすが‐じんじゃ
   奈良市春日野町にある元官幣大社。祭神は武甕槌命たけみかずちのみこと・斎主命いわいぬしのみこと(経津主命)・天児屋
   根命あまのこやねのみこと・比売神ひめがみ。平城遷都後まもなく藤原氏により現在の地に創建され、以後ながくその氏神
   として尊崇された。二十二社の一つ。三社の一つとも称す。今は春日大社と称。

  【石上神宮】いそのかみ‐じんぐう
   奈良県天理市布留町にある元官幣大社。祭神は布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ二十二社の一つ。
   布留社ふるのやしろ。所蔵の七支刀が著名。


 大和御所柿(木村より)、大和○ふうき(小柿)

 
 七十四 攝津

 攝津つのくに 13郡 (延喜式には無いが拾芥抄では14郡「羽束郡 (俗に稱欠スカケ郡)」→主に百濟郡に) 高13万8797石。
  住吉大社 (住吉大明神) 2116石 (旧官幣大社) 摂社44社あり。社務は津守氏、本社と神楽方で禰宜120~130人。
  島津氏の祖となる島津忠久(源頼朝の妾の子) の誕生石あり。

 () 住吉スミヨシ、百濟クタラ、東生ヒカシナリ、西生ニシナリ、川邊カハナヘ、武庫ムコ原、八田部ヤタヘ
 有馬、島上、島下、豊島テシマ、能

  大坂 (本名は難波津、東生と西生の2郡に跨る。もとは東生郡だったが民家が増えて繁栄した為、府の総名となった。
  日本一の津湊)、高槻タカツキ、尼崎、淺田

  【摂津】せっつ
   ① 旧国名。五畿の一つ。一部は今の大阪府、一部は兵庫県に属する。摂州。津国つのくに
   ② 大阪府中部の市。市域の大半が淀川と安威あい川の低湿沖積地。近年、工場が増加、住宅地化が進行。

  【住吉神社】すみよし‐じんじゃ
   大阪市住吉区住吉にある元官幣大社。住吉神すみのえのかみの三神と神功皇后とを祀る。二十二社の一つ。摂津国
   一の宮。今は住吉大社と称す。同名の神社は、下関市一の宮住吉(長門国一の宮)や福岡市博多区住吉(筑前国
   一の宮)など各地にある。

  【住吉神・墨江神】すみのえ‐の‐かみ、すみよしのかみ。
   大阪の住吉すみよし神社の祭神である表筒男命うわづつのおのみこと・中筒男命なかづつのおのみこと・底筒男命そこづつのおの
   みことの三神。伊弉諾尊いざなきのみことが筑紫の檍原あはきはらで、禊みそぎをした時に生まれたという。
   航海の神、また和歌の神とされる。

  【住吉】すみよし
   大阪市南部の住吉区から堺市北部にまたがる地名。仁徳天皇時代、海上の守護神住吉神すみのえのかみを勧請して、
   墨江また住吉と書き、「すみのえ」と称したが、平安時代に「すみよし」の訓みが生じた。住吉神社の所在地。(歌枕)


 住吉郡 熊野権現社、王舎山長寶寺(平野庄、坂上田村麻呂の娘は桓武天皇の寵妃)、融通大念佛寺(平野庄)、依納池(庭井村)
  依納大明神(吾孫村)、吾孫アヒコ山大聖寺(庭井村)、堺
 東生郡 生玉イクタマ社300石、高津社、荒陵山四天王寺1177石(敏達天皇の578年に蘇我馬子が物部守屋の為に創建など)
  小野妹子の遣唐使の事、悲田院、茶臼山、大名塚(安倍野、北畠顕家の墓)、坂松山一心寺(本多忠朝の墓)、舎利寺(聖徳太子)、
  小橋ヲバセ(俗に真田山)、専修院、大江
 西生郡 今宮恵比須18石3斗、 難波御坊(東本願寺の御堂)、津村御坊(西本願寺の御堂)、天満波御坊(東本願寺の御堂)、
  興正寺波御坊(東本願寺と西本願寺について)、慈雲山瑞龍寺、龍渓禅師庵、阿彌陀池、難波堀江、堂島、江口
 川邊郡 鷹尾山多田院(源満仲の霊廟、多田氏の祖)、慈光山普明寺(多田庄)、神崎(尼崎)、難波里(尼崎)
  伊丹町(造り酒屋多く有り、最繁昌の地なり)、大願寺(長柄)
 武庫郡 廣田社(西宮)、西宮(蛭子神=恵比須神の事)、大黒天、摩尼山(本名は武庫山)、明星
 菟原郡 麻耶山牣利天上寺、蘆屋ノ里・灘浦(在原業平の歌に残るように、この浜で塩を多く焼いた)、處女ヲトメ塚、猿丸太夫屋鋪
 矢田部郡 生田社200石、須磨寺16石4斗余、田井畑村(在原業平に愛された松風・村雨の姉妹、同村には必ず美女が居る)
  清盛公石塔(平通盛・敦盛らの塚の場所の記載)、醫王山廣厳寶勝寺(広厳寺、楠正成一族が自刃した所、俗称は楠寺の事)
  闘鷄野ツケノ(湊川の近く、仁徳天皇六十二年五月に額田皇子が氷室を造った)、六条八幡宮(六条判官 源為義)、
  梅雨水湧出穴(栗花落ツイリ左衛門宅から、栗の花が落ちる毎年五月の梅雨の季節に水が湧き出る)
 有馬郡 イデユ(風土記~秀吉までの有馬温泉の歴史)、經島迎寺(兵庫)、福原内裏跡(兵庫町外十町許西南)
 島上郡 上宮天神(高槻は万葉集では山城に属す)、水無瀬宮500石、根本山神峯山寺、邂逅山金龍寺30石、
  服部(産する煙草が最良)
 島下郡 摠持寺(白檀の霊木)、不動院、
 豊島郡 呉織クレハトリ社・綾織アマハトリ社(応神天皇の時、百済から裁縫などの女工が来日、また呉から来た者は呉織綾織と
  称した)、應頂山勝尾寺(池田)7石、箕面山瀧安寺(役小角は大和葛城郡生まれ)、大澤山久安寺
  木代村太夫(毎年10月、家内を潔斎して糯米と小豆を蒸し亥の子餅を作る。太夫宅地の大石は霊力有て神石として
  祈っている)

  【亥の子餅】いのこ-もち、いのこ-の-もちひ
   亥の子の祝に食う餅。能勢餅。摂津能勢地方の村から宮中に餅が献上されていた時代もある。
   亥の子は西日本で陰暦10月亥の日に行われる収穫祭の類の行事。この日から火燵こたつ開きが行われた。


  ≪ 大坂~西国海路 ≫ 海路の目標または寄港地と思われる順路。  江戸時代の主要街道

 大坂-尼崎-西宮-兵庫-須磨-鳥崎-播州明石-高砂-龜島-鞍掛-室津-赤穂水崎-備前大田武(小豆島)-牛磨津
 -寄木崎-犬島-出崎-潮通(小島)-日比(洲にあり)-下津井-備中水島-備後白石(瀬戸)-鞆(小島多く有り)-穴太アブト(洲にあり)
 -桃島-江崎-海布苅メカリ-安藝野内-多田丈-髙崎(阿婆島)-唐舩-日門泊(横島)-髙鳶(柏島)-蒲刈-龜首(笹島沖に有り)
 -加呂宇戸(有麥島の沖)-津和野-周防由宇(片山島・情島)-家室(野島沖)-上關(平郡八島)-○司サウシ(牛島・尾島・石見島)
 -室積-水無瀬(硫黄島沖)-笠戸-須雲-金崎-三田尻

 -防州室積-向島-花香-岩屋-丸尾-水崎-長門本山-艫崎ヘサキ-下關-豊前内裏-小倉-筑前若松-筑前山家水崎
 -筑前地島-筑前藍島-筑前元海島(博多の南に有り・福岡の東に有り)-姫島-肥前名護屋-平戸-下唐崎-牛首-七釜-瀬戸
 -樺島-口津-肥後


  ≪ 大坂~北国海路 ≫

 大坂-145里-長門下關-稟受ヒンシユ-瀬戸崎-萩-須佐-江須-石見濱田-護府-猪津-出雲瓜生-可嘉-三保關
 -泊-因幡加留-但馬諸崎-芝山-朝日-夕日-泰座?タイサ-丹後經崎-宮津-名料-若狭小濱-常上-丹生浦
 -立石-伊呂-越前敦賀-河野-米良-三國-堀切-加賀安宅-本吉-宮腰-能登阿武屋-福浦-伊木須-和島
 -鹽津-越後今町-柏崎-出雲崎-新潟-瀬波-出羽巤關-加茂-酒田-小刀津-本庄-湊-秋田舟川-栂島
 -野代-奥州津軽深浦-鰺澤-小泊-今別-赤根澤-田南部




  ≪ 大坂~江戸海路 ≫ およそ240里

 大坂-泉州堺-大津-岸和田-貝塚-佐野-樽井-箱作-吹居-谷川-紀州小島-加田-和歌浦-賀崎-大崎
 -簑島-由良内-比井-尾花-印南-切目-南○ミナヘ-田タナヘ-湯崎-富田-市江-阿瀧-周黍見スサミ-見呂津
 -里浦-江田-有田-鹽水崎-大島-古座-田原-浦上-泰地-那智カツラ-三輪崎-三木島-九鬼-島
 -長島-田鷲-本坂-龜崎-州五箇所-大奥タイワウ-阿濃アノリ-鳥羽

 伊の鳥羽~和歌山の湊まで91里

 遠州大山-今切-掛塚-横須賀-御厩ミヤマ崎-伊豆小浦-中木-長津呂-下田-外浦-稻島-川野-網代-真津留
 -相州大磯-水崎-浦川-走水-武州神奈川-江戸


 實綿ミワタ、繰綿、木綿、古衣フルギ、鯛、イヒダコ、鮮魚問屋(喉場)、鹽魚問屋(新靱町)、穀類問屋(北濱)、藥種(道修町)
 材木問屋(横堀・長堀)、干鰯ホシカ問屋トイヤ、燈トモシ油、酒(伊丹・池田)、酢(兵庫)、醤油(堺)、傘カラカサ、瓦(大坂)、西瓜(鳴尾)
 大根(都倉・椋橋)人参(鹽町)、切炭(池田)、蕪菁カブラナ(天王寺)、○鐵フチカネ(針の下地)、鍋釜(道頓堀)、銅吹屋、大工(天)
 碇鍛冶、飴(大坂)、鳥貝(尼崎)、香附子(住吉)、團扇ウチワ(長町)、細大根(天)

  ※酢(兵庫)、醤油(堺)とありますが、酢(堺)、醤油(兵庫)の書き間違いと思われます。

  大坂は天下の大湊ゆえ、万物は交易によって絶えることなく市が開かれるといえども産しない物も皆産するが如し。
  ことごとく記す事はできない。

 池田炭、木津干瓢

  国会国立図書館デジタルコレクション 『絵本御伽品鏡』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534308
   
  1739 (元文4) 年刊の『絵本御伽品鏡』 (画:長谷川光信、出版:千草屋新右衛門) 3巻がネット公開されています。
  大坂の風俗を描いたもので、「今宮戎」「亥の子餅屋」「天満の飴売り」などの絵を見る事ができます。

  1765年頃の『浪花茶里八景』には、「土肥へ地栄へにんじん大根のよきはいふに不及」とあり、大坂の野菜の品質が高い
  事を示しています。

  『摂陽奇観』 浜松歌国 (大坂の木綿問屋の子、随筆家・歌舞伎作者。1776~1827) 著には「浪花茶里八景」と題して、
   大坂の著名な茶屋や社寺などの行楽地の記述があり、名産として「難波のにんじん」など藍や麦など難波を代表する
   作物は多岐に渡っていた事が示されているようです。

  1803 (享和3) 年刊の滝沢馬琴の京坂旅行記『羇旅漫録きりょまんろく』。京都24日間、大坂10日間、名古屋17日間滞在。

  巻之中「六十五 京師の評
  京の良きもの三ッ 女子。加茂川の水。寺社。 あしきもの三ッ 人気の吝嗇。料理。舟便。

  「人気じんき、にんき=世間の評判・地域の気風」「吝嗇りんしょく=出し惜しみ、ケチ。本の文字はとは少し違います。
  「の部分がですがIMEでは出力できません。ただ、文脈を考えると吝嗇でいいと思います。


  巻之下「百四 大坂市中の總評
  大坂の良きもの三ッ 良賣オホアキヒト 海魚 石塔  あしきもの三ッ 飲水カモ 鰻鱺ウナギ 料理

  「良賣=良い商売人」

  料理に関していうと、「白味噌の塩気が感じられず甘い」と言って祇園豆腐などを酷評しています。
  江戸深川生まれなので、濃い塩味が好みのようです。

  京都の舟便と大坂の飲水に関して言うと、巻之中「八十五 淀の洪水」に、7月24日に雨の中、伏見から大坂へ下る
  船に乗っています。旧暦だと梅雨の時期になるので、道中および京坂滞在中も雨や洪水の記述が多いです。
  悪い部分の具体的な記述が無いようなので、思い込みの評でしょう。

  鰻は京と江戸が良く、大坂と名古屋が口に合わないようです。

  滝沢馬琴は悪口を言う江戸ッ子気質なので、羈旅漫録で京坂の悪口を書き、西沢一鳳から大いに叱られていた。 悪口は江戸名物だった

  類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿. 上 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444386
  類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿. 下 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1053412

  【守貞謾稿】もりさだまんこう (「守貞漫稿」とも)   コトバンク 『喜田川守貞』 Wiki 守貞謾稿
   随筆。喜田川守貞 (砂糖商北川家。大坂の人、1810~?。1840年に江戸深川に定住) 著。30巻、後編4巻。
   1853年(嘉永6)頃一応完成、以後加筆。自ら見聞した風俗を整理分類し、図を加えて詳説。近世風俗研究に
   不可欠の書。明治末年「類聚近世風俗志」の書名で刊行

  類聚近世風俗志の「緒言」=まえがきの部分
   「未完や記入漏れ、誤字は訂正したけど漏れている場合も多い。文法などは改めていない。送り仮名なども
   不完全であり誤読の恐れがあるので読者は注意してください」というような事が書かれてあります。


 幕末の『守貞謾稿』上巻 第四編 生業上 「大坂商賈」「三都生業不同の事 大坂の盛なる者」 上巻 第七編 「貨幣

 諸國の産物を始め來舶の諸物も一たび當虡に漕せざれば速に金銀と換え難く 小價の物は他國にても金に換えれ
  ども大價に至りては 必ず當地を速也とす 又 當時諸國の多少を知ること當所を一とす故に元價を定むるも當所にあり

  日本各地の産物および輸入した全ての物も大坂に持って来なければ、速やかに金銭に換える事は難しい。
  少額の物なら各地で換金できるが、多額になる大商いでは必ず大坂に来なければ素早く換金できない。
  また、各地の情報を知るのも大坂が一番である。それは、大坂には相場の価値基準を決定する場所があるから。

 豪富子錢家 巨賈元商 子錢家 俗に金貸と云 かねかしと訓ず 元商を問屋と云 同 業に妙ある者

 兩替屋 …三都中行 大坂を盛也とす 京師 及 江戸次之… ※両替屋は現在の銀行に当ります。

 京坂今世兩替屋敷 大坂 今世 兩替屋の戸數 大略 二百餘戸 定數無之…

 子錢家 俗に金貸と云 息を取て金銀をかす業とする者 三都とも多しと雖ども 大坂は特に豪富多きが故に 諸國の
  大名當所の富民に借用せざる家 甚だ稀也 亦 京都及び江戸にもあれども大坂には及ばす

  大坂には富豪が多く、日本各地の大名で大坂の富豪商人から借金をしない大名は非常に珍しい。
  利息を取って金を貸す商人は京都や江戸に多くあるといっても、大坂には及ばない。


 幕末の『守貞謾稿』上巻 第四編 生業上 「江戸商賈」「三都生業不同の事 江戸の盛なる者

 工商ともに京坂より多しと雖も 商法大坂の如く大行なる者少し 唯 酒問屋のみ大坂に無き所也

 都ての小賣店 食店 武家調用之商人 及 雇夫の長 酒問屋

  【大行・大形】おお-ぎょう … ① 規模が大きいこと。大じかけ。 ②誇大。

  皇都午睡 : 三編 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763829/9

  【皇都午睡】こうとごすいみやこのひるね  Wiki 西沢一鳳  コトバンク 『西沢一鳳』
   時代考証随筆。西沢一鳳 著 (大坂の書店主)。三編 (上之卷・中之卷・下之卷) 
   執筆は幕末嘉永年間 (1848~1855)、1883 (明治16) 年10月頃出版。
   主に浄瑠璃や歌舞伎の脚本や文献を収集し、晩年は主に演劇の時代考証を主としました。

  こちらは守貞謾稿に比べ、長文と同様の内容が散見されるため、原文を出して引用するのは大変です。
  第三編では、上方と江戸の名称や言葉の違い、生活様式の違いなどが多数書かれてあります。

  【西沢一鳳軒】にしざわ‐いっぽうけん大坂の書肆、1801~1852)  西沢一風の玄孫。
   江戸後期の歌舞伎脚本作者・戯作者。別号、狂言綺語堂・李叟など。晩年には著述に没頭。
   著「伝奇作書」「皇都午睡」など。

  江戸に大川といへば…江戸前にも橋々ありて橋相●に多けれ共 土地の廣き割には川すくなく
  橋もすくなし 又三都の内 大坂ほど橋数の多き所は他國には珍らしかるべしとあります。

  実際には江戸の方が橋の数は300ほどあったようで、ほとんどは幕府が作った公儀橋です。
  橋の数は多いものの目立つ様な大きな橋が少なかったと思われます。

  京都は上京と下京で少し言葉が変わっている。
  大坂でも五畿内の言葉が集まっているので三郷で大同小異ある。安治川辺りの者は四国九州中国の言葉に馴れ、
  上町玉造の者は大和・伊賀・伊勢の言葉が移り、堺の者は紀州・和泉の言葉に通じており、天満の者は丹波丹後の
  言葉も混ざっている。

  【大坂三郷】さんごう 大坂中。
   江戸時代、大坂市中を三つに分けた南組・北組・天満組のこと。各組に惣会所が置かれ、惣年寄らが事務を行なった。

  江戸時代のさまざま 三田村鳶魚 昭和4年刊 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187205

  【三田村鳶魚】みたむら‐えんぎょ (東京生れ、1870~1952)
   江戸の風俗・文学の研究者。名は玄竜。。「未刊随筆百種」などを編纂。 大正11年に大阪を見聞し上記を書いたようです。
   著書「大奥の女中」「江戸雑話」、輪講記録「膝栗毛輪講」など。

 昭和4年刊の『江戸のさまざま』P.289「大阪の春」、P297「暮れ行く大阪」、P.322「上方商人」など

  上方商人の威力が かう (吉原の高級遊女を) まで江戸に加はつて、軽視することを許さなかつたもの、全く財力からで
  あつて元禄六年の金銀貸流通高は千三百二十三萬八千四百五兩と云はれる時に、彼等は諸大名に對して千二三百萬兩の
  債権を持つて居らうと推量させた、上方商人は江戸の遊女町で優勢だつた位のものではない、實に天下の有力者なのだ。

  紀文奈良茂を豪奢がる江戸が何で話にならう、一體東京に住む人間はアキマヘンのである。
  成金振りの凄しさを見物するのなら、大阪でなければならぬ、但し見せ附けられて、胸が悪ぐなつたり、歯が浮いたり
  することは覚悟して出掛けて貰はう
  大阪が賑はしいと流行物が江戸へ抛下なげくだされる、江戸ばかりでなく東京になつても屡ゝしばしば大阪の後塵を拜をが
  ませられる、昔江戸ッ子が僅に鼻息を荒くし得たのは、寶暦の末から大阪の經濟状態が宜しくなかつた爲である、
  景氣さへよければ何時でも上方風が關東を拭捲くらずに居ない

  享保 (1716~1736) の大阪女の風俗が著しく江戸の嗜好を誘つたやうに

  P.296~「暮れ行く大阪」には先づ大阪女が目醒めて全日本の女が氣が附くことになるのであろう。
  此の店 (高島屋) へ集う人数は日曜等の休日には四萬を越し、平日も三萬と聞いたが、東京よりも規模が大きく、人の数も
  多い、呉服ではない百貨店にもせよ、此の外に三越白木大丸等がある。京の着倒れ大坂の喰倒れといふのも昔の言葉で、
  今日の大阪は着倒れであり、又た喰倒れでもあるのか。
  などとあり、江戸時代~は京坂、大正時代は大坂が流行の発信地でした。

  大正11年頃に大阪見物に来た三田村鳶魚は、大阪ディスりも加えながら、悔しいけど大阪の凄さを認めざるおえないという
  趣旨の事を書いてあります。
  同書で「悪口を言うのは江戸名物、悪口を言わない江戸ッ子はいない」と書いている鳶魚自身も東京生まれ在住だけあって
  悪口を忘れない所が同書の面白いところです。

  紀文 … 紀伊国屋文左衛門 (江戸時代中期の豪商、紀伊の人、幕府御用達の材木商、豪遊したことで有名、~1734)
  奈良茂 … 4代目奈良屋茂左衛門 (材木商、日光社殿の修理で富を積み、紀伊国屋文左衛門と並称される、~1714)

  ちなみに、どちらも1700年代初めで江戸を代表する豪商 (元は上方商人) で仲が悪かったようです。
  遊郭で遊んでいた紀伊国屋文左衛門は、奈良屋茂左衛門が雪見酒を楽しんでいたの見つけ、通りにお金をバラ撒き
  騒ぎを起こして情緒を損ねました。
  その仕返しとして奈良屋茂左衛門は年末に年越しそばを買い占めた。という逸話があるようです。

  白木 … 白木屋 (東京発祥の百貨店で、大正時代~昭和初期に関西に店舗展開していました。)
  大丸・高島屋・そごうなどは大阪発祥のデパートです。

 
 七十五 河内

 75 河内 15郡 (今16郡有) 高30万8857石。
  牧岡ひらおか大社 (平岡大明神) 石数は未掲載 (旧官幣大社)、摂社は青榊社・岩本社・一言主社・大山彦社・戸隠社。

 () 石川イシカハ、錦部ニシコホリ、丹南タンナン、八上ヤカミ、古市、安宿ヤスカヘ、丹北、志貴シキ、大縣オオカタ、髙安、
   澁シフ川、若江、河内、讃良サラ、交野カタノ、茨田マツタ

 奈良時代の養老4 (710) 年に堅下と堅上を大縣にまとめ、今 (江戸時代中期1710年代頃) 丹治を丹南と丹北に分けたようです。

  【河内】かわち … (古くカフチとも)旧国名。五畿の一つ。今の大阪府の東部。河州。

  【枚岡神社】ひらおか‐じんじゃ
   東大阪市出雲井町にある元官幣大社。枚岡連の族が祖神である天児屋根命・比売神を祀ったのに起こり、のち、
   武甕槌たけみかずち・斎主いわいぬしの2神を併祀したという。河内国一の宮。

  神武天皇が長髄彦と戦った時に五瀬命いつせのみこと (神武天皇の兄) が戦死した事から天児屋根命を祀ったのが始まり。
  705 (慶雲きょううん2) 年11月に平岡に移る。平岡大社から春日大社へ勧請。859 (貞観じょうがん1) 4月27日に神階 正一位。

  天児屋根命は中臣 (藤原) 氏の祖先。平岡神社は同祖を持つ牧岡連むらじらが創建。
  鹿島神宮より早いので、中臣氏の関東発祥説は間違いです。詳しくは↓下リンクのページで

  関東の藤原氏の重要神宮 中臣 (藤原) 氏の関東発祥説は嘘、中臣氏の先祖神を最初に祀ったのは東大阪の牧岡大社


 石川郡 金剛山(河内と大和の葛城郡に跨る)、千早城・下赤坂城山など (楠正成)、上太子叡福寺 (聖徳太子創建)
 錦部郡 心寺25石、天野山金剛寺307石
 丹南郡 安樂寺(半田村は「半田壺」を多く生産)、狭山池(記紀伝説上の10代崇神天皇時代に農業用水の為に掘った日本初の
  溜池。奈良時代の行基668~749が防堤を築き、豊臣秀吉が片桐且元 (市正) に命じて、和田久兵衛が修復)、葛井寺
 八上郡 金田村社(現在の堺市の金岡で古名は「晝カク、ガ、エ」 ()、平安中期の一条天皇時代986~1011年に絵師が
  移住し絵馬を描いて神前に掛けていた)
  ※大和の高市郡巨勢の金岡 (奈良県御所市古瀬) の平安前期の宮廷絵師 (中納言 野足の子の難波氏が巨勢金岡を名乗った)
   の一族が移住したようです。これが絵馬の始まりかも知れません。
 古市郡宮(別名で白鳥宮、日本武尊の白鳥伝説)、石尾山花林寺(壺井村、源頼信・頼義・義家の河内源氏3代の廟有り)、
  八幡宮(壺井村、源頼義と源八幡太郎義家の生誕地、義家が奥州へ出陣した時に渇水になり伊勢神宮に祈ると清水が湧き出た。
  この水を千の壺に入れたところ朝敵に勝利。凱旋後にこの壺の事から壺井村とした。というような事が書かれてあります)
  源頼信、頼義、義家、金剛輪寺(十一面観音・薬師如来とも聖徳太子の作也、太子は黒い馬に乗り富士山に行った馬を河内の
  磯長(太子町)に放った)、誉田八幡宮200石
 安宿郡 龜瀬川(江戸時代時点では大和川)
 丹北郡 柴垣ノ宮(仁徳天皇の3皇子で5世紀中期の18代反正はんぜい天皇の都也。里の民が言うには皇居のあった跡地は
  松原庄廣場に天神社がある所也)、阿保村(平城天皇の皇子 阿保親王の居住地。在原業平は親王の第5子)
 志貴郡 道明寺170石(聖徳太子の開基で土師氏が造営した尼寺、寺では菅原道真との別れを惜しんで終夜・暁に鶏がうるさく鳴く)
  當宗神社(宇多天皇と、その外祖父の當宗氏)、守屋大臣旧跡(弓削村に八幡神社有り。物部守屋)、犬墓(真香村、日本書紀の
  物部守屋の事。今の河内に真香村は無いので、河内が分けられる前の事で泉州の日根郡にある犬鳴山かも? というような事が
  書かれてあります)
 大縣郡 照曜山光徳寺(鴈多屋松谷、瀧水が名水)、坂門原トガトハラ陵(平野山内雄略天皇の皇子で5世紀末の22代清寧天皇)
 髙安郡 信徳丸舊跡(山畠村、鏡塚有り)、手塚(渡邊綱が切り落とした鬼の腕)、玉祖大明神(髙安里神立村、摂社5社、源頼朝の祈願
  所だったので梶原景時や朝比奈三郎の書状など関連の物が多数ある。在原業平と神立村小板屋の娘と愛憎話)
 澁川郡 椋樹山勝軍寺(下太子村、別名は名願成就寺、聖徳太子 (実際は蘇我氏と物部氏との対立) が、物部守屋との戦いで
  官軍が危機に遭い、椋樹ムクノキによって勝利を得た話)、鞍作クチツクリ村(百済から来日した佛工の子孫の多須那タスナカの子の
  居住地、鳥佛師と呼ばれる者は是である)
 若江郡 初日山常光寺18石(八尾村、小野篁作の地蔵が本尊)、山口伊豆守碑(若江村、大坂夏の陣で戦死した木村重信は大内
  氏の支流で冬の陣で武功があった関連の話)
 河内郡 岩瀧山往生院六万寺(当寺の柘榴は大きく味が良い)、生駒山(昔、中国から渡ってきた馬を放牧したことからの名)、
  平岡神社(上記にて↑)、鬼取嶽ヲンドリカタケ・姥火ウハカ、日下村クサカムラ(神武天皇が12月10日に草香村に入った事)
 讃良郡 深野池、鴈卒都婆カンソトバ、少林山見性寺(大坂の陣での徳川秀忠の本陣)
 交野郡 長者屋鋪(寝屋村、昔の鉢被り長者がいた。室町時代の御伽草子の鉢かつぎ姫の話に関係した場所と思われます)、
  岩舩山(河内と大和の境で高津山のこと、空を飛ぶ船に乗った下照姫天女が降臨した伝説から)、鴻尾山、三本杉雉子塚、
  百濟王ノ宮(百済の王子が来日した時に聖徳太子が用意した旅館の跡)
 茨田郡 守口(守口漬という香の物の細大根)、佐太宮(一番村、霊宝多数)、紫雲山來迎寺(梶村)、光善寺(振卿出口村、東本願寺)、
  枚方村(源頼朝の名馬生食いけずきは、ここの地から出す) ※イケズキの出身地は他に色々とあるようです。

 【巨勢金岡】こせ-の-かなおか
  平安前期の宮廷絵師。唐風の風景・風俗画を和様化する新様式を開き、画家の社会的地位を高めたとされる。
  895年(寛平7)までの事蹟が残るが、確かな作品は伝存しない。
  巨勢派…巨勢金岡を祖とし、日本流の風景・風俗画に重要な役割を果たした平安時代以降の絵師の家系。

 【磯長谷古墳群】しながだに-こふんぐん
  大阪府河内郡太子町にある古墳群。6世紀後半~7世紀に造営された前方後円墳・方墳・円墳などからなり、
  敏達・用明・推古などの大王の墓と推定される古墳を含む。

 【弓削部】ゆげ-べ … 大和政権で弓の作製を担当した品部しなべ 品部…世襲的な職業集団。

 【鞍作止利・鞍作鳥】くらつくり-の-とり (生没年未詳)  鳥佛師とり-ぶっし、止利仏師
  飛鳥時代の仏師。日本の仏工の祖といわれる。渡来人の司馬達等たっとの孫。彫刻・金工に秀でた。
  飛鳥寺の釈迦像(飛鳥大仏)や、623年の法隆寺金堂釈迦三尊像が現存し、その厳格端正な作風を知ることができる。

 【岩船】いわ-ふね
  岩のように堅固な、天空を行くという船。万葉集[3]「天の探女さぐめが―の泊はてし高津は

 【下照媛・下照姫】したてる-ひめ (古くはシタデルヒメ)
  記紀神話で大国主命の女むすめ、味耜高日子根あじすきたかひこね命の妹、天稚彦あめわかひこの妃。
  天稚彦が高皇生霊たかむすび神に誅せられた時、その哀しみの声が天に達したという。


 楊梅ヤマモモ(石川郡)、枕(錦部郡)、飴(平野)、香(守口漬細大根)、引飯ヒキイヒ(道明寺比丘尼が製する)、干瓢(木本)、木綿、
 金剛砂(金剛山の麓より産出し玉に磨く)、蛇床子、菊花、鷄頭實、木槵子(道明寺で珠を作る)、轡くつわ。鷹、鈴(誉田)
 蓮藕ハスノコ (レンコン)、鳥芋クロクワイ、田鳥子シロクワイ葡萄ブトウ(富田林)、炭(光ノ瀧)

 
 七十六 和泉・紀伊・淡路

 和泉 元は3郡 高13万8750石。 大鳥大社 (大鳥大明神) 2000石 (旧官幣大社) 正一位勲八等 祭神五座

 () 大鳥郡 和泉 日根郡 泉南郡 中世に和泉郡を割って南部を泉南郡とした。

  元は河内国。奈良時代、元正天皇の霊亀れいき2 (716) 年4月に河内国を割って、大鳥・日根・出泉の3郡を置いて
  和泉国とした。類聚国史 (892年成立、菅原道真 編、200巻) に初見される。以上3郡は昔いわゆる茅渟の海のほとりである。
  和泉という名は神宮皇后が新羅征伐の時、地中より泉が湧き出て甘く味が良い清水だったので地名を付けた。
  日本後紀には、淳和天皇の天長2 (825) 年に摂津国の江南4郡(東生・西生・住吉・百済)を和泉国に編入したが、
  摂津国の百姓が騒動を起こしたので、同年に撤回した)

  【和泉】いずみ
   ①(「和泉」は713年(和銅6)の詔により2字にしたもので、「和」は読まない)旧国名。五畿の一つ。
    今の大阪府の南部。泉州。
   ② 大阪府南西部の市。市域北西部の府中町は和泉国府に由来する。

  【大鳥神社】おおとり‐じんじゃ
   大阪府堺市鳳北町にある元官幣大社。祭神は大鳥連祖神おおとりのむらじのおやがみ・日本武尊やまとたけるのみこと
   和泉国一の宮。

  大鳥連は中臣氏と同じく天児屋命を祖神としていたので、大鳥連祖神は天児屋命ということになる。
  (出典ウィキペディア『大鳥神社』)

  記紀上の12代景行天皇 (日本武尊の父) 27年、熊襲征討に日本武尊を派遣、40年に東夷征討に派遣。
  帰路の伊勢国の能褒野で亡くなり白鳥となって飛び立ち、河内国古市に降り立った。そして大野里で力尽きた。
  この大野里が今の大鳥村。此処に大鳥大明神として祀った。
  一夜でにわかに多数の木々が生い茂る森となったので代々の天皇が崇めた。また、昔に天太神の化身である白鳳が
  飛来して此処に止まったので大鳥の名前がある。この二説がある。鉢峯神社


  大鳥郡 堺津(摂河泉の堺なり。大小路の東に三国の境目あり。古くは唐に渡る商人が居住。西国海舶の大湊である。
  2庄5村ある。北庄は向井領村・中筋村・原村で摂州に属する。南庄は開口アクチ村・木戸村で泉州に属する。南北
  朝時代の山名氏清、室町時代前期の大内義弘らが築城し堺津は華やかで栄える都市になった。
  戦国時代末期に河内と和泉が三好長慶領となった。今、また堺奉行が堺と和泉国を司り堺政所まんどころと呼ぶ)

  白絲割付シライトワップ
   堺120丸、京・江戸・長崎は各100丸、呉服所 (大名高家の御用達の呉服店) 60丸、大坂50丸、対馬20丸、筑前10丸半、
   肥前の平戸10丸、肥前の佐賀と筑後が各5丸、豊前の小倉1丸半 以上582丸。

 【糸割符】いと-わっぷ 白糸割符
  江戸時代、外国船がもたらした白糸(中国産生糸)を堺・京都・長崎・江戸・大坂の特定商人(糸割符仲間)が一括購入する
  制度。1604年(慶長9)制定。

  方違カタチカヒ大明神(堺大小路之東、神功皇后が三韓征伐の凱旋中、(方違神社の主祭神となる) 三神に告げられ此の土地に
  住吉大社の摂社の一つとして祀った。五月末日に厄除けの祭)、戎島蛭兒ノ宮(戎之町の浜今宮戎神社の事。戎町の名の由来)
  如意明神、東原大明神(5世紀前後の15代応神天皇16年2月に百済から王仁が来日)、開口大明神(甲斐町ノ東、80石。南庄3村の
  氏神)、瑞ミツ森明神、宿院、大山陵(16代の仁徳天皇)、石津神社、鉢峯神社(大鳥神社の前身。11代の垂仁天皇8年の時、
  天照大御神の化身である鳳凰が飛来、12代の景行天皇24年に神託があり武内宿祢に創建させ、55年に千種の森に移した)
  方田三叚(蓮池浦池の上、日本で初めて田のサイズを計った場所、聖武天皇が行基に命じて日本の各地の田畑を検地した、
  行基について)、少林寺(後醍醐天皇の時代に開基)、甘露山大經寺(開基した澄圓上人について、中世は大町の西に八万
  貫屋という当寺に付属する塩風呂があった。行基によって霊水が涌き、足利将軍家が温室を下賜し、太閤秀吉も疾病を癒す
  為に入浴した)、福山光明院(櫛屋町の東、後柏原天皇・後奈良天皇らの霊宝多数あり)、勑定山引接寺、金光寺、
  北御坊信證院300石、妙國寺120石、九艘小路クサウのセウヂ(神宮皇后の船九艘が着岸した場所で九本の松が生えていた)
  茅渟チヌ(大阪湾南部の古称の由来と、多くの黒鯛が生息していたので、黒鯛の事をチヌと呼ぶようになった)、牡丹花、

 和泉郡 信太大明神(貞観元年従四位下)、穴師明神(貞観年中に従四位下)、國分寺(現在は福徳寺)、巻尾山施福寺、
  牛瀧山大威徳寺、取石トロシの池(上古は髙石池。垂仁天皇35年に五十瓊敷イニシキの命を遣わして髙石池を作った。この
  時は和泉がまだ分かれていないので河内である)
  七層峠ナゝコシタウケ(紀泉河 三國の境なり)

 泉南郡 隆池院久米田寺、橘諸兄塚、女郎塚(光明皇后の廟の後と呼ぶが疑わしい)、天性寺(蛸地蔵と紀州根来寺との
  対立の話)、水間寺、願泉寺(石山本願寺と織田信長)

 日根郡 蟻通明神、男森大明神(長髄彦と五瀬命に纏わる茅渟の由来)、菟度ウトの墓(垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命の
  墓。この辺りで作った?1000の剣を納めた蔵を後に石上神宮に移した)


 金紗キンシヤ、撰○絹、鐵炮テツハウ、朱座シユサ(柳町)、白粉ヲシロイ(小西)、尻切履シキレ(櫻町)、酢、傘カラカサ、庖刀ホウチウ
 瓜(舳松)、鯛、金魚(以上は堺津で多く出す)、湊神、壺焼シホヤキ鹽、花鹽(松村)、雞卵トリノコ(阿間川)、白炭(横山)、壺(蜂田)
 櫛クシ(近木)、笊イカキ(富木)、箕ミ(上村)、鰈カレイ(岡田)、煙艸タハコ(新田)


 和泉の○山炭は名物


 サトウキビの栽培は静岡・愛知・大阪でも行われていました。

 幕末の『守貞謾稿』上巻 第四編 生業上 「大坂商賈

 追書 砂糖のこと昔は紅毛より齎來るを出島白 淸より來たるを三盆頂番並白と云 外に氷砂糖あるのみ 又
  黒砂糖も齎來る皇國にては薩の黒糖あるのみ 是も琉球及同近島に産すのみ 官に蔗種を傅ふ

  寛政中 是を市民に命じ始て皇國に種ゆ 乃ち余 北川祖父及び外に三人都て四人豫之駿遠の間に弘之種
  法製蔗法を農民に教授す 速に種之夫より西方に傅ふ 西方にて土佐國 早く製之ことを得る

  今世は蘭淸の糖を用ふるは極上製菓のみ 其他專 和製を用ふ
  今世 譛は白糖を多く産し 又 常民とす 國用 七八分用之 阿次ぎ 駿遠 又次之泉を下とす
  黒糖 薩地 琉製の次とす 土次之 紀は又次之 泉亦其次とし 尾参遠駿等を下品とす

  「堺筋の砂糖中買及び木綿屋」 堺筋は南北の名也 砂糖中買は二百餘戸あり 各皆 白黒及び和製來舶ともに
  商ふ 糖中買 戎講一番組 大黒講二番組 大茂組 大森組 富又組 永代講ト云 三番組

  「北堀江郷の南河岸」 南堀江郷の南北の河岸に和製砂糖問屋及び藍玉問屋あり

  前に云如く 糖も來舶は平野町邊唐物問屋に漕し 又 琉球及薩の諸島産の黒糖は當所に在る薩州藏屋敷に漕し
  中間各入札にて買之 故に問屋なし 文政此迄は西濱に薩摩問屋ありて琉球産の那覇と云 黒糖は皆こゝに來り
  又 大島 徳の島 嘉界も往々こゝに漕し 藏やしきには 大島以下の貢物のみにて 那覇は入らざりしが 大坂町人
  出雲屋孫右衛門と云人の謀にて 全く藏邸に漕し問屋を廢す

  堀江の問屋に漕す砂糖は 讃州 阿州 泉州等の産也 各産所を分ち 或は兼るもあり 土州は藏邸に全く漕す
  紀州も同上と雖も家老の采邑に産する物は當所の問屋に漕す

  「紅毛こうもう=オランダ」「=清 (中国)」「駿=駿河 (静岡中部)」「=遠江 (静岡西部)」
  「=尾張 (愛知西部)」「=三河 (愛知東部)」「泉州=和泉 (大阪南部)」「紀州=紀伊 (和歌山)」
  「=土佐 (高知)」「讃州=讃岐 (香川)」」「阿州=阿波 (徳島)」「薩地=薩摩 (鹿児島)」
  「大島=奄美大島」「徳の島=徳之島 (鹿児島の奄美諸島)」「嘉界=喜界島 (奄美諸島)」「琉球=沖縄」

  「=もたらす」「=後」「都て=とて」「=よ、あらかじめ」「=余」「=廃すたれ」「當所=当所」



 紀伊 7郡 髙39万5420石余。 日前神宮 (日前大明神) 40石 末社60以上有り

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  【紀伊】きい(キ(木)の長音的な発音に「紀伊」と当てたもの)
   旧国名。大部分は今の和歌山県、一部は三重県に属する。紀州。紀国きのくに

  【日前神宮】ひのくま‐じんぐう
   和歌山市秋月にある元官幣大社。祭神は日前大神。相殿あいどのに思兼命おもいかねのみこと・石凝姥命いしこりどめのみこと
   まつる。境内に国懸くにかかす神宮がある。紀伊国一の宮。日前(桧隈)国懸神宮。


 熊野現1000石、末社はおよそ215社、東照大(弱浦)1000石、高野山金剛峯寺2万1700石(坊舎7770余)、
 丹生明神 元暦3年 神階 正一位、

  【熊野三所権現】くまの‐さんしょ‐ごんげん
   熊野三社の主祭神として祀られる本宮の家都御子神けつみこのかみ、新宮の熊野速玉神、那智の夫須美ふすみ神の三所。
   熊野ゆや権現。

  【熊野坐神社】くまのにます‐じんじゃ
  和歌山県田辺市本宮町にある元官幣大社。祭神は家都御子神。本宮。今は熊野本宮大社と称。熊野三社の一つ。

  【熊野速玉神社】くまの‐はやたま‐じんじゃ
   和歌山県新宮市にある元官幣大社。祭神は熊野速玉神。新宮。今は熊野速玉大社と称。熊野三社の一つ。

  【熊野那智神社】くまの‐なち‐じんじゃ
   和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある元官幣中社。祭神は家都御子けつみこ神・熊野速玉神・熊野夫須美ふすみ神。
   今は熊野那智大社と称。熊野三社の一つ。


 蜜柑(有田)、青皮シヤウヒ(有田)、陳皮(有田)、枳殻、楊桃ヤマモモ、忍冬酒(弱山、酒家名・源二郎太夫)、淺茅アサジ(弱山、酒家名・嘉右衛門)
 妹背苔イモセゝリ(弱浦)、木葉蝶(弱浦)、海雲モツク(弱浦)、牡蠣(弱浦)、加田和布(加田)、麥麪ハツタイ(宮崎)、鹿角菜フノリ
 石花菜トコロテン、太平墨(賀茂谷)、鯉(紀ノ川)、鰷アイ(有田川)、馬角貝マテカイ(藤白)、穂蓼ホタテ(大野村・四季も有り)、防風(海部郡三江村)
 甜瓜(海部郡三江村)、櫔細工トチサイク(田)、碁黒石(那智)、金ツケ石、砥石(神子濱)、庭石(大崎)、椀ワン(名草郡黒江)
 蜂蜜(熊野)、鯨(熊野)、黐トリモチ(熊野)、岩茸(髙野)、槙マキ(髙野)、菩堤子ホタイシ(髙野)、土砂(髙野眞言加持)、傘紙(川根)、椿實、
 弓(神川)、紙子(新宮花井)、三度栗(湯峯、毎年三度生)


 炭焼は日向と紀列から多く出る



 淡路 2郡 3621石。 伊弉諾神宮 (伊弉諾イサナキの宮)

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  【淡路】あわじ
   ① 旧国名。今の兵庫県淡路島。淡州たんしゅう
   ② 兵庫県南部の市。淡路島の北部から中部に位置し、明石海峡を望む。水産業のほか、ビワの栽培が盛ん。

  【伊弉諾神宮】いざなぎ‐じんぐう … 兵庫県淡路市多賀にある元官幣大社。祭神は伊弉諾尊。多賀大明神。淡路国一の宮。


 納豆(谷口妙唱寺)、志築鱁鮧シツキシヲカラ(カマスのワタ醤を志築から出すのでこの名がある)、五色撒石(鳥飼より出す)、木綿(下品)

 七十七 丹波・丹後・但馬・播磨・因幡


 丹波たんは 6郡 髙28万5070石。 出雲大神宮 (出雲大明神) 50石

 ()  桑田クハタ、船井フナヰ、多紀タキ、天田アマタ、何鹿イカルカ / 龜山・福智山・笹山・園部・氷上・山家・漢部アヤベ

  【丹波】たんば(古くはタニハ)
   ① 旧国名。大部分は今の京都府、一部は兵庫県に属する。
   ② 兵庫県東部の市。中国山地の東端、加古川・由良川両水系の最上流部で、日本で一番低い分水界がある。

  初めは「谿羽」の字が用いられていたが「丹波」になり、11郡を割って5郡を丹後とした。

  【出雲神社】いずも‐じんじゃ
   京都府亀岡市千歳町にある元国幣中社。祭神は大国主命・三穂津姫命。今、出雲大神宮と称。丹波国一の宮。


 社領および寺領の記述で所領が多い寺社では、篠村八幡宮50石、和知大明神50石・法常寺100石、法院53石。
 永澤寺、髙源寺、穴太寺、大慈山普濟寺は寺領が書かれてありません。大江山と酒呑童子。桜の名所が数多い。


 前胡、柴胡、桔梗、茯苓、藎草カリマス、辛灰カラハイ、木瓜、獨活うど、栗子、烔草タハコ、太布フトヌノ、煎茶、
 山椒、鞘サヤ木、黄精(船井郡)


 串柿、


 丹後たんご 5郡 髙12万3150石。 籠神社 (籠守コモリ明神)  貞観13年に神階 従四位下

 () 加佐カサ、與謝ヨサ、丹波タンハ、竹野タカノ、熊野クマノ / 宮津・峯山

  【丹後】たんご … ①旧国名。今の京都府の北部。 ② 丹後縞じまの略。 ③ 丹後縮緬ちりめんの略。

  続日本紀によると、元明天皇の和銅6年4月に、丹波を割って5郡を丹後國を置いた。

  【籠神社】こ‐の‐じんじゃ
   京都府宮津市大垣にある元国幣中社。祭神は天之水分神あまのみくまりのかみ・天火明命あまのほあかりのみことほか。
   丹後国一の宮。宮司家の「海部氏系図」は国宝。こもり神社。


 蒲黄ホ○ウ、胡麻、葛籠、撰絲センジ、紬、海鼠ナマコ、鰤(伊祢浦より)、老海鼠ホヤ、鰯、隼ハヤブサ(沖ノ島に有り)
 淡菜貝(ミルクイカイ、切戸に多く有り。俗に文殊貝または海松喰)、鏃やじり(浮守村より)、海松ミル(久美浦より多く出す)



 但馬たしま 8郡 髙12万3960石。  栗鹿あわが神社 (栗鹿大明神)  貞観16年に神階 従五位上 旧社格は県社

 () 朝來アサコ、養父ヤフ、出石イツシ、氣多キタ、城崎キイサキ、美含ミクミ、二方イタカタ、七美シヅミ / 出石・豊岡

  【但馬】たじま … 旧国名。今の兵庫県の北部。但州。

  続日本紀によると、元明天皇の和銅6年4月に、丹波を割って5郡を丹後國を置いた。


 小人参、芍薬、黄蓮、白、半夏、茜草アカネ、蕨ワラビ(同縄)、柳行李やなぎコリ、眞綿マワタオンジャク、鷹、
 特牛コトヒウシ、山椒サンセウ(朝倉)、砥石トイシ(諸磯)、白銀



 いなば 7郡 髙13万1649石。 宇部神社 (宇部明神)  旧社格は国幣中社

 () 巨濃コノ、法美ハフミ、八上ヤカミ、知頭チツ、邑美ヲフミ、髙草タカクサ、氣多 もとは8郡 / 鳥取(邑美郡)

  【因幡】いなば … 旧国名。今の鳥取県の東部。因州。昔の字では「番」の上の「ノ」がありません。「釆」ではなく、「米」の下に「田」。


 木蝋キラフ、鞘木サヤキ、海素麪ウミソウメン(海藻の類)、杉原紙、引田紙、鰷白アユのシラ、乾ホシ、甜瓜マクワ(鳥取の鼠瓜)、生薑(長柄)



 はりま 12郡 髙22万7715石、山陽道。 伊和神社 (伊和大明神)  神階 正一位

 () 明石アカシ、賀古、印南イナミ、餝磨シカマ(後に分け、餝シキ東・餝西と呼ぶ)、楫保イヒホ(昔は楫穂。後に分け楫東・楫西の
  2郡)、赤穂アカホ(今は阿古と訓ずる)、佐用サヨ、穴粟シサハ(今は「シソ」と訓ずる。昔の「穴」は「肉」の字、今は誤って
 「完」の字を用いている)、神崎カンサキ(後に神東・神西の2郡)、多可タカ、賀茂(後に賀東・賀西の2郡)、美囊ミナキ(今は略して
 「三木」と称す)

  / 姫路ヒメチ・明石・赤穂アコ・龍野タチノ・林田・小野・穴粟シソ

  【播磨】はりま … 旧国名。今の兵庫県の南西部。播州ばんしゅう
   昔の字では「番」の上の「ノ」がありません。「釆」ではなく、「米」の下に「田」。

  【伊和神社】いわ‐じんじゃ
   兵庫県姫路市一宮町にある元国幣中社。祭神は大己貴神おおなむちのかみほか。一つ山神事で知られる。播磨国一の宮。


 望潮魚イヒタコ(髙砂)、蜘蛸クモタコ、赤アカ眼張魚メハル、玉筋魚イカナゴ(以上、明石)、鹽(赤穂)、穂蓼ホタテ(津田に常に有り)
 搗染カチンソメ(餝磨)、鋼鑯ハカネ鑯類、鍬スキクハ(完粟)、鞍クラ(東条)、靻ナメシカワ(室の津)、鏡(小鹽)、鍋(野里)、糯モチコメ

 七十八 美作・伯耆・出雲・隠岐・備前・備中・備後


 美作みまさか 7郡 髙22万7715石。 中山神社 (中山大明神)  貞観17年に神階 正三位

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  【美作】みまさか
   ① 旧国名。713年(和銅6)、備前より分離独立。今の岡山県の北部。作州。
   ② 岡山県北東部の市。農業・林業が中心。出雲街道・因幡街道が通る。

  【中山神社】なかやま‐じんじゃ
   岡山県津山市一宮にある元国幣中社。現在の祭神は鏡作命かがみつくりのみことほか。
   12月1日からの御注連おんしめ祭が有名。美作国一の宮。



 備前びぜん 8郡 髙28万6200石。 吉備津彦神社 (吉備津大明神)

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  【備前】びぜん
   ① 旧国名。吉備きび国を大化改新後に前・中・後に分けた一つ。713年(和銅6)、北部は美作みまさかとして分離独立。
    今の岡山県の南東部。
   ② 岡山県南東部、瀬戸内海の片上湾に臨む市。もと山陽道の宿駅。備前焼を特産。閑谷しずたに学校の所在地。

  【吉備津彦神社】きびつひこ‐じんじゃ … 岡山市一宮にある元国幣小社。祭神は大吉備津彦命。備前国一の宮。



 備中びつちう 9郡 髙22万7894石。 吉備津神社 (吉備津大明神) 160石

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  【備中】びっちゅう … (ビチュウとも)旧国名。吉備きび国を大化改新後に前・中・後に分けた一つ。岡山県の西半部。

  【吉備津神社】きびつ‐じんじゃ
   岡山市吉備津にある元官幣中社。祭神は大吉備津彦命。釜鳴神事で知られる。備中国一の宮。吉備津宮。
   広島県福山市新市町にある同名神社(備後国一の宮)は分社。



 備後びんご 14郡 髙23万8838石余。 吉備津神社の分社 (吉備津大明神)

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  【備後】びんご …① 旧国名。吉備きび国を大化改新後に前・中・後に分けた一つ。広島県の東部。 ② 備後表の略。

  【吉備津神社】きびつ‐じんじゃ
   岡山市吉備津にある元官幣中社。祭神は大吉備津彦命。釜鳴神事で知られる。備中国一の宮。吉備津宮。
   広島県福山市新市町にある同名神社(備後国一の宮)は分社



 伯耆はくき 6郡 髙13万1649石。 倭文神社 (倭文大明神) 50石

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  【伯耆】ほうき … 旧国名。今の鳥取県の西部。伯州。

  【倭文神社】しとり‐じんじゃ、しずりじんじゃ。
   鳥取県東伯郡湯梨浜町にある元国幣小社。祭神は建葉槌命たけはづちのみことほか。伯耆国一の宮。


 大山タイセン大明神3000石



 出雲いつも 10郡 髙22万3477石。 出雲大社 (大社杵築キタキ太神) 5000石

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  【出雲】いずも
   ① 旧国名。今の島根県の東部。雲州。
   ② 島根県北東部、出雲平野の中心にある市。室町時代以降市場町として発展。紡績・酒造などの工業が発達。

  【出雲大社】いずも‐たいしゃ
   島根県出雲市大社町杵築きづき東にある元官幣大社。祭神は大国主命。天之御中主神あまのみなかぬしのかみ
   高皇産霊神たかみむすびのかみ・神皇産霊神かみむすびのかみ・宇麻志阿志軻備比古遅命うましあしかびひこじのみこと
   天之常立神あまのとこたちのかみを配祀。社殿は大社造たいしゃづくりと称し、日本最古の神社建築の様式。
   出雲国一の宮。いずものおおやしろ。杵築大社。



 隠岐おき 4郡 髙1万1800石余。 由良比女神社 (由良姫大明神)

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  【隠岐】おき … 中国地方の島。旧国名。山陰道の一国。今、島根県に属する。隠州いんしゅう

  【由良比女神社】ゆらひめ‐じんじゃ … 島根県隠岐郡西ノ島町にある元郷社。祭神は由良比女命。一説に隠岐国一の宮。

 七十九 阿波・土佐・讃岐・伊豫・安藝・石見・周防・長門


 阿波あわ 9郡 髙18万6753石、南海道。 大麻比古神社 (大麻ヲホアサ彦大明神) 貞観9年 神階 正五位上

 () 板野イタノ、美馬ミマ、三好ミヨシ、麻殖、阿波アハ、勝浦カツラ、那賀ナカ、名東ナヒカシ、名西ナニシ (元は名方郡で東西に分けた)

  【阿波】あわ
   ① 旧国名。今の徳島県。粟国。阿州。
   ② 徳島県北部の市。吉野川の北岸に位置する。果樹・野菜栽培が盛ん。天然記念物の土柱どちゅう(阿波の土柱)がある。

  【大麻比古神社】おおあさひこ‐じんじゃ … 徳島県鳴門市大麻町にある元国幣中社。祭神は大麻比古神。阿波国一の宮。



 土佐とさ 7郡 20万2627石。 土佐神社 (土佐大明神) 貞観元年 神階 従五位上

 ()

  【土佐】とさ (古く「土左」とも書く)
   ① 旧国名。今の高知県。土州。
   ② 高知県中部、仁淀川下流に沿う市。高岡平野での野菜・藺草いぐさ栽培のほか、和紙製造・鰹かつお漁が盛ん。

  【土佐神社】とさ‐じんじゃ
   高知市一宮いっくにある元国幣中社。祭神は一言主神ひとことぬしのかみ、あるいは味鉏高彦根あじすきたかひこね命という。
   土佐国一の宮。



 讃岐さぬき 11郡 髙17万1815石、南海道。 田村神社 (田村大明神) 貞観9年 神階 従四位下

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  【讃岐】さぬき
   ① 旧国名。今の香川県。讃州。
   ② (「さぬき」と書く)香川県東部の市。讃岐平野の東端、大川平野の農業地帯が中心。
    四国八十八箇所の第86~88番の札所がある。

  【田村神社】たむら‐じんじゃ
   香川県高松市一宮町にある元国幣中社。祭神は倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみことほか。讃岐国一の宮。



 伊豫いよ 14郡 髙38万1640石、南海道。 大山祇神社 (大山祇大明神) 50石 貞観17年 神階 正二位

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  【伊予】いよ
   ① 旧国名。今の愛媛県。伊余。伊与。予州。
   ② 愛媛県中部、伊予灘に面する市。松山平野南西部にあり、花鰹・ミカンの産地。

  【大山祇神社】おおやまつみ‐じんじゃ
   愛媛県今治市大三島町宮浦にある元国幣大社。祭神は大山祇神。全国にある重要文化財の甲冑のうち約7割強を所蔵。
   伊予国一の宮。大三島神社。三島大明神。



 あき 8郡 髙25万9384石、山陽道。 厳島神社 (島大明神) 1000石 貞観9年 神階 従四位上

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  【安芸】あき
   ① 旧国名。今の広島県の西部。芸州。
   ② 高知県南東部、土佐湾に臨む市。中世安芸氏の居城。促成野菜園芸の盛んな安芸平野の中心地。

  【厳島神社】いつくしま‐じんじゃ
   厳島にある元官幣中社。市杵島姫命いちきしまひめのみことを主神とし、田心姫命たごりひめのみこと・湍津姫命たぎつひめのみこと
   合祀。社殿は海中に立ち、宝物類には平家寄進のものが多く、大鳥居・朱塗の殿堂・五重塔・千畳閣・能舞台など、国宝・
   史跡に富む。世界遺産。安芸国一の宮。



 石見いハみ 6郡 12万7370石、山陰道。 物部神社 (物部大明神) 50石 貞観17年 神階 正五位上

 ()

  【石見】いわみ …旧国名。今の島根県の西部。石州。

  【物部神社】もののべ‐じんじゃ
   島根県大田市川合町にある元国幣小社。祭神は宇摩志麻遅命うましまじのみことほか。石見いわみ国一の宮。


  【石見銀山】いわみ‐ぎんざん
   ① 島根県大田市大森にあった銀山。16~17世紀に大量産出。江戸幕府直轄地だったが、幕末にはその寿命を終えた。
    現在は世界遺産。大森銀山。
   ② 島根県津和野の笹ケ谷ささがたに鉱山(石見銀山領)産出の砒石ひせきで製した殺鼠剤。
    浮世風呂[4]「かね金山もすさまじい。―鼠とり薬でも食つたらう」



 周防 6郡 16万4420石余、山陽道。 玉祖神社 (玉祖大明神)

 () 大島ヲホシマ、玖珂クカ、熊毛クマケ、都濃ツノ、佐波サハ、吉敷ヨシキ / 徳山・上關カミノセキ(大島郡の島で龜戸)

  元正天皇の養老5年に熊毛郡を分けて玖珂郡を置いた。

  【周防】すおう … 旧国名。今の山口県の東部。防州。「すは」とも。

  聖武天皇の天平6年に大竹河で安芸と周防の境と決めた。

  【玉祖神社】たまのおや‐じんじゃ … 山口県防府市大崎にある元国幣中社。祭神は玉祖命。周防国一の宮。



 長門なかと 6郡 髙13万4059石、山陽道。 住吉神社 (住吉大明神) 貞観17年 神階 従四位上

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  【長門】ながと
   ① 旧国名。今の山口県の西部・北部。古くは穴門あなと。長州。 ② 山口県北西部の市。青海島や温泉などがあり、観光地。

  【住吉神社】すみよし‐じんじゃ
   大阪市住吉区住吉にある元官幣大社。住吉神すみのえのかみの三神と神功皇后とを祀る。二十二社の一つ。摂津国一の宮。
   今は住吉大社と称す。同名の神社は、下関市一の宮住吉(長門国一の宮)や福岡市博多区住吉(筑前国一の宮)など
   各地にある。

 八十 豊前・豊後・筑前・筑後・日向・肥後・大隅・薩摩・肥前・壹岐・對馬


 豊前ぶぜん 8郡 髙33万0740石、西海道。 宇佐神宮 (宇佐八幡宮) 1000石 延暦18年 正三位

 () 京都ミヤコ、田河、企キク、仲津、筑城ツイキ、上毛カミケ、下毛シモケ佐 / 小倉・中津

  【豊前】ぶぜん
   ① 旧国名。今の福岡県東部と大分県北部。 ② 福岡県東部の市。周防灘に面した宇島うのしま港を中心に工業が発達。

  【宇佐神宮】うさ‐じんぐう
   大分県宇佐市南宇佐にある元官幣大社。祭神は、応神天皇・比売神ひめがみ・神功皇后。
   全国八幡宮の総本社で、古来尊崇された。社殿は八幡造の代表。豊前国一の宮。宇佐八幡。



 豊後ぶんご 8郡 髙37万8992石。  (柞原ユスハラ大明神)  貞観11年 従五位下

 () 日田ヒタ、○(「王」へん+「未」)クス、直入ナヲリ、大野、海部アマヘ、大分ヲホイタ・ヲホカタ、速水ハヤミ、國崎クニザキ

  / 臼杵ウスキ・竹田・城築キツキ・佐伯サヘキ・府内・日出ヒジ・森

  【豊後】ぶんご … ① 旧国名。今の大分県の大部分を占める。 ② 豊後節ぶんごぶしの略。



 筑前ちくぜん 15郡 髙52万2512石、西海道。 筥崎宮 (筥崎八幡宮) 国主寄付で600石 

 () 怡土イト、志摩シマ、早原サハラ、那珂ナカ、席田ムシロタ、糟屋カスヤ、宗像ムナカタ、遠賀ヲンガ、鞍手クラデ、嘉麻カマ
  穂波ホナミ、夜須ヤス、下シモツカサクラ、上カミツカサクラ、御笠ミカサ(大宰府・鎮西) / 福岡・秋月・博多

  【筑前】ちくぜん … 旧国名。今の福岡県の北西部。

  【筥崎宮】はこざき-ぐう
   福岡市東区箱崎にある元官幣大社。祭神は応神天皇を主神とし、神功皇后・玉依姫命を合祀。筑前国の一の宮。筥崎八幡宮。

  【住吉神社】すみよし‐じんじゃ
   大阪市住吉区住吉にある元官幣大社。住吉神すみのえのかみの三神と神功皇后とを祀る。二十二社の一つ。摂津国一の宮。
   今は住吉大社と称す。同名の神社は、下関市一の宮住吉(長門国一の宮)や福岡市博多区住吉(筑前国一の宮)など
   各地にある。


 宰府天神(太宰府天満宮)3000石


 筑後ちくご 10郡 髙30万2085石、西海道。 高良大社 (高良大明神) 1000石 貞観11年 神階 正二位

 () 御原ミワラ、生葉イクハ(日本紀では「的イクハ」)、竹野タカノ、山本ヤマモト、御井ミ井、三瀦ミヌマ(日本紀では「水沼」)
  山門ヤマト、三毛ミケ(日本紀では「御木」) / 久留米・柳川・三池

  【筑後】ちくご … ① 旧国名。今の福岡県の南部。 ② 福岡県南西部、筑紫平野南東部の市。花むしろ・ござ・和紙などを産。

  【高良神社】こうら‐じんじゃ
   福岡県久留米市御井町にある元国幣大社。祭神は高良玉垂命こうらたまたれのみこと。筑後国一の宮。今は高良大社。


 摴蒲カリタ(三池より多く出す)、鯉(三條)、紅花ヘニハナ、菘、鳧カモ



 日向ひうが 5郡 髙28万8589石、西海道。 都農神社 (都農大明神)

 () 兒湯コユ、臼杵ウスキ、那珂ナカ、宮崎ミヤサキ、諸縣モロカタ 或いは貳を加えて6郡とする。

  / 飯肥イゝヒ・財・佐土原

  【日向】ひゅうが (古くはヒムカ)
   ① 旧国名。今の宮崎県。
   ② 宮崎県北部の市。旧幕府直轄領。市の北東部にある細島港は天然の良港で京浜・阪神とのフェリーの発着地。

  【都農神社】つの‐じんじゃ … 宮崎県児湯郡都農町にある元国幣小社。祭神は大己貴命おおなむちのみこと。日向国一の宮。


 藤行李フチコウリ、松材マツノキ(屋柱板などに用いるのにコレ勝れり)、黄檗キワダ、五倍子フシ、煎茶、苦竹、漆(米良)


 炭焼は日向と紀列から多く出る


 肥後ひご 14郡 髙57万2980石余、西海道。 阿蘇大社 (阿蘇宮) 貞観17年 神階 従二位

 () 玉名タマイナ、山鹿ヤマカ、山本ヤマモト、菊地キクチ、阿蘓アソ、詫麻タクマ、合志カハシ、飽田アキタ、宇土ウト
  八代ヤツシロ、天草アマクサ、葦北アシキタ、球磨クマ、益城マシキ

  【肥後】ひご … 旧国名。今の熊本県。

  【阿蘇神社】あそ‐じんじゃ … 熊本県阿蘇市一の宮町にある元官幣大社。祭神は健磐竜命たけいわたつのみことほか。肥後国一の宮。



 大隅おおすミ 8郡 髙17万0828石余、西海道。 鹿児島神宮 (鹿兒島大明神)

 () ソオ、肝属モモツキ(或いは「肝坏」)、大隅ヲホスミ、姶羅アヒラ、菱苅ヒシカリ、桑原クハハラ、熊毛クマケ
  コム(俗に「駒路」)、多襯島(俗に「種子島」、多禰島など)タネガシマ

 続日本紀によると、元明天皇の和銅6年に日向國を割り、肝坏・・大隅・姶羅の4郡を置いて始めて大隅國とした。

  【大隅】おおすみ …旧国名。今の鹿児島県の東部、大隅半島および種子島・屋久島などの大隅諸島、奄美大島を含む。

  【鹿児島神宮】かごしま‐じんぐう
   鹿児島県霧島市隼人はやと町にある元官幣大社。祭神は天津日高彦穂穂出見尊・豊玉比売命。大隅国一の宮。


 鹿兒島正八幡宮1000石


 鐵炮てつはう(多島)



 薩摩さつま 14郡 髙31万5251石、西海道。  (渡海大明神)

 ()

  【薩摩】さつま … 旧国名。今の鹿児島県の西部。薩州。



 肥前ひぜん 11郡 髙67万1437石、西海道。 与止日女神社 (川上大明神) 貞観15年 神階 正五位下

 ()

  【肥前】びぜん … 旧国名。一部は今の佐賀県、一部は長崎県。

  【河上神社】かわかみ‐じんじゃ
   佐賀市大和町にある元県社。現在は与止日女よどひめ神社と称する。祭神は与止日女命。肥前国一の宮。

  【千栗八幡宮】ちりく‐はちまんぐう
   佐賀県三養基郡みやき町にある元国幣小社。応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀る。肥前国一の宮を河上神社と争った。
   千栗神社。



 壹岐いき 2郡 髙1万5982石余。 天手長男神社 (石田明神)

 () 壹岐イキ、石田イシタ / 風本

  【天手長男神社】あめのたながお‐じんじゃ
   長崎県壱岐市郷ノ浦町にある元村社。祭神は天忍穂耳命あまのおしほみみのみこと・天手力男命あまのたぢからおのみことほか。
   壱岐国一の宮。



 對馬つしま 2郡 髙2万5000石。  (和多都美大菩薩) 貞観12年 神階 正五位下

 () 上縣カミツアカタ、下縣シモツアカタ / 府中フチウ

  【対馬】つしま (一説に、津島の意という)
   ① 旧国名。九州と朝鮮半島との間にある島。主島は上島・下島。今は長崎県の一部。中心地は厳原いずはら。対たい州。
   ② 対馬砥の略。 ③ 対馬焼の略。 ④ 長崎県の①市。全島が市域。


 髙島大明神(祭神は宗盛弘の霊。対馬太守の宗氏の本姓は平。中納言の平知盛が戦死した時に、乳父の惟宗が知盛の子を
 抱いて隠し、その子が成長して右馬介と称した。その第2男が宗四郎と名乗り、寛元4年に対馬を領していた阿比留家を討ち取り
 宗家が始まった。宗四郎の子が右馬介助國と名乗ったが、弘安の元寇襲来時に戦死したので、助國の霊を明神として祀った。
 宗家の系図と、その主な人物の功績が書かれてあります。)

  【宗助国】そう-すけくに (名は資国とも、1207~1274)
   鎌倉中期の武将。対馬守護代。文永の役で、急を大宰府に伝えるとともに国府に拠って防戦。討死。

 六十四 琉球

  【琉球】りゅうきゅう
   ① 沖縄(琉球諸島地域)の別称。古くは「阿児奈波」または「南島」と呼んだ。15世紀統一王国が成立、日本・中国に
    両属の形をとり、17世紀初頭島津氏に征服され、明治維新後琉球藩を置き、1879年(明治12)沖縄県となる。
   ② 琉球表おもての略。 ③ 琉球紬つむぎの略。


 芭蕉布バセヲフ、黒沙糖、泡盛アハモリ酒、赤薯蕷アカイモ、欝金ウコンソテツ、琉球莚ムシロ

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