手づくり アイスの店 マルコポーロ
日本各地の食文化1 北海道・東北地方
 大阪府 羽曳野市伊賀5丁目9-6

 Tel  072-953-4321

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このページの最終更新日:   20.06.08
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北海道・東北の食文化 関東・山梨の食文化 東京付近の歴史
中部の食文化 近畿の食文化 沖縄の歴史
お取り寄せ order
中国・四国の食文化 九州・沖縄の食文化 各地の食文化  INDEX
 

  Page Contents



  ※ このページは編集中、随時追加予定。 また各地方の代表的な郷土料理すべてを取り上げているわけではありません。
    地元の情報は、皆さん自身で発信しましょう。

 各地に残るくじら餅 大阪天満宮・石川金沢・山形新庄・宮崎佐土原

 大阪府富田林市で栽培されている岩手県大槌町の「奇跡の復興米」 熊本益城町へ

 青森県 十和田市周辺の南部地方のバラ焼き

 東北の変わった七草粥

 北海道「べこ餅」と東北「くじら餅」の関係 17.09.27 追記

 山形県 外食ラーメン支出額1位、地域で違う ご当地ラーメン

 宮城県 ずんだ餅 江戸時代に仙台在住者が書いた料理本

 青森の「けいらん」は江戸時代以前から日本へ渡来した菓子だった。17.04.23追記

 秋田県 ハタハタ、アメッコ市

 1712年和漢三才図会の「陸奥出羽」の主な記述項目(石高・地名・産するものなど)
 1712年刊の和漢三才図会の「摂津」の主な記述項目(石高・地名・産するものなど)、北前船・菱垣廻船など海路の経由各地
 捕鴨の様子と捕熊の様子 1799年刊『日本山海名産図会』より、鴨は大坂・河内が上品、熊の胆は加賀・新潟・出羽が上品


 北海道・東北地方  北海道  東北の和菓子

  青森県  秋田県  岩手県 

  山形県  宮城県  福島県

  西日本人「全否定」!! 東日本定番の『生味噌おにぎり』
  雛あられ 東日本人は本当の雛あられを食べた事がない?

  江戸時代の海上物流 北前船



東北の縄文~平安時代まで
 東北の古代文明 東北が日本だった?
 東北は金の一大産出地 奈良の大仏は東北の金。
 東北38年戦争アテルイ 奥州 藤原氏と平泉文化

 江戸時代を知る上での注意点 ← 超重要 嘘だらけの関東発信の情報は疑え!!

  東征伐、熊襲征伐と三韓征伐 古墳時代の大和政権から見た蝦夷人の性質、この時代の蝦夷は関東も含む。
  NAVER まとめ 『再現された江戸時代の日本人の食事』 http://matome.naver.jp/odai/2134329123090279301
  縄文時代は東日本の方が人口が多かった? サケ・マス論

  国立国会デジタル図書館 で下記の文献 (原文のまま) などが無料公開されています。PDFで一括ダウンロード可能になりました。
  和漢三才図会 105巻 明治17~21年版 中近堂
   上之巻 『大目録 ~ 36女工具』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898160
   中之巻 『37畜類~71伊賀』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898161
    64大日本国・朝鮮国・琉球国・蝦夷島・西域・天竺・北地諸狄・西南諸蠻、65陸奥・出羽
   下之巻 『72山城~105醸造類』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898162

  人文学オープンデータ共同利用センター 「日本古典籍データ」 無料で一括ダウンロード可能ですが 7Gほど必要です。
  和漢三才図会 105巻 1712年初版の大坂杏林堂版 (味の素所蔵品) http://codh.rois.ac.jp/pmjt/book/100249312/

  人文学オープンデータ共同利用センター 「源氏物語」「豆腐百珍」など多くの古典文献 (原文のまま) が無料公開されているサイトです。
  http://codh.rois.ac.jp/pmjt/

  1917 (大正6) 年9月 『一国一奇風俗噺』(風俗研究会 編、東京府 日本書院)
   この書には各地の変わった風習が記載されており、正月や祭に関する事が多いです。下記リンクでご覧ください。
   http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956041 
  「八の戸のいぶり 陸奥」「中村の馬遂 磐城」「餅貰と節季せきぞろ 陸前」「子供が神主に代る 羽前」
  「花廻りの美観 根室」「奇抜なはさみ詣 日高「謡曲で婚禮こんれい 岩代」「佛送りの草船 羽後」

 
 北海道の食文化
  読売テレビ 北海道まるごと!お宝探しツアー 13.11.10 放送
  NHK Eテレ NHK高校講座日本史 『蝦夷地から北海道へ』 13.12.13 放送
  読売テレビ 秘密のケンミンSHOW 『北海道岩内町のヒミツのごちそう』 14.01.23 放送
  毎日放送 ちちんぷいぷい 『ヤマヒロのこれだけは ! 「初夏の北海道物産展」』 14.04.23 放送
  読売テレビ 大阪ほんかわテレビ 『日本全国47都道府県 地元で愛される美味しいおやつ博覧会』  14.07.20 放送
  NHK Eテレ Rの法則 『女子高生MAP 北海道・旭川編』 17.02.21 放送


【北海道】ほっかい‐どう

日本の最北端、宗谷海峡を隔ててサハリン(樺太からふと
に対する一大島、北海道本島とその属島の総称。
渡島おしま・後志しりべし・胆振いぶり・石狩・天塩てしお
日高・十勝とかち・釧路くしろ・根室・北見の旧10国を含む。
 近海は世界的漁場の一つ。

古く蝦夷えぞと称し、または北州・十州島ともいった地で、
先住民はアイヌ。
本州からの移住はほぼ室町時代以降で、江戸時代
には松前藩の領有地であった。

18世紀末からロシア・イギリス人などが来航、1869年
(明治2)開拓使をおき、北海道と改称。このとき設置
された千島国ちしまのくにを含めると11国になる。

  1886年内閣直属の北海道庁を置き、1947年地方自治法で府県と同格の地方自治体となる。
  道庁所在地は札幌。面積8万3455平方㎞。人口562万8千。全35市。

  1899 (明治32) 年 北海道旧土人保護法発布。農業就労・医療補助・教育の3つの面から保護する目的の法。
   農業に従事または希望するアイヌに1戸15000坪 (5ha) の土地を無償提供。
   病気などで自活で困難なアイヌに薬代などの生活補助。
   アイヌの集落に国の費用で小学校を設置する。
  1997年 北海道旧土人保護法廃止し、アイヌ文化振興法が発布。

  【アイヌ】Ainu (アイヌ語で人間の意)
   かつては北海道・樺太(サハリン)・千島列島に居住したが、現在は主として北海道に居住する先住民族。
   人種の系統は明らかでない。かつては鮭・鱒などの川漁や鹿などの狩猟、野生植物の採集を主とし、一部は海獣猟も
   行なった。
   近世以降は松前藩の苛酷な支配や明治政府の開拓政策・同化政策などにより、固有の慣習や文化の多くが失われ、
   人口も激減したが、近年文化の継承運動が起こり、地位向上をめざす動きが進む。口承による叙事詩ユーカラなどを
   伝える。

  【アイヌ語】アイヌ‐ご
   アイヌ民族の言語。系統は不明。現在では日常語としてはほとんど使われず、少数の人が伝える。
   近年復興運動が進む。ナイ(沢の意)・ベツ(川の意)で終わる北海道・東北地方の地名はアイヌ語起源。


  ≪ アイヌは先住民でなかった事が確定 ≫

  【竹田学校】歴史・岩宿時代編⑥~アイヌ人の起源~|竹田恒泰チャンネル2
   https://www.youtube.com/watch?v=msG7ydm9BIU

  縄文時代以前から北海道に住んでいたのは日本人の先祖。5世紀頃~10世紀までロシアのシベリア・樺太辺りオホー
  ツク文化によって北海道全土が支配されました。
  DNA分析など結果、北海道の縄文人とオホーツク文化圏と混血し、鎌倉時代後半の13世紀頃にアイヌという新しい民族
  が誕生したと分かりました。詳しくはの動画で。

  【竹田学校】全リスト
   https://www.youtube.com/playlist?list=PLlZKROf1QRyFB-IgASo_KSopzH5j6BxYq

  これまで通説だった事が近年の考古学や分子生物学の発展と研究によって覆った事がたくさんあります。
  上リンク記の竹田恒泰さん解説の『竹田学校』のシリーズでは、分子生物学でのDNA解析などによって分かった
  日本人の起源や稲作について分かり易く解説されています。← 超オススメ


  ≪ 北海道の人口 ≫

  1870年66,618人、1877年191,172人、1987年321,118人、1897年786,211人、1907年1,390,079人、1912年1,739,099人。
   (北海道の人口の推移、Eテレ NHK高校講座日本史 『蝦夷地から北海道へ』 13.12.13 放送 グラフより)

  北海道ファンマガジン 『人口推移:国内最大だった北海道』 09.03.13 配信 https://pucchi.net/hokkaido/geo/population02.php
  道内の人口が全国1位になったことがあるとはあまり知られていません。 実は終戦時の1945年、それまで全国3位を
   続けてきた北海道の人口が352万 人で東京都と大阪府を抜いて1位になったことがあります。
   理由は疎開により北海道に人が集まったこと。しかし戦後は徐々に減少し、現在はトップ5にはいることはありません。
   1888年には全国最下位でしたが、これほど変動の激しい都道府県は北海道だけでしょう。

  北海道ファンマガジン 『人口推移:道内最大だった函館』 09.03.13 配信 https://pucchi.net/hokkaido/geo/population01.php
  室町時代の1456年には「道南12館」があったとされています。その一つ箱館が道内の中心地となり後の函館と
   なりましたし、箱館・江差・福山(松前)が当時の道内3大港として発達していました。

   1889年、当時道内に市はなく、函館区が道内1位で52,909人で全国16位、 札幌区16,876人で全国79位でした。
   ちなみに釧路市は、現在でこそ道東最 大都市ですが、明治時代初期には根室が道東最大都市でした。
   以下1920年 の調査ですが、札幌が3位、函館が道内1位であったことがわかります。特筆すべき点としては、
   当時炭鉱の町・夕張や美唄(当時は沼貝)がトップ10にランクインしているこ とです(夕張は1950年調査まで一時期を
   除き6位を継続、以降炭鉱閉鎖相次ぎ人口激減)。

  昭和10年/1935年の市 人口ランキング Source: 国勢調査 http://demography.blog.fc2.com/blog-entry-6687.html
  1935 (昭和10) 年の国勢調査では函館市が207480人で人口密度では5位、札幌市は196541人で人口密度15位。

  【札幌市】さっぽろ
   北海道石狩平野南西部にある政令指定都市。北海道庁・石狩支庁・北海道大学の所在地。
   明治期の計画によって市街地は格子状の街路を形成する。ビール・酪製品など食品工業が盛ん。人口188万1千。


  ≪ 北海道物産展 ≫  北海道物産展は大阪から  江戸時代の海上物流 北前船

  1952 (昭和27) 年、日本で初めての本格的な北海道物産展を開催したのは大阪難波の高島屋。
  その後、大阪から全国に広まり開催されるようになりました。現在でも大阪の各デパートの物産展では北海道物産展が
  ダントツの人気を誇ります。
  1953年には高島屋が第2回「全国の観光とうまいもの大会」を開催し約10品の弁当を出品したのがデパートの駅弁大会
  の始まり。

  北海道物産展を全国で主催している北海道貿易物産振興会によると、2013年は全国35会場 (北海道・沖縄を除く)で
  開催し、総売り上げは66億9600万円。
  また貿易振興会以外の物産展、スーパーや駅構内などでの開催。阪急や阪神では百貨店独自の開催。を含めると
  10~20倍の市場規模と推定。






  同振興会が主催する物産展での売り上げ1位の会場は、鹿児島県にある山形屋が14年連続1位。(阪急などの独自開催は含まないデータ)
  山形屋では1964年から北海道物産展を開催しているそうです。GWと11月に開催し、2013年は20日間開催し
  9億8200万円を売り上げました。
  人気の秘密は、地元TVも紹介や「北海道から来られたお店の方と触れ合う事で旅行気分が味わえるから」だそうです。

  逆に北海道で人気の物産展は、大都市で人気のスイーツやパン。特にTVや雑誌で紹介されている店が人気だそうです。

  【石狩鍋】いしかり‐なべ
   鍋料理の一種。鮭を主材料として、野菜・豆腐・こんにゃくなどとともに、昆布の出し汁・味噌などで味付けして煮こんだもの。
   北海道西部 石狩地方の郷土料理。


  HBC北海道放送 『NEWS1シリーズ企画 「ふるさとの味」』  http://www.hbc.co.jp/tv/news1/furusato/index.html
  TBS あさチャン! 『あさトク 「地域で愛されるパン」』 17.11.09 放送

   1976年発売した北海道の銘菓『白い恋人』は大ヒットし、現在も全国お土産品の売上ランキング2位。
  それにあやかって、埼玉県と鳥取県を除く日本各地で『○○の恋人』という菓子が作られているそうです。






  札幌市の「どんぐり」というベーカリーチェーンで人気の「ちくわパン」は1983年に常連客のリクエストから誕生。
  竹輪の中にツナが入っておりマヨネーズ味。2017年現在1コ151円(税込)。
  札幌市ではカマボコをパン生地で巻いて揚げたパンロールなども販売されています。かま栄えパンロール1コ216円。






  Wiki バナナ饅頭
  バナナ饅頭(バナナまんじゅう)は、北海道池田町の銘菓。バナナを模した形状と風味が好まれ、100年以上の歴史を持つ。
   類似商品は全国に存在しているが、1905年に作られた北海道池田町米倉商店のものが元祖と言われている

  旭川では約60年前からバナナ焼きが売られており、バナナに模して焼いた小麦の生地の中に餡や白餡が入っている
  そうです。

  HBC北海道放送 『NEWS1シリーズ企画 「ふるさとの味 第23回 市民に60年以上親しまれている「バナナ焼」(旭川市)」』
   http://www.hbc.co.jp/tv/news1/furusato/23.html







  NHK Eテレ 美の壺・撰 『函館』 13.08.11 放送
  毎日放送 ちちんぷいぷい 『歌碑ものがたり 「酒は涙か溜息か」』 15.08.14 放送

  【函館】はこだて (古くは「箱館」と書いた)
   北海道渡島おしま半島の東南部に位置する市。港湾都市。渡島支庁所在地。もと江戸幕府の奉行所所在地。
   安政の仮条約により開港。1988年まで青函連絡船による北海道の玄関口。五稜郭・トラピスチヌ修道院がある。
   人口29万4千。

  Wiki 函館市
  室町時代の1454年(享徳3年)、津軽の豪族河野政通が宇須岸(ウスケシ、アイヌ語で「湾の端」という意味)に館を
   築き、形が箱に似ていることから「箱館」と呼ばれるようになった。
   1869年(明治2年)に蝦夷地が北海道となり箱館も「函館」と改称された

  元々島だった函館山は長い年月をかけて土砂が堆積し北海道と繋がったので、独特の地形になりました。
  深くえぐれた函箱湾は港に適していました。1802年2月に蝦夷地を管轄する蝦夷奉行 (5月に箱館奉行へ改称) が
  置かれました。
  1807年に松前藩が転封になり、奉行所は箱館から松前へ移転し松前奉行に改称。1822年に廃止。

  幕末の開港と共に箱館は急速に発展します。明治初期には隙間がないくらい家が密集して建てられました。
  海からの浜風が常に吹く土地だった為、小さな火事が大きな火災へと発展する事がしばしば。

  函館独特の和洋折衷家は、明治初期に函館で生まれ北海道各地に広まりました。
  1Fの和風建築は商店として使われおり、間口を広く使える引き戸の和風の方が商売に適していました。
  2Fの洋風建築の外観は当時の流行や先端を取り入れている事を商売上でアピールする為のようです。
  但し、2Fの内部も畳敷きの完全和風スタイル。

  火事を防ぐ為に真っ直ぐで幅の広い道路を設置する都市改造計画に着手。明治12年に都市改造計画の骨子が完成。
  ロシア領ウラジオストク港を街造りを視察し参考にした事が書かれてあるので、洋風外観は函館独自の景観を作る為、
  計画的に採用されたとも言われています。

  明治20年~22年頃には、現在の函館の景観を象徴する広くい直線の坂道と区画整理がなされた街の写真が撮られて
  います。
  坂の下から街を見上げると、1Fは重なり合って見えず2Fばかりが見えるので、洋風な街の印象を与えました。

  明治40年の火災で消失した(旧) 函館区公会堂は、旧市民の寄付で、かつて奉行所や箱館県庁が置かれていた基坂の
  頂に移転再建されました。その洋風建築は重要文化財に指定されています。

1868年 箱館真景

明治初期 和洋折衷家

明治22年

昭和初期


  昭和初期は日本各地で芸者が最も多くいた時代、昭和6年に大ヒットした『酒は涙か溜息か』は、作詞者の高橋掬太郎が
  愛した函館の町、芸者の心情を描かれていたものだそうです。歌碑は宝来町にあります。

  昭和初期の宝来町の銀座通りはカフェーや、芸者がいる見番けんばんと呼ばれた店がズラッと立ち並び、市電も走る
  花街として繁栄。現在は芸者が居る店は一軒もありません。

  【検番・見番】けん‐ばん
   ① 見張番。狂言、蜘盗人「太郎冠者を―に申し付けて置いた」
   ② 芸者屋の取締りをする所。また、芸妓の取次ぎや玉代ぎょくだいの精算などをする所。花柳病の検査も管理した。
   ③ 検番芸者の略。

  【検番芸者】けんばん‐げいしゃ … 江戸時代、新吉原で検番に属する芸妓。検番。






  読売テレビ かんさい情報ネットten. 『特集 北海道1日2500食を販売 鶏じゃない!? 美味やきとり弁当』 15.11.11 放送
  朝日放送 キャスト 『鶏肉じゃないのに「やきとり」なの なんでやねん!?』 19.09.23 放送

  ≪ 函館やきとり弁当と室蘭やきとり ≫  焼き鶏なのに豚肉

  北海道南部の函館や室蘭では豚肉の串焼きを「やきとり」と呼んでいます。
  函館ではハセガワストアというチェーン店で1日2500食を売り上げる豚肉を使用した人気のやきとり弁当。
  室蘭ではネギマは長ネギではなくタマネギを使用しており、洋カラシを付けて食べるのが一般的なようです。

  1万人当たりのやきとり店の数の多さでは、1位が福岡県久留米市 7.46軒、2位が埼玉県東松山市 7.20軒、
  3位が北海道室蘭市 6.33軒。日本三大やきとり消費街は全て豚肉を使用しているという驚愕の事実。

  久留米市は豚の腸の白モツ (近くに病院が多かった事から医学用語のドイツ語で「ダルム」と呼んでいるそうです)。
  東松山市は豚の頬の「カシラ肉」と呼ばれる部分をやきとりにして味噌ダレで食べています。






  全国やきとり連絡協議会の土井中照さんによると、明治時代は鶏肉の方が牛肉や豚肉より高かった事が原因で、
  豚肉を代用として使った事からのようです。 明治20年頃1㎏当り 鶏肉25銭、牛肉7銭。

  明治・大正時代は鶏肉が最も高価だった 豚肉なのに「焼き鳥」の謎、昭和前期は東京でも人気。ホルモン
  ハセガワストア 『焼鳥なのに豚!? 「やきとり弁当誕生秘話~こうしてやき弁は生まれた』 http://www.hasesuto.co.jp/yakiben-banasi.html


  【松前漬】まつまえ-づけ … 松前名産の昆布とスルメの他、数の子・人参などを調味醤油に漬けた食品。

  国立国会図書館デジタルコレクション 『日本山海名物図会 5巻』
  コトバンク 『日本山海名物図会』
  1754 (宝暦4) 年、平瀬徹斎 (大坂の人) 編著。長谷川光信 (大坂の人) 画の『日本山海名物図会』全5巻は、日本各地の
  名物を描いた絵本。巻の四には松前昆布の採取や天日干ししている様子など描かれています。






  Wiki 烏賊飯
  烏賊飯(いかめし)は、イカの中に米を入れて炊き上げた日本の料理。北海道渡島地方の郷土料理
  生のイカに米やジャガイモを詰め込んで醤油味で煮込んだ料理は北海道日本海沿岸に古くから存在する料理で、大正、
  昭和初期の松前町焼尻島など、各地で食されていた。


  ≪ 道南や東北で端午の節句に食べられる「べこ餅」 ≫ 各地のくじら餅

  【べこ餅】べこ‐もち
   米粉に砂糖を加えた生地を蒸したもの。元は牛(べこ)が臥した姿に作ったのでいう。端午の節句に食べる。
   北海道・青森県の郷土料理。

  北海道人 『北のお菓子たち 「べこ餅」』 http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200405/special_01.html
  下北ではこのカマボコ型べこもちを、「くじらもち」とよぶ場合がある。
   最近は「べこもち」ということが多いが、かつては「くじらもち」のほうが一般的だったという。
   つまり、下北では「べこもち」と「くじらもち」は全く同じお菓子(=カマボコ型の下北式べこもち)を指すけれど、しだいに
   「くじらもち」の名前はすたれて、「べこもち」の地域が増えてきた。
   一方、北海道の函館や松前などの道南や、羽幌などの日本海沿岸にも、下北式べこもちと同様のお菓子があり、
   今もそれを「くじらもち」とよぶことが多い。模様は下北の伝統的な「うずまき」か「たばね」がほとんどだ。
   おそらく、かつて下北で「くじらもち」が一般的だった時代に、それが海を越えて北海道に伝播し、古い名前のまま
   根づいたのではないだろうか。
   北海道式のべこもちが「新べこもち」であり、北海道でいう「くじらもち」は、下北式べこもち=「くじらもち」なのだ。
   たいへんにややこしいけれど面白い。

  上記のサイトでの結論として、木型に入れてつくる「かたこ餅」と「くじら餅」が合わさって、北海道の「べこ餅」なったと
  推測されています。

  宮崎県では「鯨ようかん」が端午の節句などの時に食べられるそうです。


  テレビ東京 人気急上昇ウオッチ 今ご当地でコレが人気SP 『2014年上半期 YAHOO! 検索 「兵庫県の人気急上昇ワード』 14.08.15 放送

  ≪ 北海道のホテルは、朝食が美味しい ≫

  世界最大の旅行口コミサイトであるトリップアドバイザーの旅行者のオススメ 『朝食のおいしい
  ホテル』で2013年、2014年と2年連続で1位を獲得したのは兵庫県神戸市にある1泊8000円~
  のビジネスホテル『ホテルピエナ神戸』ですが、
  ランキング20以内には下記の北海道のホテルがランクイン

  2位 ラビスタ函館ベイ、 3位 ホテル京阪 札幌、 5位 函館国際ホテル、
  11位 JRタワーホテル日航 札幌、 12位 札幌グランドホテル


   「北海道」の名付け親 松浦武四郎   『日本のウイスキーの父』 ニッカウヰスキーの創業者 竹鶴政孝 と 英国人妻 リタ
  ニッカの竹鶴が作った スキージャンプのメダルリストを多く生み出した余市のジャンプ台
  1879年 北海道に甜菜糖工場を建設  1904年 北海道でチーズの製造
 
 東北の和菓子
  NHK Eテレ 美の壺・選 『東北の和菓子』 13.08.04 再放送
  NHK Eテレ 知恵泉 『トップは発想せよ ! 「伊達正宗」』 前編 14.04.01 放送 / 後編 14.04.08 放送
  読売テレビ 秘密のケンミンSHOW 『県民熱愛グルメ 「宮城県ずんだ」』 14.09.04 放送

  餅の原型「しとぎ」 餅の神様を祀る小野神社、豊前・豊後の名の由来、伏見稲荷大社縁起など

  【東北】 (古くはトウボク) 奥羽地方。福島・宮城・岩手・青森・山形・秋田6県の総称。東北地方。

  長い冬、雪に閉ざされた東北地方は春を喜ぶ心が一際強く、自然の恵に感謝し、それが和菓子に強く表れているそうです。
  昭和初期頃まで、何度も飢饉に襲われ、江戸時代後期に7年も続いた天保の飢饉では多くの人が飢えて命を落としました。

  1833 (天保4) 年、東北では食べられる草木を図解した備荒草木図びこう-そうもく-ず (建部清菴 編、:仙台藩の支藩で、現在の
  岩手県にあたる陸奥国磐井郡の一関藩士で狩野派の画家である北郷子明らが絵) が書かれました。

   ※ 備荒 (救荒) 作物
     あらかじめ凶荒・災厄に対する準備をしておく作物で、稲が凶作の時にも、生育して収穫し得る作物。
     気候不順に強い稗ひえ ・蕎麦・甘藷・馬鈴薯など。







  ≪ 素材のままの野趣あふれる素朴な東北菓子 ≫

  昭和の中頃になり、東北各地も豊かになり始めると共に、素朴な和菓子は姿を消し始めます。
  昭和30年代、宮城県仙台市にある老舗和菓子店の主人 石橋幸作 (1900~1977年) さんが、そんな東北各地の
  和菓子を残そうと各地を歩き情報を集めて再現しました。






  山形県 鶴岡市には民田 みんでん 茄子を砂糖水で煮て、姿のまま乾燥させた菓子。
  青森県にはリンゴを乾燥させ、粉砂糖を振った菓子。






  宮城県の仙台藩の地域には、糒 ほしいい (乾燥して貯えておく飯)を黄な粉で包んだお菓子。
  東北各地で作られていた、水あめを煮て大量の黒ゴマを加えカットし、軽くひねりを加えた形状の『ごまねじり』などの
  素朴な菓子たち。

  【蕗砂糖漬け】ふきさとうづけ 百菓辞典
   秋田名物の野菜菓子。
   フキの茎を縦2つ割りにし、ゆでて筋と皮を取り除き、再度煮込み、砂糖に漬けて1年間保存したもの。


  ≪ 鮮烈な色彩の山形県の雛菓子 ≫    江戸時代の海上物流 北前船  日本の伝統行事 雛祭り

  山形県 鶴岡市では3月から約1ヶ月もの間 雛祭りを祝います。
  下の右端の画像は『くじら餅』というそうで、炒ったもち米を着色して菓子の彩りに。






  江戸時代、北前船の航路であった庄内地方 (中心地は酒田市・鶴岡市) は交易で潤い、雛祭りを盛大に祝う風習があり
  現在でも続いています。関西文化が伝わり、丸餅の雑煮を食べる所が多いそうです。

  【鶴岡】つるおか
   山形県北西部、庄内平野の中心の市。もと酒井氏14万石の城下町。羽二重などの絹織物、第二次大戦後は農機具・
   清酒などの生産が盛ん。人口14万2千。旧称、荘内。古名、つるがおか。

  【酒田】さかた
   山形県北西部、最上川の河口に位置する市。
   江戸時代、北国廻船と最上川舟運とが結びついて庄内米を積み出した日本有数の港町。人口11万8千。

  雛菓子には、京菓子の技法 『練り切り』を用い、白あんとピンクに着色した白あんを混ぜ合わせて仄かな色合いの
  菓子を作ります。

  そして山形特産の紅花などの色素で強烈な鮮やかさ付け、仕上げに寒天を塗り、色の深みと艶を出します。
  昔から、(冬の白い雪景色と正反対のものとして) より鮮やかな彩りの方が好まれたそうです。






  【練切・煉切】ねり‐きり
   練切餡の略。漉餡こしあんに、求肥ぎゅうひまたは蒸して裏漉うらごししたヤマノイモまたは微塵粉みじんこなどを加えて、
   練り上げたもの。練切餡を着色して、餡玉あんだまを包み、さまざまな形に加工した生菓子。

  ※ 向かって左側に雄雛を配置する雛人形の並びは、昭和初期に西洋式の並びが普及したものだそうです。
    ひな祭 起源は平安時代、庶民に広まったのは江戸時代。  雛あられ 東日本人は本当の雛あられを食べた事がない?


  画像 NHK Eテレ グレーテルのかまど 『東村アキコの鯨ようかん』 18.09.10 放送

  ≪ 各地に残る鯨もち ≫

  別府大学短期大学部紀要 1994年 『南蛮料理書についての一考察』 江後迪子 著
   http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/tk01302.pdf?file_id=4199
  江戸時代初期に刊されたと推測されている『南蛮料理書(著者、成立年不明)』には菓子類33種・料理11種類・
  その他2種の計45種が紹介されており、「たまごそうめん」「ひりょうす」などとともに「くしらもち」の記述があるようです。
  「くしらもち」は、米・もち米・葛・黒砂糖を蒸して、小豆餡を入れた事が書かれているようです。

  北海道人 『北のお菓子たち 「べこ餅」と「くじら餅」』  http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200405/special_04.html
   上記サイトによると、
  くじら餅は、江戸時代に中国から長崎にもたらされ全国各地で作られました。1716 (享保3) 年の『古今名物御前菓子
  秘伝抄』に「くしらもち」として作り方が載っており、北前船の船着き場だった酒田港や鯵ケ沢に上方から伝わった
  ようです。

  【古今名物御前菓子秘伝抄】ここんめいぶつごぜんがしひでんしょう 著者不明。京都京極五条橋書林梅村水玉堂 刊
   1718 (享保3) 年刊の菓子専門書。菓子のみを専門に扱った料理書としては本書がもっとも古い
   「あるへいとうの方」から「白飴の方」まで一〇五項目にわたって菓子の作り方が記されている。

  ライター斎藤博之の仕事 鯨餅~北前船が運んだ食の文化(1) 07.01.03 配信 http://hsaitoh.jugem.jp/?eid=27
   青森県や山形県に伝わる郷土の菓子「くじらもち」。じつはこの「くじらもち」、れっきとした京菓子なのである。
   「くじらもち」は北前船で伝わった食の文化のひとつなのだ。鰺ヶ沢(青森県)では「鯨餅」と書き、山形県では「久
   良餅」、浅虫(青森県)では「久慈良餅」の字を充てる。山形や青森では、よく知られた、郷土のお菓子であろう。
   この「くじらもち」を売る店が、鰺ヶ沢に2軒、浅虫に4軒、青森に1軒と、青森県だけでも8軒はある。じつはこの
   「くじらもち」、れっきとした京菓子なのである。(中略)
   これが江戸時代の京の「鯨餅」で、うるち米の上白粉・氷砂糖の粉・餡・葛粉で出来ていた。こんにちの「くじらもち」
   とは少し様子が違うようで、ようするに白と黒の二層になった棹物である。その断面を見れば、黒い皮の下に白く
   厚い脂肪のある鯨の皮の断面に良く似ていた。「鯨餅」という名前の謂れは、その形状にあった。(中略)
   田舎の菓子だと思っていたものが、上品な味わいにも感じられる。文献に見る「鯨餅」とは少しずつ形を変えながら
   伝わってきた。その土地に根付き、その土地の味わいを加えた。鄙びていながらも雅である。洗練されていながら、
   風土を感じさせる。「くじらもち」は、そういうお菓子なのだ。(毎日新聞 青森版2006年12月連載に加筆訂正したものだそうです。)

  【くじらもち】 百菓辞典
   山形県新庄地方の名物餅。米の粉に黒砂糖を入れて蒸した菓子。白米粉に氷砂糖の粉を混ぜたものの上に、
   黒あんの屑をのせて蒸す製法もある。色が似ていることからこの名がある。
   また、江戸時代 最上地方などで、携帯保存食として食べられ、「しくち歩いても」の意から、
   「久持良くじら」とも呼ばれる。

大阪天満宮の御供鯨餅

大阪の関東煮のコロ

石川県金沢の鯨餅
山形県のくじら餅

  大阪は天神祭天満宮に供えてい.るもので、現在は大阪も京都も一般の菓子店では売っていないようです。
  大阪で近年までよく食されてきた鯨の皮の部分 (コロ) を模したように見えます。煮る前は白いです。

山形県新庄の久持良餅

宮城県佐土原の鯨ようかん

宮城県佐土原の鯨ようかん
宮城県佐土原の鯨のぼり

  山形の久持良持は保存食としても使えるように進化したもののようです。
  宮崎県の鯨ようかんは、1676年に島津日向佐土原藩の4代目島津忠高が26才で他界し、跡継ぎである幼い万吉丸が
  「鯨のように逞しく育つように」と母である松寿院が作らせた事からのようです。2頭の鯨の姿を模したものとも。

  公益社団法人 宮崎市観光協会 http://www.miyazaki-city.tourism.or.jp/gourmet/10.html   宮城県の鯨ようかん


 1668 (寛文8) 年の『料理塩梅集りょうりあんばいしゅう』塩見坂梅庵 著は、内容などから大坂で書かれた物と思われます。
  「
  くぢら餅仕様 一上白五合 もち米五合 上白二色合 水にてあらひ きれひ成いなばきに入 おもせをかけ
  かわらき候時分あけ こまかに引申候
  一こねやう しろきは水にてこねて さとうを入 黄はくちなしか べにのきかにて こね申候
  一あんには あづきを いかにも よくにてくだき さうけにてこし 水を布の袋に入 しぼり袋にたまりたるを さとうなべ
  すみくずの粉 米の粉あわせて こね申候
  一むしやう 下に白き一ぺん 次にきを一ぺん 上にあんを一ぺん置 むす也

  千葉大学 教育学部 研究紀要 第25巻 第2部 『古典料理の研究 (二) 料理塩梅集について』
   http://ci.nii.ac.jp/els/contents110004715150.pdf?id=ART0007458558


 1746年成立の『黒白精味集こくびゃくせいみしゅう』 (編者は江戸川散人 孤松庵養五郎) 見聞きしたものを集めた書。

  中巻 七「菓子」には
  鯨餅 餅米六合 うる米の粉四合 はたき粉にして 水にて さわさわと こねて 厚さ四分斗にのして はば二寸斗り程
  づづに たち切 扨 上に やうかんをこしらへ 厚さ二三分程に のし付 せいろうにてむし 小口切にして出す

  千葉大学 教育学部 研究紀要 古典料理の研究 黒白精味集
   上巻 http://ci.nii.ac.jp/els/contents110004715357.pdf?id=ART0007458868
   中・下巻 http://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900025176/KJ00004299489.pdf



  ≪ 東北の餅・米菓子 ≫

  東北各地には、新米で餅をつき、ミズキの枝に餅をくくりつけ、来年の豊作を祈願する風習が残っているそうです。
  『餅花』といい、餅を稲穂に見立てたもの。奈良一部の地域などにも風習が残っているようです。






  【餅花】もち-ばな 百菓辞典
   小正月(1月15日)の飾り物。わらや木の枝に餅や団子を刺して、イネの花のように作ったもの。神棚や家の内外に飾る。
   まゆ玉と同じで、秋の豊かな収穫を祈るためのもの。農業の豊作祈願。

  【繭玉】まゆ-だま 百菓辞典
   小正月(1月15日)の飾り物。餅花と同じで、養蚕が盛んになるにしたがって、まゆの豊作祈願としてまゆの形に作り、
   餅花と一緒に飾ったもの。また、地域によっては、全てまゆ形に作るところもある。

  【凍り餅・氷餅】こおり-もち … 寒中にさらして凍らせた餅。多く、信州・東北地方で作る。

  関西製菓製パン厨房機器協同組合 煎餅物語 ~ 煎餅の由来と変遷 http://kansai-seikaseipan.org/senbei.htm
   南部煎餅と紅蓮煎餅の由来は上記サイトを参照してください。


  ≪ ずんだ、づんだ、じんだ、ぬた、じんたん 餅 ≫

  観光客で賑わう岩手県 一関市の店では、仙台の伊達正宗が好んだといわれる枝豆を使用した『ずんだ餅』など
  東北で食べられてきた代表的な8種類の餅が味わえる御膳が人だそうです。

  現在は真っ白な餅ですが、昔はできるだけ白い餅は神様への供物とし、庶民はくず米や青米を粉にし雑穀を混ぜた
  色の悪い『しいな餅』を食べるのが普通だったそうです。

  【粃・秕 】 しいな … 殻ばかりで実のない籾もみ。また、果実の実らないで しなびたもの。

  仙台郷土研究会の吉岡一男 会長によると

  江戸時代中期の伊達家料理集に「青大豆ちんたを…」をという記述があり、少なくとも
   1733年以前から枝豆を潰した「ずんだ」が食べられおり、かつて仙台藩の領地であった
   地域には、岩手県「ずんだ」、福島県「じんだ」、山形県北部「ぬた」、山形県南部
   「じんたん」として残っています。

   庶民に広く食べられるようになったのは、砂糖が入手できるようになった幕末から
   明治頃と考えられます。
   お盆の枝豆収穫時期になると、すり鉢で擦ったりして、最高の食べ物であった餅と
   混ぜる事によって、ご先祖供養としてつくられたのが始まりではないかと思われます。







  「ずんだ」の語源については諸説あり、固い枝豆は打つくらいの力ですり潰さないといけないので、この
  動作から「豆打ずだ」が訛った「ずんだ」となった。 
  また、伊達正宗が出陣の際に陣太刀じんだちという刀で豆を砕いて食べていた事からという説もあります。






  秋田県 湯沢市には『犬っこ』という米でつくった菓子を飾る風習があります。
  江戸時代初期、この辺りには家々を荒らしまわる盗賊がいました。米の霊力にすがり、盗賊の侵入を防ぐため
  番犬 (秋田犬) を型どったのが始まりとされているようです。

  昔は各家庭で作っていましたが、現在では作れる人は3人だけ。
  緑は家内安全、赤は魔除けの意味合いがあり、正月になると飾るそうです。

  【伊達政宗】 だて‐まさむね (1567~1636)
   安土桃山・江戸初期の武将。輝宗の子。独眼竜と称。父の跡を継ぎ覇を奥羽にとなえたが、
   1590年(天正18)豊臣秀吉に服属。
   のちに徳川方につき 関ヶ原の戦および大坂の陣に功をたて仙台62万石を領した。
   また、その臣 支倉はせくら常長を海外に派遣。

  仙台味噌と宮城県の製塩事業の始まり  仙台駄菓子、 江戸の米市場の1/3を仙台藩の米が占めていた事もあった。


  ≪ 東日本大震災 市民から役所に寄せられた義援金総額 ≫

   ・大阪市(人口 267万人) 義援金総額 10億2902万円  市民1人あたり義援金額 385円
   ・東京都(人口1318万人) 義援金総額  8億7395万円  市民1人あたり義援金額  66円 というデータがあるようです。

  http://www.city.osaka.lg.jp/kikikanrishitsu/page/0000116591.html   どちらも現在リンク切れ
  http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/joho/soshiki/shidou/shidou/oshirase/gienkin3/

  東北では関西が嫌いな人が多いようですが、歴史をよく勉強してみましょう。
  関東より関西に政権があった時の方が東北は豊かだったはず。

  また北前船で大坂などと交易があった地域は江戸時代も栄えていました。
  江戸時代は大坂商人マネーで日本は廻っていましたが、幕末に借金を返済しない藩が多かったので、多くの大阪の
  商店は倒産に追い込まれています。借金返済しなかったのは東北諸藩にも多い。

  日本人の名字のルーツ 小野、あべ、高橋、わたなべ、鈴木、佐々木、○藤 難読名字 など。 何故 東北に安陪さんが多いのか?
  有明海の海苔 日本で海苔の大量養殖生産が始まったのは昭和中期
  大阪府富田林市で栽培されている岩手県大槌町の「奇跡の復興米」 熊本益城町へ


  ≪ 北海道や東北・北陸も北前船によって発展 ≫    江戸時代の海上物流 北前船

  江戸時代中期、北前船の瀬戸内海での積荷は色々とありますが、塩が最も主要品でした。
  この瀬戸内海の塩が大量に供給されるようになって、特に北陸や東北の日本海側で塩蔵品が発達する事になります。

  【奥羽廻船】おうう‐かいせん 東廻り
   東北地方の日本海沿岸より北上し、津軽海峡を経由して太平洋岸を南下し、銚子 (千葉県
   東端の市。利根川河口の南岸)に至る海路を通った廻船。銚子から江戸までは積荷は
   川舟で運ばれた。
   寛永(1624~1644)年中から仙台藩が蔵米の江戸回漕を行なっていたが、寛文(1661~
   1673)年中、河村瑞賢が幕府米回漕に成功してから東北諸藩が盛んに利用した。

  【奥羽廻船】 西廻り
   東北・北陸の諸港から日本海・下関海峡・瀬戸内海を廻って大坂にいたる海路を通った廻船。
   1638年(寛永15)鳥取藩・加賀藩がこの海路で船を大坂に送って以来次第に開け、

   1672年(寛文12)河村瑞賢ずいけん (伊勢の人、1618~1699。材木商・土木家で安治川・淀川・阿武隈川の治水工事、
   また東回り・西回り航路を確立) が海路に改良を加えてから盛んとなった。


  朝日放送 キャスト 『なんでやねん!? 「七草粥が地域によって違うの なんでやねん!?」』 19.01.07 放送

  ≪ 東北の変わった七草粥 ≫ 七草粥 七草粥の由来、鹿児島の変わった七草粥

  1月7日に食べる七草粥。平安時代の光孝天皇(在位884~887)・宇多天皇(在位887~897)頃に芹を粥に入れて食べる
  事が始まったと言われており、これに中国の風習などが混ざって現在の春の七草を入れる七草粥の風習ができ上がった
  ようです。庶民に広まったのは江戸時代と考えられています。
  新潟県・越後長岡藩の江戸時代の農村の記録(1800年以降か?)によると、関東では七草粥の風習は稀だと書かれて
  あるので、北前船によって日本海側の北陸や東北の方が関東より早くに伝わったようです。

七草粥のルーツ

青森県 津軽地方

岩手県 宮古地方

山形県


  朝日放送の番組調べによると、関西とほぼ同じ七草粥(地域によって七草は変わる)を食べる風習は東北全体に広まって
  いるようですが、一部の地域において上の画像のような変わった七草粥が食べられています。
  青森県の津軽地方では「けの汁」が七草粥として残っており、米も春の七草が一つも入っていない物。根菜など7種類の具。
  岩手県の宮古地方では「くるみ雑煮」を山形県では「納豆汁」を七草粥の日にも七草粥の代わりとして食べるそうです。

  鹿児島県では「七草ずし」という物を食べるそうです。「ずし」とは鹿児島県の方言で「雑炊」の事ですが、近年では雑炊
  ではなく「寿司(散し寿司・ばら寿司)」にこしらえたりする家庭もあるようです。
 
 青森県
  NHK あさイチ 『妄想ニホン料理・国内編 婚活料理の巻』 13.12.12 放送
  日本テレビ 月曜から夜ふかし 14.04.14 / 14.08.25 放送など

  【青森県】 東北地方北部の県。陸奥国の大部分を管轄。面積9606平方キロメートル。人口143万7千。全10市。

   県庁所在地の青森市は、津軽藩の外港として発展。東北本線・奥羽本線・津軽線の結節点。
   ねぶた祭は東北三大祭の一つとして有名。産業は食品・製材等の諸工業。人口31万2千。

  1935 (昭和10) 年の国勢調査では青森市の人口は93414人ですが、人口密度では全国9位で東北だけだと1位。
  同年の神戸市が912179人で人口密度4位なので、神戸市の1/10のほぼ規模です。






  津軽地方

  【津軽半島】つがる‐はんとう
   青森県北西部に突出する半島。下北半島と相対して
   陸奥湾を囲む。
   西側は日本海に面し、北端竜飛たっぴ崎は津軽海峡
   を隔てて北海道の白神岬に対する。
   長さ約52㎞。幅約28㎞。

   【弘前】ひろさき
   青森県の南西部、津軽平野の中心都市。リンゴ・米
   などを集散し、津軽塗・あけび細工を特産。
   もと津軽氏10万石の城下町。
   ねぷた祭は有名。人口18万9千。

  【津軽じょんから節】
   津軽地方の民謡。リズミカルな酒盛り唄。
   新潟地方の「新保広大寺しんぼこうだいじ
   「越後口説くどき」の系統をひき、津軽三味線とともに
   発展。「じょんから」は「ちょんがれ」と同じ意ともいう。
  南部地方

 【下北半島】しもきた‐はんとう  斗南となみ半島
  青森県北東部にあり、北に斧状に突出する半島。
  西側に陸奥湾を抱き、北部に恐山がある。

 【八戸】はちのへ
  青森県南東部の市。もと南部氏の城下町。
  三陸北端の重要な漁港。
  硫安・セメントなどの工業も盛ん。盛岡市に対して
  小南部の称がある。人口24万5千。

 【南部】なんぶ
  南部氏の旧領地の通称。青森・岩手・秋田3県に
  またがる。特に、岩手県の盛岡をいう。

 【南部氏】
  姓氏の一つ。陸奥の豪族、外様大名。

  ※ 青森といえば大間マグロが有名ですが、高値がつく東京や大阪など大都市に出荷される為、
    地元ではほとんど販売されておらず、マグロ漁師でも食べる事は滅多にないそうです。
    一般のスーパーに並ぶのは、他県と同様に太平洋などで獲れたマグロが普通。


  中部放送 健民+県民ニッポン健康井戸端会議 『濃い味大好き青森県民 短命日本一を考える!』 17.01.02 放送

  ≪ 平均寿命が短くガン死亡率が高い青森の食生活 ≫

  炭酸飲料水とインスタントラーメン購入額全国1位。飲酒量1位、喫煙率2位、濃い味大好きなどで短命全国1位の
  青森県民と東京都民の塩分味覚チェックをTBS系の名古屋本社のテレビ局が実験調査。
  塩分味覚チェック 東京VS青森 真水と食塩水が分からない人の割合、青森の衝撃的な結果

  青森県では、ダシを使って味覚を満足させ減塩になげる『だし活』という運動を始めたそうです。






  塩の消費量2008年 http://todo-ran.com/t/kiji/11731

  1位 青森、 2位 山形、 3位 秋田、 4位 長野、 5位 岩手、 6位 新潟、 7位 福井、 8位 島根、 9位 福島、10位 石川
  38位 静岡、 39位 東京、 40位 京都、 41位 神奈川、 42位 愛知、 43位 大阪、 44位 沖縄、 45位 三重、
  46位 兵庫、 47位 奈良

  東京や神奈川などは家計調査による塩消費量は少ないですが、中食・外食などの割合が多いので1日の食塩摂取量は
  多いです。東京の食塩摂取量は全国平均くらいですが、他の関東は平均より多く、東北などの雪国が塩分摂取量が高い。
  都道府県別1日の食塩摂取量など


  ≪ 五所川原市 特産のつくね芋 ≫

  青森県西部、津軽平野の中央部を占める市。津軽藩により多くの新田が開発された。米・リンゴの産地。人口6万2千。

  高級料亭や和菓子屋さんで使われる山芋の一種で粘り気が強いそうです。12月頃が最盛期。形が「つくね」に似ている
  事から。五所川原の「立佞武多の館」で、つくね芋も使った色んな商品が売られています。「ツクネイモ」の焼酎などもある
  そうです。






  【ねぶた、ねぷた】
   東北地方で行われる陰暦7月7日の行事。竹や木を使って紙貼りの武者人形・悪鬼・鳥獣などを作り、
   中に灯をともして屋台や車に載せて練り歩く。
   青森市(現在は8月2~7日)・弘前市(8月1~7日、「ねぷた」と称)で行われるのが特に有名。

  ねぷた祭り  2012 弘前ねぷた祭り ハイライト http://www.youtube.com/watch?v=ctHN1E6AtcA
  青森の魅力ブログ 『魅力No.1006 五所川原では今「つくね芋」がアツい!』 2010.12.03 配信
    http://aomori-miryoku.com/2010/12/03/ (URLは長いので、省略)
  立佞武多の館 HP http://www.tachineputa.jp/pavilion/   江戸時代の海上物流 北前船


  ≪ 下北半島の郷土料理 『けいらん』 元は400年以上前に日本に伝わった菓子 ≫

  南蛮菓子と和蘭陀菓子の系譜 中川清 著 http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17291/spffl058-05.pdf

  けいらん 『古今名物御前菓子秘伝抄』は、「けいらん」の製法を次のように説明している。
   「大唐糯米を粉にして湯でこね、小さく切って平たくし、中に白砂糖、あるいは黒砂糖を入れて包み、長さ一寸五分
   (4.5 ㎝)ほどのちまきの形にしてゆでる。浮き上がって来たら取り出して汁に入れるが、その汁は垂味噌(たれみそ)
   のものがよく合う。吸口は胡椒、山椒、どちらでもよい」。

   一方、『餅菓子即席 増補手製集』では、「一、うるし米の粉一升。一、もち米の粉二、三合」を原料に、
   「さとう少し入れてつつむ」。卵形に丸めて「うどんの中へ盛交(もりまぜ)て出すこともあり」。「又豆の粉にて
   茶菓子杯(など)に出すこともあり。是をきんとんといふ」。

   ところで、『日葡辞書』のQeiran の項に次の記述がある。
   「鶏の卵。また、食物の一種。米の粉で卵の格好に似せて作り、中に砂糖かjagraかを入れたもの」。
   jagraは粗糖だが、白砂糖あるいは黒砂糖を使用する『古今名物御前菓子秘伝抄』の製法に合致している。

   1580 年頃に作られた『日葡辞書』に「けいらん」が記載されているのは、それ以前に我が国に伝わっていた菓子
   と思われる。いわば南蛮菓子以前の存在だが、当時の数少ない菓子の一つとしてここに取り上げた。

  【古今名物御前菓子秘伝抄】ここんめいぶつごぜんがしひでんしょう 著者不明。京都京極五条橋書林梅村水玉堂 刊
   1718 (享保3) 年刊の菓子専門書。菓子のみを専門に扱った料理書としては本書がもっとも古い
   「あるへいとうの方」から「白飴の方」まで一〇五項目にわたって菓子の作り方が記されている。

  【餅菓子手製集】もちがしそくせきしゅせいしゅう  十返舎一九編。
   1813(文化10)年刊。餅、饅頭、羊羹、飴など75種の江戸風製菓法を記述する。

  ※ 昭和初期頃、小豆相場の高騰で入手しにくい時期があり、小豆は「赤いダイヤ」と呼ばれていたようです。

  Wiki けいらん

 北東北の郷土料理。餡を包んだ餅が入った物で、餅の外見が鶏卵に似ていることから
  この名が付いた。秋の収穫祝いや結婚式、日常の夜食、来客向け、法事の際の精進
  料理など、様々な場面で供されている。


  北前船 (上方) と一緒に伝来した精進料理が根付いたもので、分布は旧南部藩領にあたる青森の下北地方・
  県南地方・岩手県県北・秋田県北一部。米の取れない時代においては祝い品として重宝され、現代では南部藩の
  本拠地だった青森県南部地方に広く残っている。

  近年は作り手が減少しており、2008年のむつ市の小学生における調査では、けいらんを食べたことのある児童の
  割合は半数以下だったという。 けいらんは時代が移るにつれて本体のみによる まんじゅう菓子、古い形態である
  汁物と二通りに分かれている。






  一晩水に浸けたもち米を粉にして練り、その中に餡子を入れ卵形に丸めます。これを蒸してアツアツを冷たいダシ汁で頂く。
  「温かい」と「冷たい」。「甘い」と「しょっぱい」の組み合わせだそうです。


  【料理物語】
   料理書。著者未詳。1冊。1643年(寛永20)刊。  ※ 作者は未詳ですが、大坂人が書いたと思われます。
   魚・鳥・野菜などの料理の材料76種の名称と、それに適する料理を列記し、料理法を略述。
   有職故実の記述ではなく、庶民の日常食を記す。

  1915 (大正4) 年刊の『雑芸叢書』は、江戸時代の19の専門書が1つの本として集められて出版されています。
  この中に収蔵されている『料理物語』は1665 (寛文4) 年の高橋清兵衛版で、元版より記述が追加された版より。


  日本最古の料理の専門書『料理物語』の「第十七 後段之部」には

  けいらん〕もち米六分、うるの米四分、よくこにして きぬにかけ いくたびも ふるひ、よきころに 水にてこね、
  中へ くろざたうをつゝみ、きんかんほどに丸めて候、汁はうどん同前、但米のかしやう、すこしの間 水につけ、
  やがて あげて おけに入、なみよくをし付てをきてよし、はやければ こあらく おもし、ひさしく つけ候へば粉ぬれて、
  とちあひ ふるひ候事ならず候

  〔けいらん〕糯米6割と粳米4割を細かい粉にして、絹の布で何度も振るう。丁度良い時間水に浸けて捏ねる。
  但し、米菓子のように、少しの時間水に浸けてから引き上げ桶に入れる。程よく押し付けておく方がよい。
  水に浸ける時間が短ければ粉が粗く重い、長く浸けていれば粉が濡れすぎて、くっ付き振るう事ができない。
  黒砂糖を中に包み込み、金柑くらいの大きさに丸める。汁は、前述した うどんと同じ。
   こんな感じに訳してみました。(誤訳御免)

  汁はうどん同前、〔けいらん〕の前に〔うどん〕の記述があり「…汁はにぬき、又たれみそよし、…」。
  〔けいらん〕の次の料理記述は〔きりむぎ〕、〔くずそうめん〕〔じょめん〕〔すいせん〕〔すいとん〕〔きんとん〕
  〔そばきり〕〔麦きり〕〔にぅめん〕〔すゝりだんご〕〔ざぅに〕。  『料理物語』の「第十七 後段之部」全原文
  そして「第十八 菓子之部」になります。

  きんとん〕くずのこを みそしるを はしらかし、さまし こねて、中へ けし さんせう などすり入、ひらりと まろめ候、
  是もみそ汁にて したてて候、猶くでん有

  〔金団〕葛の粉をざっと煮て、冷まして捏ね。その中にすり潰した芥子と山椒などを入れ軽く丸めます。
  是も、ざっと煮ただけで手軽に作った具の無い味噌汁で食べます。なお、これは口伝がある。

  ちなみに、金団と呼ばれるものは、栗きんとん、豆きんとん系=橘飩きっとんが語源の菓子以外にも数種あります。
  ここに載っている金団も、その内の一つ。

  「第十八 菓子之部」は〔玉子ぞうめん〕〔おこし米〕以外は餅類の記述。

  「第八 なまだれ だしの部」  1643年刊『料理物語』 「第八 なまだれ だしの部」の全文
  なまだれ〕は みそ一升に水三升入 もみ立、ふくろにて たれ候也
  たれみそ〕は みそ一升に水三升五合入せんじ 三升ほどになりたる時 ふくろに入 たれ申候也
  にぬき〕は なまだれに かつほを入、せんじ こしたる物也

  「第二十 萬聞書之部」には
  にぬき〕は みそ五合 水一升五合 かつほ二ふし入せんじ、ふくろに入、たれてくみ返し くみ返し、三べん こして
  よし、


  1689(元禄2)年の料理百科である『合類日用料理抄ごうるいにちようりょうりしょう』中川茂兵衛 著 出版地は京都。
  にも「けいらん」が見え、うどんや切麦、雑煮などと同じ分類。食事の〆としての一品と思われます。


  1746年成立の『黒白精味集こくびゃくせいみしゅう』 (編者は江戸川散人 孤松庵養五郎) 見聞きしたものを集めた書。

  中巻 七「菓子」には
  鶏卵 餅米の粉六合 うる米の粉四合 はたき粉にして 絹振ひにて ふるひ 水にて こね申候
  黒砂糖を入 丸め 湯煮して 椀に湯を入 浮かして甘汁にて出す

  千葉大学 教育学部 研究紀要 古典料理の研究 黒白精味集
   上巻 http://ci.nii.ac.jp/els/contents110004715357.pdf?id=ART0007458868
   中・下巻 http://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900025176/KJ00004299489.pdf



  関西製菓製パン厨房機器協同組合 煎餅物語 ~ 煎餅の由来と変遷 http://kansai-seikaseipan.org/senbei.htm
   南部煎餅と紅蓮煎餅の由来は上記サイトを参照してください。

  ≪ 煎餅汁 ≫






  【八戸煎餅】はちのへ-せんべい 百菓辞典
   青森県八戸名物の煎餅。小麦粉、塩味の大きな煎餅で、一面にゴマを散らす。「南部煎餅」とほぼ同じもの。
   土地の農民は、もとそば粉で作っていたが、後、小麦粉になった。
   商品として初めて売られたのは1830年の八戸藩の城下のようです。

  【南部煎餅】なんぶ-せんべい 百菓辞典
   南部 (江戸時代の南部氏の領地だったころの通称で、青森・岩手にあたる) 特産の堅い名物煎餅。
   特に岩手県盛岡周辺で多く作られる。円形で、フタ様の形をしており、焼き型からはみ出した部分が、薄く周囲に
   残っているのが特徴。元来、農家の片手間に作ったもの。
   塩を溶かした水に重曹を入れ、小麦粉を入れてよく練り、延ばして円形の型に入れて焼く。この時、ゴマ、のり、
   くるみ、落花生、抹茶など、いろいろなものを載せる。
   由来は、一説によると、長慶天皇が陸奥の国を行幸の折り (1370~1371年)、随行していた赤松氏が、農家から
   そば粉と胡麻を求めて、せんべい様に焼き上げ、夕食代わりに差しあげたところ、非常に喜び賞賛されたのが
   始まりであると伝えられている。
   南部砂鉄で煎餅の型を鋳造したの機に、江戸の影響で蕎麦粉から小麦粉に変えて作る様になったようです。

  【長慶天皇】ちょうけい-てんのう (1343~1394) 名は寛成ゆたなり。 後村上天皇の第1皇子。
   南北朝時代の南朝の天皇。皇弟の後亀山天皇に譲位。(在位1368~1383)。

  【赤松】あかまつ
   播磨 (兵庫県の南西部) の豪族。
   鎌倉時代佐用荘を本拠地として興り、南北朝時代以降同国守護。室町時代四職の一家。

  読売テレビ 大阪ほんわかテレビ 『日本全国47都道府県 地元で愛される美味しいおやつ博覧会』  14.07.20 放送
  読売テレビ 秘密のケンミンSHOW 『全国秘密のお祭りグルメ』 14.10.09 放送
  読売テレビ かんさい情報ネットten. 『狭い艦内で作られる美食 海上自衛隊の絶品めし』 15.04.01 放送
  関西テレビ NMBとまなぶくん 『スイーツの甘~い秘密』 17.02.02 放送
  読売テレビ 秘密のケンミンSHOW 『青森県民 熱愛グルメ バラ焼き 仰天の常識』 19.01.18 放送
  ミヤテレ 肉好き女子presents東北肉ざんまい 19.01.19 放送

  弘前のさくらまつりでなどで販売されているジャンボ煮こんにゃくは、醤油で煮込んだもの。







  ≪ バラ焼き ≫

  十和田市を中心として戦後から食べられているシンプルな家庭料理の「バラ焼き」。具は牛肉1に対しタマネギ4が基本で
  醤油ベースの甘辛タレをかけて鉄板で焼いたもの。すき焼きと同じく生卵を付ける場合もあります。
  スーパーでは十和田産のニクニクも使用した専用のタレも販売されています。
  すき焼きとも牛丼とも違う味だそうです。

  市内では焼き肉屋以外でもメニューとして置いている飲食店が多数あり、80軒以上で提供されています。
  会合があればバラ焼きが出され、小学校の給食でも出されるソウルフードとなっています。
  十和田市近隣の南部地方にも広まっているそうです。

  十和田バラ焼きゼミナールの代表 畑中宏之さんによると、戦後の三沢市の米軍基地周辺が発祥と言われております。
  米軍の方々は牛肉の赤味の部分をステーキとして食し、その他の部位バラ肉の部分が払下げで市中に安く出回った。
  当時、三沢市には朝鮮半島出身の人たちが多く住んでおりまして、プルコギなどをヒントに簡単にその頃手に入る
  タマネギを合わせて、安いバラ肉をより美味しく食べるために考え出されたのが、このバラ焼きの始まり。
  後に飲食店や家庭にも広まり、十和田市を中心とする南部地方でも食べられ続けている食文化として愛されております。






  【ひっつみ】
   小麦粉を水で練り、根菜や油揚げなどと煮た、すいとんに似た料理。東北地方北部の郷土料理。

  昭和7年創業の工藤パンが販売するイギリストーストは2016年で発売から50年目になるロングセラー商品。
  山型の食パンを使用した事から「イギリストースト」として命名、カットした食パンにマーガリンを塗りグラニュー糖を
  振り掛け挟んだもの。この店が最初かどうかは不明ですが、ほぼ同じ商品が全国的にあり、ヤマザキパンの物は
  大阪でもコンビニやスーパーでも普通に売られています。
  工藤パンが2017年12月1日にイギリストーストとの姉妹品として発売したピザソースを塗ったパン。
  その名前は「イギリスフレンチトーストピザ風」で、国歴不明のネーミングとして面白いので番組で取り上げられた
  ようです。

  現在、青森県では青森産を使ったアップルパイを推しているようです。


  青森産品情報サイト 青森のうまいものたち 『郷土料理ガイド』 http://www.umai-aomori.jp/cook/kyodoryori/kyodoryori.phtml
  ぐるたび 食文化と豆知識 『青森の食文化を探求する』 http://gurutabi.gnavi.co.jp/food_culture/area_aomori.html
 
 秋田県
  【秋田県】 
   東北地方北西部の県。羽後国の大部分、陸中の一部を管轄。面積1万1612平方㎞。人口114万6千。全13市。

  【秋田市】
   秋田県西部、日本海に面する市。県庁所在地。もと佐竹氏20万石の城下町。旧名、久保田。
   雄物川の下流に位置し、古くから畝織うねおり・秋田八丈・秋田蕗を産する。産業は化学・食料品・パルプ工業。
   秋田港(土崎港)をもつ。七夕の竿灯かんとう祭は東北三大祭の一つ。人口33万3千。

  日本テレビ 月曜から夜ふかし 『なぜか秋田が学力テストで1位な件』 13.10.28 放送

  ≪小中学生の学力テスト2年連続 全国1位 ≫

  1クラス約30名、一斉読書と時間や教育専門監制度があり、授業を2人の先生で行ったりする。自宅学習率1位。
  睡眠時間1位。小中学生の朝食摂取率1位。携帯電話所有率は最下位。と素晴らしいデータが並びますが、
  学力が上がってきたのは近年のこと。真面目で優秀な子供が育つと、主に関東圏に就職。
  年間1万人ペースで人口が減少する減少率1位。






  【生剥】なま‐はげ
   (「なま」は「なもみ」の意)秋田県 男鹿半島地方などで、正月15日夜の行事。青年数人が大きな鬼面をかぶり、
   蓑みのを着、木製の刃物・幣束・桶・箱などを携え、家々を訪れて酒食の饗応を受け、祝言を述べる行事。なもみ剥ぎ。


  毎日放送 ちちんぷいぷい 『とびだせ ! えほん 新春SP 「雪景色の秋田で縁起もん探してスケッチ旅」』 13.01.03 放送

  ≪ 秋田名物 ハタハタ ≫

  【男鹿市】おが-し … 秋田県西部、男鹿半島の全域を占める市。半島南東岸の船川港が中心。人口3万6千






  【鰰・鱩・燭魚】はた‐はた
   ハタハタ科の海産の硬骨魚。口は大きく体には鱗がない。背部は黄白色で、褐色の流紋がある。全長15㎝内外。
   北日本のやや深海に産し、11~12月産卵のため沿岸に群遊する時に漁獲。その季節によく雷鳴があるので
   カミナリウオともいう。「しょっつるなべ」の材料とし、また、卵は「ぶりこ」と呼ばれ、賞味。沖鰺おきあじ

  【塩汁・醢汁】しょっつる
   (「ひしお汁」の転訛か)魚醤油の一種。イワシ・ハタハタの類を生のまま瓶かめ などに入れ塩漬にして発酵・熟成させ、
   日を経て自然に滲出した上水うわみずを濾したもの。秋田地方の特産。しょっつる鍋・ハタハタ鍋などの調味に用いる。


  NHK Eテレ グレーテルのかまど 『新春スペシャル ! ハッピー・カムカム ! 占い菓子特集』 14.01.11放送

  ≪ 大館市のアメッコ市 ≫

  2月の旧正月に開かれるアメッコ市には飴を売る露店が150軒以上出ます。貴重だった甘い飴は「天の恵み」として
  珍重され。神社仏閣の参拝のお土産として飴を買っていたそうです。食べると厄が払われ、福が舞い込み無病息災で
  居られる。という習慣だそうです。






  【大館市】おおだて -し
   秋田県北東部の市。米代よねしろ川中流、大館盆地の中心。三斎市・河港として栄える。材木の集散地。人口8万3千。

  毎日放送 知っとこ ! 『食のテーマパーク』 13.05.04 放送
  読売テレビ 大阪ほんわかテレビ 『日本全国47都道府県 地元で愛される美味しいおやつ博覧会』  14.07.20 放送
  テレビ東京 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ! 『県外に知られたくない! 日本全国隠し名物』 16.01.29 放送
  日本テレビ 月曜から夜ふかし 『餅にリベンジしたい件』 16.01.18 放送






  秋田県の郷土菓子『松皮餅』は、松の薄皮を練り込んだ餅の中に餡子が入ったもの。
  バター餅は餅にバター・卵・小麦粉・砂糖を練り込み冷やしたもの。40年以上前からマタギの保存食として食べられて
  おり、現在ではお菓子として一般的に食べられているそうです。

  生産地の湯沢市では手づくりで高価な稲庭うどんより、卯の花麺が愛されている。 秋田県の稲庭うどん と 卯の花麺

  【切りたんぽ】きり-たんぽ (「たんぽ」)は形がたんぽ槍に似ているところからという)
   炊きたての飯をすり鉢に入れて餅のようにつぶし、杉串に円筒形にぬりつけて焼き上げたもの。
   鶏肉・牛蒡・芹などとともにだし汁で煮て食べる。秋田地方の郷土料理。

  【湯沢市】ゆざわ-し
   秋田県南東部の市。清酒醸造が盛んで「東北の灘」と呼ばれる。また曲木まげき細工の産地。人口5万5千。

   納豆 京都の納豆発祥説。 日本の納豆の発祥は秋田県横手市 消えゆく花街 あきた舞妓  江戸時代の海上物流 北前船

  【秋田諸越】あきた-もろこし 百菓辞典
   秋田名物の落雁。小豆の皮をむいて粉にし、砂糖を入れて練り、3㎝角の型に入れ、乾燥させてから表面を焦がす。
   かつて、藩主 佐竹侯が家臣を労うため、煎米を菓子に作らせたのが初めで、「諸越」とは、「諸々の菓子を超えるもの」
   の意味であるといわれる。

  【あさ漬け】あさ-づけ 百菓辞典
   秋田地方の郷土菓子。米を一夜水につけ、すり鉢ですりつぶす。これに、水を加えてのばし、弱火にかけ、粘りが出る
   までゆっくり掻き回す。保存のための酢を加え、砂糖、塩で味付けする。
   上にふきの水煮やわさびの根などをのせて食べる
 
 岩手県
  NHK大阪 歴史ヒストリア 『春はすぐそこ ! 世界遺産SP ~秘められた日本人のドラマ~』 14.03.12 放送
  NHK 高校講座 日本史 『武士の登場』 14.06.13 放送 / Wiki 奥州藤原氏
  TBS ジョブチューン 『現役知事大集合SP 知事同士のバトル勃発 ! ○○王国は我が県』 14.10.25 放送

  【岩手県】いわて
   東北地方北東部の県。陸中国の大部分、陸前国と陸奥国との一部。
   県庁所在地は盛岡市。面積1万5278平方㎞。人口138万5千。全13市。






  【盛岡市】もりおか
   岩手県中部、北上盆地の北部にある市。県庁所在地。もと南部氏の城下町。北上川と中津川・雫石しずくいし川との
   合流点に位置する。鋳物・鉄器を産する。また古来南部馬の産地で、牛馬の市が開かれた。人口30万1千。

  【豆銀糖】まめ-ぎんとう 百菓辞典
   岩手県盛岡名物の黄な粉菓子。南部特産の青豆の黄な粉に砂糖、水飴を加え、よく練って棒状に固め、切れ目を
   入れる。江戸時代の一分銀に見立てた形になる。南部藩は金、銀、銅、鉛などの鉱物に富んでいたため、
   嘉永年間(1848~54)、同藩々主 信恩の創意により、清瀬という盛岡市内の店が調整したといわれている。
   豆銀とは「豆板銀」のことで、江戸時代の小粒銀貨を意味する。






  【平泉】ひらいずみ
   岩手県南部、北上川と衣川との間の町。
   奥州藤原氏3代(清衡・基衡・秀衡)および源義経の遺跡があり、今も中尊寺に光堂ひかりどう・経蔵などが残る。

  【奥州藤原氏】おうしゅう‐ふじわら-し
   平安後期、平泉を拠点として睦奥・出羽を支配した豪族。もと亘理わたり氏。
   初代清衡以降、1189年に4代泰衡が源頼朝に滅ぼされるまで続いた。

  【中尊寺】ちゅうそん‐じ
   岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺。1105年(長治2)藤原清衡が創立し、基衡・秀衡3代にわたって
   貴族文化が栄える。金色こんじき堂・経蔵のみ残存。







  ≪ 久慈市の郷土料理 まめぶ ≫  日本テレビ ザ ! 鉄腕 ! DASH ! 『DASH島』 14.08.17 放送

  久慈市の森林の1/3が南部赤松で、油分が多く水に強い木材になるので、山口県の錦帯箸など橋の基礎にも使われ、
  江戸時代の橋の基礎として使われたものが腐らず出土する事もあったそうです。
  群馬県の草津温泉の湯畑に源泉をかけ流す樋といや野球のホームベースのゴムの台として土の中に埋め込まれ
  たりしています。






  そんな水分に強い赤松の木材を産出している久慈の郷土料理『まめぶ』は冠婚葬祭時に出される料理で、
  小麦粉で作った豆状に作った団子で、中にクルミが入っているのが特徴。豆は入っていないそうです。

  【柳ばっと】やなぎ-ばっと … そば粉を柳の葉の形にし、きのこや野菜とともに煮た汁物。岩手県の郷土料理。

  読売テレビ 大阪ほんわかテレビ 『日本全国47都道府県 地元で愛される美味しいおやつ博覧会』  14.07.20 放送






  奥州 藤原氏  岩手県の雪納豆、栃木県の最高級納豆   日本の高校で人気の学食購買パン
  東京 大正時代の関東大震災後の帝都復活させたのは、台湾や満州でも活躍した岩手県出身の後藤新平


  読売テレビ かんさい情報ネットten. 『震災のりこえ成長"奇跡の復興米"』 16.09.14 放送
  読売テレビ ten. 『特集 関西と東北をつなぐ"復興米"』 19.09.18 放送
  産経新聞 『育て「奇跡の復興米」 被災地・岩手県大槌町で生き延びた3株の稲穂が始まり 大阪・河南町で田植え』 18.05.28 配信
   https://www.sankei.com/west/news/180528/wst1805280011-n1.html

  ≪ 大阪府富田林市で栽培されている「奇跡の復興米」 ≫

  2011年の東日本大震災で津波などの大きな被害を受けた大槌町。菊池妙さんは流された自宅跡から生えていた稲
  籾を持ち帰り、のちに地元のNPO法人が復興のシンボルとして栽培し"大槌復興米"と名付けました。

  震災直後からボランティアに入っていた富田林市のボランティア団体がこの話を知り、2014年に1㎏の稲籾を受け取り、
  富田林市と河南町で有志と小学生らが毎年育てています。
  収穫した復興米は大槌町や2016年4月の熊本地震で大きな被害があった益城町へ送られ、小学校の給食などで
  食べられています。






  復興米の生育を見守っている岩手県のNPO法人「遠野まごころネット」の臼沢良一さんによると、地元岩手では震災の
  事が風化し始めていると語っています。
  2019年には「忘れないよ大槌町」というタイトルで復興米の劇を作り、富田林市のすばるホールで上演されました。

  岩手県でも育てられており、熊本県に支援で送ったり、東京の小学校の給食などにも使われているようです。

  遠野被災支援NPO法人 遠野まごころネット 『大槌復興米』
   http://tonomagokoro.net/archives/tag/%E5%A4%A7%E6%A7%8C%E5%BE%A9%E8%88%88%E7%B1%B3
  富田林きらめきミュージアム 『大槌町「奇跡の復興米」』 https://www.tondabayashi-city.jp/museum/search/detail/?pkId=103

 
 山形県
  読売テレビ 秘密のケンミンSHOW 『県民熱愛グルメ 「山形県芋煮 仰天の常識」』 13.11.07 放送
  読売テレビ 秘密のケンミンSHOW 『県民の真実 山形県民は日本一ラーメンが大好き!?』 15.05.28 放送

  【山形県】 東北地方南西部の県。羽前国と羽後国の一部とを管轄。面積9323平方㎞。人口121万6千。全13市。

  【山形市】
   山形県東部、山形盆地の南東部の市。県庁所在地。もと最上もがみと称し、出羽の要地。
   江戸時代、保科・松平・奥平・堀田・秋元・水野氏らの城下町。市の南東に蔵王山・蔵王温泉がある。人口25万6千。

  【米沢】
   山形県南部の市。米沢盆地の南端に位置し、もと上杉氏15万石の城下町。古来、機業で知られる。人口9万3千。

  【米沢織】よねざわ‐おり
   米沢市付近から産出する絹織物の総称。1776年(安永5)藩主 上杉鷹山ようざんが越後の小千谷おぢやから織工を
   招いたのに始まる。糸織・綾織・節糸織・紋織・袴地・帯地などがある。







  ≪ 芋煮 ≫   江戸時代の海上物流 北前船

  郷土史研究家の村形喜男さんによると、芋煮は江戸時代末期からよく食べられていたそうです。

 発祥は最上川の水運と大きく関係しており、北前船で酒田港に集積された積荷は、最上川を遡り山形内陸部へと
  運搬されていました。最上川を遡るには強い風が吹かないと船はのぼれない。船頭たちは強い風が吹くまで待つ
  必要がありました。その様子を見かねた農民たちが秋に収獲できたサトイモを持ち寄って振舞ったのが始まり。


 
 

  山形県民にとって欠かせない秋の行事 (9~11月) になっており、会社関係、学校、仲間、家族内など何度も芋煮会が
  行われるそうです。芋煮会はバーベキューのように河川敷でテントなどを張っておこなうもの。
  スーパーに行くと材料のセットの販売、鍋やコンロの無料レンタルがあり、山形新聞には芋煮会天気情報も掲載。






  サイトモ、牛肉、コンニャク、ネギが基本材料で、地域によって豆腐や厚揚げが入る。味付けはしょうゆの地域と
  味噌味の地域がある。シメはカレールーを加えて、うどんを入れるのが定番のようです。

  【六条豆腐】ろくじょう‐どうふ
   (京都六条の人が初めて製したからという)乾豆腐の一種。豆腐に塩をまぶし天日で乾燥したもの。かんなで
   削って吸物の実や酢の物に使う。山形県の特産。精進節。六浄豆腐。鹿茸豆腐。


  ≪ 山形県はラーメン支出金額日本一 ≫

  山形県の外食ではラーメンを食べる機会が多く、支出金額が1位。10万人あたりのラーメン店の軒数でもダントツの1位。
  上位に東北など寒い地域が並んでいます。

  山形大学の地域教育文化学部 食環境デザインコースの講師 三原法子さんによると、
  山形のラーメンは大正時代の関東大震災で被災した横浜中華街の華僑が全国に散らばった時に、山形にも移住し
  屋台で広めたのが始まり。蕎麦文化が根付いていたので、同じ麺類なので抵抗なく受け入れられたのだと思います。






  県の中央に出羽三山があり、内陸と沿岸とが分断されているので、文化が異なるのだそうです。

  『山形ラーメン』という県内で統一された一品は無いものの、地域によって様々な人気ご当地ラーメンがあります。
  庄内地方の『酒田ラーメン』と村山地方の『鳥中華』などは、カツオ節やイワシ干しなどの魚介系であっさり味の和風の
  スープで、山形県は全体的に醤油味が多いようです。
  置賜地方の長井市では馬肉で作った『馬煮っこ』と呼ばれるシャーシューがスーパーでも売られており、ラーメン

  読売テレビ 大阪ほんわかテレビ 『日本全国47都道府県 地元で愛される美味しいおやつ博覧会』  14.07.20 放送

  山形県ではサイダーと言えば「パインサイダー」だそうですが、この15年ほどの間に製造をやめる会社が増加している
  そうです。どんどん焼きは、お好み焼きの前段階のもので、戦前の昭和初期頃は全国各地にありました。

日本製乳

おしとりミルクケーキ
どんどん焼き
山形県 パインサイダー


  各地の地サイダー

  【最上氏】もがみ
   出羽の戦国大名。斯波家兼の子 兼頼が羽州探題となり、最上氏を称したという。戦国末期に義光が勢力をのばし、
   最上・村山郡を制した。秀吉の小田原攻めに従い、関ヶ原の戦では東軍についたが、孫の義俊は内紛のため改易された。

  【最上義光】もがみ‐よしあき(1546~1614)
   戦国末~江戸前期の武将。出羽の山形城を拠点に庄内地方に勢力を築き、上杉景勝・伊達政宗らと争う。
   豊臣秀吉に帰順し、関ヶ原の戦では徳川方に従って、山形57万石を領有。

  【熨斗梅】のしうめ 百菓辞典
   紅または琥珀色の、梅肉風味のようかん状の菓子。梅肉羹。
   梅肉を潰し、砂糖、寒天を加えて煮固め、5mmほどの厚さに延ばし、花札ほどの大きさに作り、1枚ずつ竹の皮で
   挟んだもの。水戸、山形の名物菓子。
 
 宮城県
  NHK Eテレ 知恵泉 『トップは発想せよ ! 「伊達正宗」』 前編 14.04.01 放送 / 後編 14.04.08 放送
  読売テレビ 秘密のケンミンSHOW 『県民熱愛グルメ 「宮城県ずんだ」』 14.09.04 放送


  『料理物語』の「第二十 萬聞書之部

  せんだい ほしひ〕は もち米を いかにも上白にして、かんのうちに水にてあらひ、おけに入、日々に水をかへ、
  十四五もつけをきてさらし、扨よくむしてかげぼしにして引きわり、三段にふるひてよし、こはのけてよし、中計よく候

  〔仙台糒〕は、糯米を真っ白にする。寒い日のうちに水で洗い桶に入れる。毎日水を変えて14~15日ほど水に浸けて
  おいて晒す。よく蒸して陰干しにした後で挽き割り、三回振るう (大中小と目の粗さが違う布で三段か?) 粉は除けて、
  (布の) 中に良い物が残る。 こんな感じに訳してみました。(誤訳御免)

  「さて= 副詞 (さて、しかじかで、そうしてそれから) 又は、接続詞 (そうして、それから、ところで)」


 1668 (寛文8) 年の『料理塩梅集りょうりあんばいしゅう』塩見坂梅庵 著は、内容などから大坂で書かれた物と思われます。
 「」には正宗ほしい仕やうが載っています。

  千葉大学 教育学部 研究紀要 第25巻 第2部 『古典料理の研究 (二) 料理塩梅集について』
   http://ci.nii.ac.jp/els/contents110004715150.pdf?id=ART0007458558







  1948 (昭和23) 年、佐野啓四郎が牛タン焼きの専門店「味太郎」を仙台で開業。(同社HPより)

  1675 (延宝3) 年、玉澤伝蔵 (初代) が、仙台藩御用菓子司として「玉澤」を創業し、明治34年に「九重」を創製。(九重本舗HP)

  【仙台駄菓子】せんだい-だがし 百菓辞典
   宮城県仙台市の名物駄菓子。元禄の頃塩釜に漂着した南蛮人から伝えられた「南京糖」、岩切城落城の際に
   村人が焼け米で作った「おこし」、「熊ねじり」、「兎落雁」などがある。

  【九重】ここのえ 百菓辞典
   仙台の名物菓子。もち米の粉を、直径1㎜くらいにふくらませ、砂糖と香料で味付けしたもの。
   これを湯に浮かせて飲む。色は黄色が多い。明治34年(1901)、明治天皇が仙台行幸の折り、この菓子を差し出した
   ところ、お褒めを賜り、供奉の東久世通禧から「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな」の歌に
   因んで「九重」という名前をいただいたという。

  【太白飴】たいはく-あめ 百菓辞典
   宮城県仙台市の名物飴。古くから仙台地方に伝承されたもち米飴で、もち米を蒸し、麦芽を加えて糖化させ、
   できた水飴を煮詰め、純白な長方形の飴に作ったもの。
   「太白」は、飴の白さからいわれるようになったと推測される。

  【がんづき】 … 小麦粉にごまやくるみを混ぜ込んで作る蒸し菓子。宮城県の郷土料理。(ういろうと同じ製法)


  ≪ ずんだ ≫  「ずんだ」は「づんだ」とも書くようです。

  枝豆をすり潰し砂糖を加えたずんだ餡が基本。ずんだ餅は県内の和菓子屋や餅専門店など250店舗ほどで
  提供されており、一般家庭でも作ります。






  近年では、マカロンやクレープなど、ずんだを使用した『ずんだスイーツ』という新たなジャンルが定着。
  小学校の給食では「ずんだ入り春巻き」が出され、「ずんだの軍艦巻き」を提供する寿司店まで登場するほどの
  ソウルフードになっているそうです。






  【ずんだ餅】 百菓辞典
   じんだ餅ともいう。枝豆を柔らかくゆでてつぶし、砂糖と塩を加えてあんを作り、餅につけたもの。仙台地方の名物。
   語源は ① 豆(ず)を売って作る餅…豆打餅(ずだもち)がなまったもの。 ② 伊達正宗の陣太刀にちなんだ陣太刀
   (じんだもち)の変化したもの。 ③ 枝豆を茹でて潰した物をじんだ(糂汰)といい、これを餅にまぶしたものをじんだ餅
   という。ずんだはじんだのなまったもの。など諸説ある。づんだ餅と書くこともある。

  サンスポ 『「枝豆」がネットの海外検索2位 健康食として世界的注目』 14.05.01 配信
   http://www.sanspo.com/geino/news/20140501/sot14050116350003-n1.html
  NAVERまとめ 『枝豆が海外グーグル検索2位に。なぜ外国人に人気?』 14.05.02 配信
   http://matome.naver.jp/odai/2139895193606643501


  ≪ 塩竈 ≫  『百菓辞典』   NHK 和食が世界遺産? ~おいしい日本 1万5千年の旅~ 13.01.02 放送

  松島湾の塩釜港付近で売り出されたことから。発祥の地の地名がつけられたもの。

  みじん粉、砂糖、塩、海藻の粉末、紫蘇の葉などを混ぜ、型に入れ押枠で四角に固めて切った干菓子。
  一個ずつ小さく折り取れるように、筋を入れてあることが多い。

  塩竈神社の祭神、塩土老翁大神しおつちおじのおおみかみが塩釜の地に下り、塩づくりの方法を教える際、
  糧食として「塩釜」を教えたという。

  菓子に変わったのは、1769 (明和6) 年、この地の菓子司越後屋の初代 喜三郎が、仙台藩主に献上したといわれる。
  砂糖が入るようになったのはその後であり、紫蘇を入れるようになるのは明治以降のことになる。


  ≪ 宮城県 塩竃神社の藻塩焼き神事 ≫

  【塩竃神社】しおがま
   宮城県中部 松島湾の南西端に臨む漁港の塩竈市にある
   元国幣中社。
   古来、安産の神として名高い。境内に志波彦神社が鎮座。
   祭神は塩土老翁しおつちのおじ神ほか。藻塩焼き神事は7月に
   行われる。

  【塩竃菓子】
   みじん粉に砂糖・塩・水を加えて混ぜ、これを篩ふるいにかけ、
   押枠でかためた菓子。
   塩竈神社付近で製して売り始めたものという。
塩竈神社

塩竃菓子








  ≪ 江戸時代に仙台在住者が書いた料理本 ≫

  1818 (文化15) 年、『御本式料理仕向』(調理・献立)
  1829 (文政12) 年、『料理一色集』(調理・献立・食品)
  1846 (弘化3) 年、『水料理焼方玉子細工』(調理・作法)

  東北大学附属図書館 企画展 第四部 仙台藩の食と名産品
   http://www.library.tohoku.ac.jp/collection/exhibit/sp/2005/list4/list4_2005.html
  このサイトでは仙台で書かれた本や、仙台の事を書いた本などが紹介されています。

  白石温麺(うーめん) 政宗の重臣片倉小十郎景綱の城下町白石の名産で、寒葛、和紙とともに「白石の三白」として
  名を馳せたのが「温麺」である。佐久間洞巖が仙台藩の地誌について著した『奥羽観蹟聞老志』では、「雲麺」の名で
  「千絲白髪」のような麺と紹介されている。伝承によると元禄2年(1689)、白石の酒造家大畑屋鈴木家の浅右衛門が、
  病気の父親のために油を使わないそうめんを作ったのが始まりとされている。
  やがてこの麺は評判となり、片倉家から伊達家へ献上品として用いられた。


  1746年成立の『黒白精味集こくびゃくせいみしゅう』 (編者は江戸川散人 孤松庵養五郎) 見聞きしたものを集めた書。

  中巻 五「煮物」には
  仙台煮 鮭の皮を付 ぶり切に薄く切 みりん酒を入 炭火にて一時程煮て 溜りにて塩梅して 出すときは
  らゝごを入 出すなり 火強は鮭くづるゝ也 煎酒仕立にすれば 上戸も喰るゝなり わさびを入る 味醂酒斗にて仕立たるは
  下戸料理なり 奥州煮ともいふ

  千葉大学 教育学部 研究紀要 古典料理の研究 黒白精味集
   上巻 http://ci.nii.ac.jp/els/contents110004715357.pdf?id=ART0007458868
   中・下巻 http://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900025176/KJ00004299489.pdf


  国立国会図書館デジタルコレクション 『日本山海名物図会 5巻』
  コトバンク 『日本山海名物図会』
  1754 (宝暦4) 年、平瀬徹斎 (大坂の人) 編著。長谷川光信 (大坂の人) 画の『日本山海名物図会』全5巻は、日本各地の
  名物を描いた絵本。巻の三には仙台馬市が書かれてあります。

  毎日放送 知っとこ ! 『食のテーマパーク』 13.05.04 放送
  読売テレビ 大阪ほんわかテレビ 『日本全国47都道府県 地元で愛される美味しいおやつ博覧会』  14.07.20 放送






  仙台味噌と宮城県の製塩事業の始まり 江戸の米市場の1/3を仙台藩の米が占めていた事もあった。
  牡蠣が結ぶ世界の絆 フランスを救った宮城の牡蠣 宮城と広島
 
 福島県
  【福島県】 
   東北地方南部の県。岩代いわしろ および磐城いわき国の大部分を管轄。面積1万3783平方㎞。人口209万1千。全13市。

  【福島市】
   福島県北東部、福島盆地にある市。県庁所在地。もと板倉氏3万石の城下町。
   生糸・織物業で発展。食品・機械工業のほか、モモ・リンゴなどの栽培も盛ん。人口29万1千。






  【会津】  蒲生氏郷
   福島県西部、会津盆地を中心とする地方名。その東部に会津若松市 (松平(保科)氏23万石の城下町) がある。

  徳川家光の異母 (武田家ゆかりの娘が母) 弟であり、信州7高遠藩3万石 → 山形藩20万石 → 会津藩23万石の
  藩祖となった保科正之は貧しくても産まれた子を殺すことを禁止、豊作の時に米を貯めておき、飢饉の時に貸し出す
  社倉制度、領民であれば90歳以上に1日5合の米を配給する年金制度 (漏れがないように山間地まで隅々に知らせた)
  のようなものを作った。

  また会津は東北の交通の要所だったので、旅人が病になった場合に医者に見せるような緊急医療制度もつくり、
  診察料金が払えない場合は会津藩が負担するなどした結果、経済も潤い会津藩の人口は1648年の11万人から
  1718年には17万人まで増加しました。

  【赤子養育仕法】あかご‐よういく‐しほう
   江戸後期の人口増加政策の一つ。堕胎・間引きの罪を教諭し、養育費を補助するもの。仙台藩・会津藩などの例が著名。

  1684 (貞享1) 年、佐瀬与次右衛門によって『会津農書』が完成。東北地方の体系的農業書。

  東海テレビ おしろツアーズ5 『絶対行きたくなる ! おもしろ名城旅 会津若松 鶴ヶ城』 13.12.10 放送  ソースカツ丼と関東絹の道





  馬肉といえば熊本県が最も有名ですが、江戸時代の会津地方でも、歳をとって働けなくなった農耕馬を食べていた事から
  馬肉料理があるそうです。






  東北での牛肉食の始まり

  朝日新聞 2013.11.11 夕刊

  ≪ 2013年のB-1グランプリで 「なみえ焼そば 優勝 ≫ B-1グランプリ 東北健闘

  愛知県豊川市で開かれたご当地グルメによるまちおこしの祭典、第8回「B-1グランプリ」は
  10日、1位のゴールドグランプリに「浪江焼麺太国」なみえ-やきそば-たいこく (福島県浪江町)を
  選び、2日間の日程を終えた。福島県勢の優勝は初めて。2、5位にも東北勢が入った。

  浪江町では東京電力福島第一原発事故の影響で、いまも多くの住民が町外に避難。
  提供する「なみえ焼そば」は、極太の麺と豚肉、もやしを焼き。濃厚なソースにからめる。


  2位は、青森県 十和田市の「十和田バラ焼きゼミナール」  3位は、千葉県 勝浦市の「勝浦タンタンメン」
  4位は、愛媛県 今治市市 今治焼豚玉子飯世界普及委員会の「今治焼豚玉子飯」

  5位には「久慈まめぶ部屋」(岩手県久慈市)が入った。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」に登場した郷土食
   「久慈まめぶ汁」を提供した。来秋の第9回は福島県郡山市で開かれる。
   9、10日に開かれた豊川大会には過去最多の64団体が出展し、過去2番目の58万1千人が訪れた。

  6位、神奈川県 三浦市の「三崎まぐろラーメン」 7位、島根県 出雲市の「出雲ぜんざい」 
  8位、愛知県 高浜市の「高浜とりめし」
  9位、福岡県 田川市の「田川ホルモン鍋」 10位、三重県 四日市市の「四日市とんてき」

  産経新聞 13.11.10 配信 http://sankei.jp.msn.com/life/news/131110/trd13111023300021-n1.htm
  毎日新聞JP 13.11.11 配信 http://mainichi.jp/select/news/20131111k0000e040115000c.html

  読売テレビ 大阪ほんわかテレビ 『日本全国47都道府県 地元で愛される美味しいおやつ博覧会』  14.07.20 放送






  【笹団子】ささ-だんご 百菓辞典
   米粉にヨモギをつき砕いて入れ、蒸してから小豆あんを入れて団子にし、熊笹の葉で包み、両端をイグサでくくる。
   俵型。新潟名物で、福島にも見られる。福島では「ほいど巻」と呼ばれている。


  大学プレスセンター 『汚染水からトリチウム水を取り除く技術を開発東日本大震災の復興支援プロジェクトから生まれた
  汚染水対策』 18.06.29 配信 https://www.u-presscenter.jp/2018/06/post-39661.html より抜粋

  【''オール近大''川俣町復興支援プロジェクトについて】
  近畿大学が、14学部48学科を擁する総合大学としての研究力を生かし、東日本大震災に伴う原発事故に伴って一部が
  計画的避難区域に指定された川俣町の早期復興を、総力を挙げて支援するプロジェクトです。
  近畿大学教員が提案した復興支援策について、(1)農業・産業・町づくり振興支援、(2)除染推進支援、(3)健康・心身ケア
  支援、(4)放射線・放射能測定支援の4グループに分け、川俣町民の意向を取り入れつつ、平成25年(2013年)5月から
  本格的に始動しました。なお、近畿大学は福島県川俣町から「震災復興アドバイザー」を委嘱されており、平成29年(20
  17年)5月に包括連携協定を締結しています。

  近大のバイオコークス技術 ゴミを石炭と同じように燃料として使用できる。福島原発の汚染土の圧縮にも利用
  近大チームがトリチウム除去実験装置を開発

 
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よーいドン !
関西TV
 2010.08.05
KANSAI 1週間 259号
2009.02.17発売
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