朝日新聞 14.09.13 夕刊 「うちら だんじり 髪結い娘」 内容重複部分は割愛、他は原文ママ /
読売テレビ かんさい情報ネット ten. 14.09.15 放送
≪ だんじり髪結い娘 編み込み愛し30年 ≫
『曳き手の中で近年目立つのが、髪を個性的なスタイルに編み込んだ若い女性たち。
「祭りと言えば編み込み。小さい時からずっとそう。それ以外はありえへん」
祭りに備えて6月から走り込みを続けねタイヤも引いてきた高校3年生、稲田楓さん (17) 。
その髪を手掛けたのが、南海岸和田駅近くの美容室 「たまねぎ倶楽部」だ。
トウモロコシの形に似た人気のスタイル「コーンロウ」は、髪を強く引っ張らなければ
ならず、その痛みから「地獄編み」「根性編み」とも言われる。
高校3年の女子生徒は「走り出したら痛みは忘れます」。
6月から予約を受け、8月に写真を参考に予算、模様などの要望を聞き取る。
料金は1万円から。
試験曳き前日の9月11日午後からは予約の女子高生らがひっきりなしに訪れた。
「引退だから最後はここで」と来店する高3の姿が目立つのも特徴だ。
オーナーのヒロ・タナカさん (56) は「人とはちょっと違う感じにしたいという子が来る」と
話す。
約300年続くだんじりの歴史には遠く及ばないが、編み込みにも約30年の歴史がある。
今年本格デビューする小学1年の辻柚咲ちゃん (7) の祖母の睦さん (50) はその先駆けだ。
祖父が無類のだんじり好きで、睦さんも「物心ついた時には目の前にだんじりがあって、
曳いていた」。
高校2年だった1981年、肩にかかる髪を山口百恵をまねてカーリーヘアにしてだんじりを
引いた。
すると、当時、だんじりの屋根に乗る「大工方」だった叔父の清さん (62) に叱られた。
「上から見ると髪が邪魔で動きが鈍くさい。だまされたと思って、髪はカッとアップにして、
はちまきキリッと巻いてみ」。清さんに薦められたのが、浅草の三社祭の女性の姿だった。
三つ編みを後ろでアップにし、ヘアピンで留め、はちまきも巻いた。
そのスタイルで祭りのクライマックス「宮入り」を疾走すると、注目を集めた。
「髪を気にせず、存分に曳けた。はちまきで汗も止まった」。
翌年から編み込みの女性が少しずつ増え始め、今は、編み込みスタイルが女性の
曳き手の主流となった。
睦さんは「主役はだんじり。曳やすいから編み込んだだけやったのに、こんな風になる
とは思ってなかった」と笑う。
睦さんの叔父で、98年に祭りの最高責任者・年番長を務めた岩橋由延さん (69) は
「曳き手は、恰好以上に、どれだけ精いっぱいやれるかが大事」と話す。
2013年9月のだんじり祭の経済波及効果を試算した堺都市政策研究所と岸和田市に
よると、女性が編み込みに支出したのは約1700万円。』
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≪ 祭や町名をあしらったデザインのネイルも人気 ≫
岸和田市宮本町のネイル店TIARAのオーナー嘉悦由利子さんによると
「昔はみんな黒いネイルに一色塗るくらいだったんですけど、今はオリジナルのプリントを張り付けたりしているので、
すごい幅が広がって、小さいお子さんから来ていただいています
」。
だんじりネイルはシールを張るだけのお手軽コースも人気で3000~5000円くらいが相場だそうです。
≪ 別名 「カニ祭り」 ≫
だんじり祭の2日間、訪れた客にカニをふるまう習慣があるので「カニ祭り」とも呼ばれる。
祭用品の専門店では、クッション性を高めたエアー足袋なども人気。
2014年、2日間の観客数はおよそ52万人。岸和田一帯の泉州地域への経済波及効果は40億円以上。
オススメ → 2012年9月15日 岸和田だんじり祭 http://youtu.be/UVZ3ccZQKek
岸和田市観光振興協会公式サイト「岸ぶら」 http://kishibura.jp/
※ 大和川以南の各市では、各町単位で だんじりを所有してますが、荒々しい勇壮
なのは岸和田市だけ。岸和田育ちの人たちの だんじりへの情熱は別格。
屋根の上で飛び跳ねている大工方が祭りの花形。 祭りの期間 岸和田市内の
ケーブルTVでは1日中、だんじり祭りの生中継をしているそうです。
【檀尻・楽車・山車】だん‐じり 東京地方の山車だし・屋台に同じ。
関西・西日本の祭礼の曳物。太鼓をのせ、車輪をつけて引いたり、かついだりして
練って行くもの。
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【山鉾】 やま‐ぼこ 山車だしの一種。やまほこ。ほこ。やま。
屋台の上に山の形などの造物つくりものがあって、その上に鉾・薙刀
なぎなたなどを立てたもの。
京都の祇園会
ぎおんえの山鉾は有名。
【山笠】やま‐がさ
① 祭礼の時などに、上に種々の飾り物をのせた笠。 ② 山車の一種。特に、福岡市の櫛田神社の祇園山笠が有名。
朝日新聞 14.10.09 朝刊 『大阪 河内 「11.12日 "岸和田10月祭礼" 本番 より抜粋
≪ もう一つの岸和田だんじり祭 10月の祭礼 ≫
岸和田のだんじり祭は、浜手の旧市街地で9月中旬にある祭礼が全国的に知られるが、JR阪和線から東よりの山手
6地区である10月祭礼も見どころが多く、近年は大勢の観光客を集めている。
今年の本番は11、12日で、各地区にだんじりが繰り出し、華やかな雰囲気に包まれる。
~(中略)~
旧市と呼ばれる岸和田地区と春木地区のだんじりが繰り出す9月祭礼は毎年50~60万人の観客を集める。
一方で、10月祭礼の観光客数は明確な数字はないが、推計で15~20万人とされる。
関係者は「9月の祭礼と比べ、『田舎の祭り』と揶揄されるされたこともあったが、ここ数年でぐっと増えた」と胸を張る。
10月祭礼は東岸和田、八木、南掃守
みなみかもり、山直
やまだい、山直南、山滝の6地区の47台のだんじりが出るが、
曳行エリアは各地区に分散する。その分、観客は密集せず、ゆっくり見る事ができる。
~(中略)~
八木地区は久米田寺の境内をだんじりが走る伝統の「行基参り」で知られる。天平10(738)年に久米田池を造り、
干ばつに苦しんだ住民を救った行基への感謝を込めて、13台のだんじりが集結する。
~(後略) 。
事前に市観光振興協会の公式サイト「岸ぶら」などで、曳行ルートや見どころを確認しておくのがお勧め。
≪ 岸和田を守った蛸地蔵 伝説 ≫ Wiki 天性寺(蛸地蔵)
南海本線 蛸地蔵駅が、岸和田城、だんじり会館、蛸地蔵の天性寺の最寄りの駅になっています。
岸和田を2度守ったといわれる蛸地蔵。
天性寺てんしょう-じ(室町時代末期の1570年に創建)に絵巻が残っています。
室町時代の1334年頃、台風による高潮が岸和田(この頃は寺のある場所は
海の近く、後に海岸は埋め立てられて現在のように)を襲いましたが、
大規模災害の割に被害が少なかった。
村の人々が不思議に思い浜辺に出てみると、タコに乗ったお地蔵様が高潮を
鎮めている姿を目にしました。このお地蔵様を城で祀ることになりました。
1584(天正12年)小牧・長久手の戦いの留守を狙って、根来衆、雑賀衆、
粉河衆連合軍は総数3万兵が侵攻し、岸和田城に攻城戦を仕掛けてきました。
タコに乗った一人の僧侶と、数千のタコが現れ墨を吐き、敵を殺すことなく
撃退しました。
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1~3年の間タコを食べない「蛸断ち」という願掛けの風習があり、天性寺の住職御一家は一度もタコを食べたことが
無いそうです。
岸和田市HP 『岸和田の昔話3 蛸地蔵の話』 http://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/3/mukashi3-takojizonohanashi.html 大阪湾沿岸発祥の蛸壺漁 タコ壺漁が繋いだモーリタニアと日本との絆 大阪の泉州地区の名字に「○○谷」=「○○や」が多い理由
≪ 昭和のコンクリート製 街角ゴミ箱が岸和田に多く残る理由 ≫ 下のリンクサイトでご覧ください
路地とごんばこと岸和田 岸和田市教育委員会 http://kishibura.jp/blog/umeda/110622text_gonbako.pdf
≪ 和歌山県 岩出市 根来寺 ≫ Wiki 根来寺 /
毎日放送 ちちんぷいぷい 『昔の人は偉かった近畿国宝めぐり総集編SP』 13.01.02 放送
【根来寺】ねごろ‐じ
和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山。正しくは大伝法院。
1130年(大治5)覚鑁かくばんが高野山に 創建。
山内衆徒の反発から1288年(正応1)頼瑜らいゆが現在地に移し、新義派を主張して独立。
根来寺の僧兵を中心とする軍事集団を根来衆と呼び、南北朝時代以後、特に戦国時代
に一大集団となり、卓越した鉄砲隊をもって織田信長・豊臣秀吉に抵抗していた。
室町時代、350万㎡の敷地に1万人の僧兵がいたそうです。
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1585年(天正13)、秀吉によって焼討され、ほとんどの建物が焼失。 多宝塔には当時の鉄砲の弾痕が残っています。